でも、一つの問題に正解が出せたら、自分の人生がグンと楽しくなります。
「困ったことは起こらない」
ということも分かります。
- 「甘口の人」と「辛口の人」がいます。両方から好かれる必要はありません
- 自分に対して失礼なことしてませんか
- うじうじ気分がスッとなくなる「神様からのプレゼント」
- 「人生の試験問題」の解き方、教えましょう!
「甘口の人」と「辛口の人」がいます。
両方から好かれる必要はありません
人から嫌われて、嬉しいという人はあまりいません。
やっぱり、人に好かれたい、誰かに愛してもらいたい。
でも、全員から好かれようとすると、他人の言うことが気になって、自分を出せなくなってしまいます。
自分が自分でなくなってしまいます。
言いたいことも言えずに、いい人のふりをしているのって、不自由ですよね。
そんな「良い人」と、どんなに長く付き合ったって、魅力が感じられないんじゃないかしら。
お酒だって、辛口が好きな人もいれば、甘口が好きな人もいます。
「辛口だから美味しい」「甘口だから美味しい」のではなく、要は、好き、嫌いの問題です。
どちらが正しいとか、正しくないとかじゃありません。
もし、お酒を作る人が、甘口派の人と辛口あの人のの両方に好かれるために、その中間のお酒を作ったとします。
果たして、その先は全員が好きになるでしょうか。
そんなことはないでしょう。
両者から全く支持されなくなることもありうる。
人の好き、嫌いは、好みの問題です。
人の好みに左右されて、心を痛めるよりも、
「全員からは好かれない」って思った方が、自分らしくいられます自分らしくいられます。
人は、自分らしくあるほうが楽。
それで、幸せじゃないですか。
なおかつ、一人でもいい、
「あなたって、とてもいい人ね」って言われるようになれば、それでめっけもの。
でも、その前に、大切なことを忘れていませんか?
自分のことは、まず自分から愛してあげる。
自分に対して失礼なことしてませんか
サラリーマンでも、OLでも、生きていれば、誰だって、多少嫌なことは経験するものです。
以前の私は、それを解決する手立てを、どうしても探すことができませんでした。
だから、いつも逃げてばかり。
「こんなことする私は、ダメな人間なんだ」
「どんなにがんばっても、どうにもならないんだ」
「私って、一体何をしてるんだろう」
って、泣いて、自分を責めてばかりいました。
そんな私に、人を許すということができるはずがありません。
目の前にある問題が解決できないのは、
「私には家庭があるから」
「子供もいるから」
「親も、旦那もうるさいから」
と、人のせいにしてばかりいたから、それで、人のせいにした後で、またさらに自分が情けなくなる。
そんなことの繰り返し。
でも、そんな、自分を愛せなかった私に、一人さんがある日、こんな素敵な詞を作ってくれたんです。
「母が私を産んだ時
小さな願いをかけました
お前の瞳は黒翡翠
人の欠点見えません
お前の耳は桜貝
人の悪口聞きません
お前の口は可愛くて
人の悪口言いません
母が私を産んだ時
和美という名を付けました」
人に何か言われることを気にして、人のせいばかりにして、人の悪口ばかりを言ってきたけれど、本来、私は愛のなかから生まれたはず。
そして、あなたも、愛の中から生まれたのです。
自分で、その命を愛してあげないということは、命に対して失礼です。
また自分のことが愛せないというあなたにも、この詩の愛をお裾分けしたいと思います。
好かれたい、愛されたいと思うなら、まず、自分自身を愛してあげてください。
自分でさえ嫌いなのに、人から好かれようというのは、少し図々しいすぎないですか?
自分自身を愛していれば、人に気に入られなくたって、自分が愛しているから、それで十分。
自分を抑えて生きることはありません。
だから、ハッピー!
自分のことが好きになると、人を許すことができます。
もっと、ハッピー!
自分のことが好きになると、正直で、素直に生きられます。
さらに、ぐっとハッピー!
たとえ、いろんな壁にぶち当たったとしても、「自分らしさ」を求める力が後押ししてくれて、乗り越えられるはず。
自分がまた一回り大きくなれるはずです。
うじうじ気分がスッとなくなる
「神様からのプレゼント」
あなたは「なりたい自分」になれるのに、「なれない今」がある。
それは、なぜだか考えたことがありますか?
あなたに才能がないから?
いいえ、全然違います。
あなたは「なりたい自分」になるために、生まれてきたのです。
「なれない今」があるのは、あなたの心に恐れというものがあるからです。
「なりたい自分」になろうとすると、反対される。
「なりたい自分」になろうとすると、人から何か言われてしまう。
でも、それは決して恐れるべきものではありません。
「なりたい自分」を目指して歩き出したら、反対なり、問題何が出てくるのは当たり前のこと。
私が、父の会社で働きながら、子育てをしながら、日曜日にだけ自分で商売を始めることを周囲の人間に話したときも、賛成してくれる人は誰一人していませんでした。
最初は、一人さんも本気にはしていなかったのでしょう。
「どうするんだい。
仕事もしていて、家の事、子育てもやっているのに、どうやって自分で商売をしようって呼んだい」って、笑われました。
家族は、はっきり、きっぱり大反対です。
当時の築地は、日曜日にしか休みがありませんでした。
夫や子供たちにしてみれば、平日は朝から晩までめちゃくちゃ働いて、家族揃って行動できるのが日曜日です。
その日曜日に、私が働くと言い出したのですから、両親や夫がやいのやいのというのも仕方がありません。
子供達も、
「じゃあ、ご飯は誰が作るの? 日曜日はどこにも行かないの?」と言う。
世間の人たちは、
「商売って難しいわよ」
「そんなことしたら、一家離散になる」
「女が仕事をすると、離婚する、家庭がめちゃくちゃになる」という。
でも、この反対があったからこそ私は泣き虫で弱虫の自分を変えることができました。
それまで見えなかった、私を取り巻いてる大きな愛の存在を知ることができて、心が豊かになりました。
もし、あの時、周囲から追い風が吹いていたら、辛いことにへこたれず、商売を続けることはできなかったし、一生、自分の殻に閉じこもって、うじうじ、ジトジトしているしかなかったでしょう。
周囲の人に感謝することも、愛することもできなかったでしょう。
反発や問題は、私の魂のステージを一つ上にあげてくれた、神様からのプレゼントだったのです。
追伸 人は何のために生まれてくるのか
人は皆、ある目的があってこの世に出てきています。
その目的は何かと言うと、霊格、魂のステージを上げるということです。
だから、日々、「感謝、感謝」で生き、何か問題が起きた時は感謝で解決する。
それで、魂のステージが一つ上にあがります。
でも、一個上がったら、それでおしまいではありません。
ステージが一つ上がると、ひとつ上がったなりの問題が出てきます。
それはなぜか。
小学校1年で足し算と引き算の問題が解けるようになったら、2年で掛け算の問題をやって、次は割り算をやって、中学校で方程式を解いて・・・・・・ということになりますよね。
そうやって段階を踏んで、算数・数学のレベルを上げて行くんですよね。
魂も同じです。
起きた問題を利用して魂のステージをひとつあげたら、もう一つ上に上がるために問題が起きて、またステージを上げていく。
それをずっと続けて言って、最終的に一番上のレベルにまで行くのです。
そのために、この世に生まれてきて、いろんなことを経験します。
ただし、通常は、一生涯のうちに魂のステージを上げるようなことが何個もありません。
だから、最上階に上がるまで、人は何度も何度も生まれる変わるようになっています。
ところが、何です。
今世、生きてるうちに、あれよあれよと魂のステージを駆け上がってしまう方法があるんです。
これはすごく簡単です。
その方法をこれから皆さんに教えます。
「人生の試験問題」の解き方、教えましょう!
分かりやすく言うと、反発や問題は試験のようなもの。
時間も、年齢も、性別も制限がなくて、しかも、あなたが回答を出せる問題しか出てこない。
それでいて、正解できたら、大きなご褒美がもらえるテストです。
私には、結局、困ったことはおこりませんでした。
あなたも、絶対に困りません。
出てきた問題に困ってしまうのは、今すぐ答えを出さなきゃって、1度で正解は出さなきゃって、焦ってしまうからじゃないですか。
人生の試験問題は、大学受験とは違います。
自分のペースで回答すればいいんです。
私も、正解をもらうまでに何度も、書いては消し、消しては書き、を繰り返しました。
解いた問題に正解をもらうまでに何年もかかりました。
「斉藤さんの仕事がしたい」
と言い出してから、実際に始まるまでに6、7年の歳月を必要としました。
その間は、「やろうかな、でも、やらずに“良い妻”“良い娘”をしてようかな」
の堂々巡り。
自分が怖がって、できずにいるイライラを周囲にぶつけたり、自分にはそんな才能なんてない、なんて言い聞かせてみたり。
でも、そんな答えで、正解はもらえませんでした。
試験用紙をもらった時に、分からない問題を見つけたら、
「この問題の解き方、わかる人いませんか?」
って、その場で大きな声を出して、聞いてしまえばいいんです。
私は、問題の解き方を、一人さんから教わりました。
一人目から聞いた答えが間違っていたとしても、また別の肯定的な考え方をする人に聞きに行けばいいだけのこと。
怖がっていたら、答えを教えてもらうことはできないし、一生、正解を出すことなんてできません。
それで、あなたが手にするものって、いったい何ですか?
世間や親、夫、子供に対して、引きつった笑顔。
自分の命に対する嫌悪感。
神様に、吐き捨てた恨み言。
あなたがもっと辛くなるものばかりをポケットに詰め込んで、それで楽しい旅ができますか?
どっちが、自分にとって尊いものか、自分の心の天秤にかけて、大切な方をとればいいと思います。
どちらが正しいということはありません。
どっちを取るのも、あなたの自由。
でも、一つの問題に正解が出せたら、自分の人生がグンと楽しくなります。
「困ったことは起こらない」
ということも分かります。
自分の心の中にある恐れを、ひとつ、また、ひとつ、となくしていくことの身軽さを、十分味わうことができるのです。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
www.youtube.com https://youtu.be/Wxo-28NMe-k
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