その現象は、やめてが言えるか言えないかっていう対処法の問題じゃなくて、自分はこういうことは絶対しないんだっていう学びのために起きている、神はからいなんだよ。
必要な学びを習得すれば嫌なことは消える
一方的に意地悪をしてくる人がいて、その相手にどうしても「やめて」の一言が言えないとしますよね。
そういう時は苦しいし、ものすごく辛いと思います。
とても難しい問題なのですが、一人さんが丁寧に答えて下さいましたので、ご紹介しますね。
「これはね・・・・・・どうしても相手にやめてが言えないのは、そういう段階にあるって事なんだよね。
自分が今、そういう経験をして、学ばなきゃいけないものがあるって事なの。
誤解しないで欲しいんだけど、魂的に言うと、相手にやめてが言えない人って、逆の立場になると、自分が今受けているようなことを人にする可能性があるんだよね。
今は相手の方が強いから意地悪される立場になっているんだけど、相手が弱かったら、自分がしてしまう可能性がある。
だからそうならないために、意地悪されることがどのくらい嫌なことかを学ぼうとしているんだよ。
今は、そういう時期にあるということなの。
わかるかい?
その現象は、やめてが言えるか言えないかっていう対処法の問題じゃなくて、自分はこういうことは絶対しないんだっていう学びのために起きている、神はからいなんだよ。
で、こんなに嫌なことは人にはしないぞ、逆の立場になっても絶対にやらないぞって思えたら、不思議と意地悪されなくなるよ。
必要な学びを習得して魂が成長したわけだから、もう学びに必要な現象はいらないんだよね。
意地悪をする人が会社にいるんだとしたら、その相手が異動になったり退社になったり、なぜか嫌なことをしてこなくなったり、あなたが出世して別の部署に移ることになったり・・・・・・とにかく、悩みの種である意地悪をされることはなくなるの。
そして、それもまた神はからいなの。
そうやって、すべてのことに対して、神はからいなんだとわかるようになれば、ますます神はからいでいいことが起きるようになるんだよ」
人は誰だって褒められたい
みっちゃん先生が一人さんと出会ったのは、まだ赤ちゃんの頃でした。
一人さんは、みっちゃん先生のいとこの友達で、いとこの家に行くと、大抵一人さんも遊びに来ていたのです。
一人さんは、いつもみっちゃん先生のことを褒めてくれました。
「みっちゃん、可愛いね!」
「とても優しくて、いい子だね!」
「いつも元気で笑顔が素敵だね!」
そう言われると嬉しくて、みっちゃん先生は一人さんに会いたいがために、しょっちゅう従姉の家へ遊びに行くようになりました。
みっちゃん先生は引っ込み思案で、いつも人の陰に隠れているような子供でした。
人見知りで友達もあまりいませんでしたし、勉強もできない。
自分は何の取り柄もない子だって、いつも思っていたんですね。
それに対して、5歳上の姉は優等生で、性格も明るくて元気。
友達もたくさんいました。
周りからは、そんな姉と比べられて「お姉ちゃんとはずいぶん違うのね」と言われてきたのです。
ところが一人さんだけは違いました。
会うたびにみっちゃん先生の良いところを見つけて褒めてくれたのです。
それがとっても嬉しくて、みっちゃん先生はどんどん自分に自信が持てるようになりました。
一人さんって、子供の時からオーラが半端なくてキラキラ輝いていました。
だから、一人さんの周りには、いつもたくさんの人がいたんです。
大人も子供も関係なくて、みんな一人さんのことが大好き。
みっちゃん先生にとっても、憧れのお兄さんでした。
そんな一人さんは、今でもみっちゃん先生をこんな風に褒めてくれます。
「みっちゃんは、観音様みたいに優しいね」
「観音様みたいな素敵な笑顔だね」
だけど、どうして観音様なんでしょうか。
その理由を聞いてみると、もっと嬉しくなるような言葉が返ってきました。
「俺が観音様に似てるねっていうのは、観音参りばっかりしてるからなんだよね。
洋画ばかり観てる人だったら、オードリー・ヘップバーンに似てるって言うような言葉が出るのかもしれないけど、俺にとって一番素敵なのは観音様だから、素敵な人を見ると観音様に似てるねっていう言葉が出ちゃうの。
でね、みっちゃんに対して観音様みたいだねという言葉がすっと出たということも、神はからいなんだよね。
観音様みたいに優しいってすごいことなんだけど、今回、病気になったことでみっちゃんはもっと優しくなれた。
みっちゃんって、素晴らしいね」
大人になっても、誰かに褒められるってものすごく嬉しいことです。
褒められると自信がついて、仕事でもなんでも顔晴ろうって思えます。
その結果、自分の能力以上の力を発揮できたりするんですよね。
引っ込み思案で人見知りだったみっちゃん先生が、まるかんという会社で社長(正規販売代理店の社長)になれたのも、一人さんがいつも褒めてくれるから。
もし誰も褒めてくれないような職場だったら、みっちゃん先生は絶対に社長なんてお仕事は務まらなかったと思います。
それくらい、褒めるって人を成長させるものなんです。
人を褒めると自分も幸せになる
人は、誰だって褒められたいと思っています。
大人も子供も関係ありません。
褒められると、嬉しくなって「また顔晴ろう」と思えます。
顔晴っていると、いい結果につながって、また褒められて、ますます嬉しくなります。
無限に、いいことが続くんですよね。
自分が褒めた相手が笑顔になれば、それが自分の喜びにもつながります。
相手に「いつも褒めてくれてありがとう」と言ってもらえると、また褒めてあげたいって思いますよね。
一人さんはこう言います。
「人を褒めると相手に感謝されて、こちらが困っている時はすぐに手を貸してくれるんだよ。
いい話があれば、いつも褒めてくれるお礼にって特別に教えてくれたりもする。
何より、人を喜ばせていると、神様からたくさんご褒美がもらえるんだよね。
だから、自分にもたくさん、いいことが起きるよ」
褒められて嫌な気持ちになる人はいません。
ですから、皆さんもどんどん人を褒めてあげましょう。
お子さんやパートナーといった大切な人はもちろん、お友達や会社の同僚、ご近所さんなど、誰にでもどんどん褒めてくださいね。
褒めると言っても、難しく考える必要はありません。
「今日の洋服、とても素敵だね!」
「笑顔が素敵だね!」
「いつも気持ちの良い挨拶をありがとう!」
「丁寧な仕事で助かるよ!」
など、ちょっとしたことでいいのです。
もしかしたら、慣れるまでは人を褒めるのが難しく感じられるかもしれません。
いざ褒めようとすると、「急に褒めるとわざとらしくないかな?」なんて考えすぎてしまったり、恥ずかしくなってしまったりすることもあるでしょう。
そういう場合は、無理をしなくても構いません。
一人さんは、こうおっしゃいます。
「なかなか人を褒められなくても、今はそういう時期なんだと思ったらいいの。
何かそこから学ぶことがあるんだよね、きっと。
でもね、人を褒めようっていう気持ちがあるだけでもいいの。
そういう気持ちがあれば、次の段階では必ず褒められるようになるからね。
心って、植物の芽と同じなんだよ。
早く伸ばそうとして引っ張ると切れちゃうの。
だから、温かく見守ることも大事。
温かく見守ってれば、やがて葉が茂り、大きな実がなるものだよ。
そのうちにうまく褒められるようになるから、今は褒めようとしている自分をたくさん褒めてあげるといいよ」
潔く身を引く必要はない
好きな人に振り向いてもらえない時って、苦しいですよね。
相手の幸せを願ってすっと身を引けたら、どんなにかっこいいことかと思うのですが、現実はなかなか上手くいかないものです。
でも、そういう時は無理に諦めようとする必要はありません。
諦められないものは諦めようとしても、結局諦められないのですから。
諦められない時の苦しみを解決するには、ひとりさんが次のようなアドバイスをくださいました。
「心の中の葛藤があるときは、心の問題を学んでみるとか、精神のことを学んでみるとかしてみたらいいよ。
そういう時ってね、魂が成長したがっているから、神はからいで苦しみが起きてるの。
人ってね、苦しくてどうしようもないことが起きて初めて、精神論とかそういうのを学ぼうとするんだよね。
だから、苦しいことが起きたら、それをチャンスだと思って良い方向に誘導してごらん。
でね、魂の成長に役立てる方向に持っていくことができれば、どんな答えを出そうと全て正解なの。
そして、その答えが出た時、靄が晴れるように苦しみは消えていくからね」
斎藤一人さんの話を纏めました。
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