天は私たちに
絶対なる自由意志を与えてくれました。
その自由意志が良い方にいっている時は、
どんどんひらめきとかを与えてくれますし、
いい人と引き合わせてくれるんです。
それが、天が作ったこの世の仕組みなんです。
この世界には普遍の法則がある
世の中は計算通りにいかないって言うけれど、それは計算が間違っているんです。
理論通りにいかないのも、それは理論が間違っているの。
だから、思い通りにいかないっていうのは、あなたの考え方が間違っているからなんだよね。
天には絶対になる正義があるの。
神的な正義があるんだよ。
この世に正義がなければ、悪いことをしても良いことをしても、同じ結果になっちゃうんです。
でもこの世には神的正義があるから、悪いことや間違ったことをしていると不幸になるという形でお知らせが来るの。
だから不幸とは間違いですよという、神からのメッセージなんだよね。
幸せというのが人生の正解なんです。
幸せで人に親切にし始めた時、人は尊敬もされるし愛されるし、良き仲間も出てくる。
そういう仕組みになっているんです。
それは人生の法則なの。
お金持ちでも貧乏人でも、高いビルから飛び降りると無事じゃないのは一緒で、不変の摂理なんだよ。
法則って分け隔てがないんです。
それで、法則を作ったのが神なの。
ビルから飛び降りた人で、この人は偉い人だから助かりましたってないの。
どんなに素晴らしい人格者でも、崖から飛び降りたら駄目なんです。
この世は神が作った法則通りにやっていると、必ず幸せになるんです。
だから、誰がやっても神の法則に従えば幸せになれるんだよ。
世の中に不幸な人が多いんだとしたら、それは間違ってる人が多いからなの。
数が多いから正しいんじゃないんだよ。
試験の答えだって、難しい問題ほど正解者は少なくなるけど、だからって間違いにはならないよね。
多くの人が言ってることでも間違ってる事ってあるの。
ずるいことをしてもお金って稼げそうに思うけど、この世の財は全て神のものなんです。
それで、悪魔はずるいことをすると金が持てそうな気にさせるの。
悪魔の話は幸せになるような気にさせるんだよ。
それで一時的にお金が入ってきても、絶対に長続きしないの。
悪いことをしてビルを建てることなんてできないんです。
この世の中を見渡してもそんな話はないの。
これが神の摂理なんです。
私は愛と光と忍耐です
私たちが魂を成長させるのは、その魂の親である天に自分の魂を近づけるためなんです。
それで天の中心にいる絶対神、つまり「独神」は愛と光の塊です。
でも自分の心に愛と光を忍耐強く置くことで、神の御心に近づくことができるのです。
だから「私は愛と光と忍耐です」という言葉を唱えることは、神と一体になることでもあります。
この「私は愛と光と忍耐です」という言葉を違う言い方で説明すると、愛というのは相手に対しての優しさなの。
光というのは明るく楽しく生きるって事なの。
それを忍耐強く行うっていう意味でもあるんです。
それをずっとやっていると、真我、つまり自分の内なる神汚れが取れてくるから、自分に起こる出来事が変わるって、違いがいっぱい出てきます。
この世界には、サラリーマンの人もいれば職人になる人もいて、それぞれが人生を楽しく生きればいいんだよ。
趣味で釣りをしてもういいし、お小遣いの範囲で自分の好きな物を買うのもいい。
そして仕事の時でもそれ以外の時でも、自分のできる範囲で人にやさしく、親切にしていればいいんです。
そうすれば必ずいい方向に導いてもらえるからね。
人の人生って元々、とても簡単な仕組みでできているんです。
それで私達は、どうやってこの人生を楽しく生きて、人に親切にできるかっていうことが、人生の一番の目的なの。
人を泣かせてもいいんだっていうことになると、それは悪魔の欲に従うことだからね。
天は私たちに絶対なる自由意志を与えてくれました。
その自由意志が良い方にいってる時は、どんどんひらめきとかを与えてくれますし、いい人と引き合わせてくれるんです。
でも、悪いことをしている時に知り合うのは悪い人なんだよ。
それが、天が作ったこの世の仕組みなんです。
神も仏もいるから幸せになれる
幸せになるために努力が必要なんです。
でもみんなは努力はしているんだよね。
だけど、うまく行く人と行かない人が生まれてしまう。
その違いは何か?
そう見た時に言えるのは、天の意志が「あなた、幸せになりなさい」っていう事に気付くかどうかなんですね。
それで、このことに気づけるのが魂の時代なの。
魂の時代に入ったということは、国と国とが争う時代ではなくなったということなんです。
黒人だ、白人だと人種の違いが問題になる時代は終わったんだよね。
みんなが幸せになっていい時代なんです。
そうなると、今度は人間的な魅力が問われてくるの。
その人間的魅力って何ですかって言うと、考え方なんです。
明るく、楽しく、人に親切にするという考え方なんだよ。
それが、幸せになるにつれて問われてくる。
よく神事が大好きだからといって、あっちこっちにお願いに行くのはいいけど、楽しく生きずに暗くしていて、それで神にすがっているって言うのは、それはただ神に逃げているだけなの。
精神論に逃げられる人がいるの。
でも神は決して逃しません。
何世紀かけても逃がさないんだよ。
それで神はあなたが気づくのを待っているの。
自分が楽しく生きて、幸せに生きて、笑顔にして、自分にできる範囲内で人に親切にする。
これ以上は望まないんです。
社長でもサラリーマンでも公務員でも職人でも主婦でも、すべての人が自分の職務を果たし、楽しく生きて人に親切にする。
これをやってる時に守護霊も役に立つし、神も役に立つの。
世の中に神も仏もないっていう人がいるけど、全ては自分の出している波動なんだよね。
神を信じない人でも、その人が望んでいる通りのことが起きるの。
だから不幸な人は不幸そうなことを言って、不幸そうな顔をして、不幸そうな服を着てるんだよ。
全身から不幸を表して、不幸を呼び寄せているって言うことに気づいてないんだよね。
つまりね、人生はどんな時でも、あなたが呼び寄せているものが来るんです。
あなたが楽しそうな顔をして、楽しそうな話をして、明るい服を着て、人に親切にしているのに不幸が続いているのなら、神も仏もいないんだよ。
これから魂の大切さに気づく時代
魂の夜明けというのは、自分も大切な魂だけど、最も大切な魂なんだということがわかる時代が来たということなんです。
でもまだまだ未熟で、自分の大切さもわからなければ、相手の大切さも分からない人が多いよね。
罪を犯すような人は人をいじめたり殺したりするけど、あれって、人の大切さが分かってないけど、自分の大切さもわかってないの。
だって、人を殺したら捕まって刑務所に入れられたり、自分も死刑になるの。
本当に自分が大切なら、自分が刑務所に入れられたり死刑になるようなことはしないよね。
だから大切なのは、自分も大切にするけど、人も大切にするってことなんです。
今までの時代、人間はまず個人のことを考えて、それから自分たちの部族の繁栄を考えるようになって、それから国家の繁栄を考えるようになったの。
そして人の国を植民地にしたり、人種差別もたくさんあったけど、これからは人類として助け合っていこうという人類愛に変わってきたんだよ。
人間ってさ、白人が優秀だとか黒人が優秀だとか黄色人種が優秀だかとかって言っていたけど、そういう時代じゃなくなってきたんだよ。
昔は人種間で差別があって、今も多少は残っているかもしれないけど、黒人と白人が結婚したり、黄色人種と結婚したりって、人種が違う同士で結婚するのが今はすごく増えてきているよね。
そうやって同じ人間同士なんだからいい事じゃないかってなった時、人種が違っても同じ人間としての魂を持っていることがお互いにわかってくるの。
どこの国でも嫌な奴がいるんです。
それと同じで、どこの国に行ってもいい人はいるの。
それでいい人かどうか、魅力的かどうかと言う、人の本質を見る時代に入ってきたの。
大きい流れの中で、今、魂の時代に入ってきたということなんです。
第三の目よりも世間の目の方が大事
私はどんな時でも、自分が幸せで、人に親切にするという方向にしか行かないようにしています。
不幸せの人って、そうじゃない方向に行ってるんだよね。
人を泣かせても自分は幸せになりたいとか、自分を犠牲にして人を幸せにしたいとか。
要は間違っているんです。
その間違っている証拠に、あなた不幸だよねって。
幸せになってないよねって言いたいの。
神はみんなに幸せになってほしいんです。
それで、みんなが幸せになる方法ってあるんだよ。
それは、自分が幸せになって、その方法を人に教えるの。
それしかないんだよ。
人は成功して偉くなると、人を褒めやすくなるんです。
そこで間違えるのは、偉くなると人に褒めてもらおうとするんだよね。
偉くなったら、人を褒めるようにすればいいの。
幸せとは道理なの。
高いところから落ちると怪我するのと一緒なんです。
人に世話になったら必ずお返しをするの。
そんなこともしないでうまく行かないって、行くわけがないんだよ。
それは道理に合わないから。
それで、道理って常識なの。
常識はやって当たり前なんです。
だから常識以上のことをして、初めて成功するんだよね。
常識すらないのと、常識以上では全然違うんだよ。
常識以下では駄目なんです。
この前、ある人に「前髪を上げた方がいいよ」って言ったら、「それは額の第三の目が良く見えるようになるからですか?」って聞くんだけど、そうじゃないの。
その人は髪の毛がボサボサで手入れもしてないから、だらしなくしているとやる気がないように見えてしまう。
だから、第三の目よりも世間の目の方が大事だよって言いたいの。
商売だって、いつも笑顔で幸せそうにしてる人のところには、楽しいから人が集まるよね。
さらにその人が周りの人達に親切にしたら、間違いなくその店は繁盛するんだよ。
そうやって人気が出ると今度は弟子ができるの。
そしたら教えなきゃいけなくなるんだよ。
それで、集まってくる人って、未熟な人たちが来るんだよね。
未熟だから弟子になるんだよ。
そして教えていると、自分の修行にもなるんです。
そうやっていい先生になればなるほど、今度は優秀な人が来るようになるの。
最初に来た人は共に歩くから優秀になるんだよ。
追伸 人生とは、自分の「楽しさ」を見つける旅路
私たちには「自由意志」というものがあります。
その「自由」とは、「何をやってもいい」ということではありません。
自由には必ず「責任」が伴うのです。
だから、本当の「自由」とは、自分で決めたこと、選択したことを行動に移し、その結果に責任を持つことなのです。
「楽しい」というのも、「楽」をすることではありません。
自分が楽しいのも大事ですが、相手が楽しくて、周りが楽しくて、その楽しさが広がれば広がるほど、その楽しさの喜びも大きくなります。
人生とは、自分の「楽しさ」を見つける旅路です。
その旅路の途中で、同じことに「楽しさ」を見出せてた付き合える仲間やパートナーが見つかれば、その旅をさらに楽しいものにすることができるのです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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