幸せになるって自分で「意思」を定めれば、いつのまにか「幸せな道」が出来上がるのね。
不幸は湧いてくる「感情」だけど、幸せは、自分の「意思」なんだよ
はい、斎藤一人さんです。
「感情」がない人っていないんです。
人の魂はエネルギー体なので、何かを見たり聞いたりすると、「嬉しい」「怖い」「楽しい」「悲しい」「頭にきた!!」って、ブルブルと震える。
その震えが、感情なの。
では、なぜ神様が人に感情を与えたのかと言うと、感情があることで幸せになれるからです。
「じゃあ、幸せって感情のことなんだね」って思うかもしれないけど、それは違います。
こんがらがらないで欲しいんだけど、幸せって「意思」なんです。
不幸が「感情」なの。
感情は自然と湧き上がるものだから、自分で意識しなくても、「やった」って喜んだり、「嬉しいなあ」って涙が出たり、胸がときめいてドキドキしたりするだろ?
あなたがコントロールをして、無理やり沸き上がらせているわけじゃないよね。
それから、瞬間的に「嫌だ」って思ったり、ムカッときたり、恨みがましくなる感情だってある。
それもあって当然なの。
そうやって『自然と湧いてくる、不幸も喜びもごちゃごちゃの感情』に対して、幸せって言うのは、『になると決めた意思』のことなんです。
意志が定まっていないと、不幸な感情が次々と沸き起こるようになる。
それどころか、その振動に翻弄されるようになっちゃう。
翻弄された人は、またどうなるかわからない未来のことまで心配し続けるようになっちゃうんだよ。
そうすると、今目の前にある幸せがどんどん見えなくなるんだね。
炊きたてのあったかいご飯を食べながら、「美味しい」とも言わずに、しかめっつらして、「将来、老後破産をしたらどうしよう」って話すようになっちゃうの。
そうなると、今だけじゃなくて、まだやってこない未来のことまでずっと心配し続けるようになっちゃうんだよ。
人類の長い歴史を振り返ってみると、厳しい自然や外的にさらされて、いつも「備えあれば憂いなし」でいないと、生き抜けない時代がたくさんあったんだね。
だから、人には心配することが染みついちゃっている。
だけど、21世紀は憂いてばかりいたら病気になっちゃうの。
心配が過ぎると、「恐れ」になります。
恐れは地獄の感情なんだよ。
恐れると、神様に祝福されてやってきたこの世が、とても生きづらい地獄に変わっちゃう。
だから、不幸な感情が沸き起こったら、幸せなことを考えるんだよ。
意志で持って自分を幸せにしてあげるの。
そうすると、心ってコロッと変わる。
それが、感情と一緒にこの世に生きる学びです。
幸せってね、ある日突然、空から降ってくることはないんだね。
自分の意志で見つけるものなんだ。
「幸せになる意志」を持っていない人は、たとえ高額な宝くじが当たっても、「誰かに騙されるんじゃないか」って不幸なの。
目の前をものすごく好みの人が横切っても、「自分は相手にされないに違いない」って不幸なの。
幸せになる意思を持って、毎日、目の前の幸せを見つけながら歩くと、いつのまにか幸せな道が出来上がっているんだよ。
「今日も生きていて幸せ」
「お日様があったかくて幸せ」
「ご飯が食べられて幸せ」
あなたの周りには、こんな風に、たくさんの幸せがあるよね。
「そうは思わない」って感じたら、1分間、息を止めてみな。
1分後には必ず思うはずだよ。。
「ああ、気ができて幸せ」って。
いくら前の方を探しても、「幸せの道」ってものはないの。
遠くになんかないの。
「幸せの道」は、いつも振り返った時に、後ろに出来上がっていることを忘れないでおこう。
「喜怒哀楽」って言うけれど、人によって感じ方や表現の仕方が違うから、10億人いたら、10億通りの「喜怒哀楽」があると思うといい。
まずは、自分の「喜怒哀楽」を知ることが、とっても大切なの。
例えば、海に行くつもりだった日曜日の朝、起きたら雨が降っていたとするね。
そこで、ある人は悲しくなっちゃうんだよ。
「ずっと楽しみにして、なんてツイてないんだろう。
こんなに降っていたら、海で泳げないどころか浜辺に降りることもできないじゃないの」って。
また、ある人は怒り出すんだよ。
「ひどい、これで予定が台無しだ。
雨の日は気持ちがどんよりする。
ああ、頭まで痛くなってきた。
雨なんか大嫌いだ!!」
そうかと思えば、がっかりした後、すぐ気楽になっちゃう人もいる。
「海は次の休日の楽しみにして、今日はゆっくり家で本でも読もう。
しとしと降る雨音を聞きながらの読書は、とっても贅沢な気持ちになるなあ。
そうだ、美味しいお茶を入れて、クッキーでもつまもうかな」
なんてね。これが、「自分を幸せにする意志」なんです。
あなただったら、楽しみにしていた休暇が中止になった時に、どうする?
どんな気持ちで、その日を過ごしたいと思うかな?
人生には、不意打ちの雨のような問題がたくさん起こるんです。
その時、自分はどんな感情を選ぶのか。
とは、それを一生かけて練習していくんだよ。
不幸な感情を、「幸せになる意志」で動かす学びは、神様が与えてくれた「魂を磨く魔法」だね。
大人になると背丈の伸びは止まるけど、心は体に収まりきれないくらい大きく成長を続けていく。
心がコロコロ変わる中には、「悲しみの成長」もあるし、「怒りの成長」や、「苦しみの成長」だってあるんです。
だから、こういうことがあると自分は悲しいんだ、こうすると怒るんだな。
ああ、こんなことが起きると苦しいと感じるんだって、コロコロ変わる心を通して、自分の喜怒哀楽をよく知っていくの。
そして、同時に、「私が今感じたように、きっと他の人も悲しい思いをするだろう」って、他人への思いやりも学んでいく。
不幸な感情を知ると、自分にも他人にも優しくできるんです。
だからね、「全ての感情は、愛に繋がっている」と思ってください。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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