強運には法則がある。
誰でも強運になれる。
「お金が無いなら、働く」。それって、恥ずかしいことですか?
「僕の家は貧乏だから、奨学金をもらって学校に行くんだ」って言う人がいます。
勉強が好きな人は、奨学金をもらってもいいんです。
だけど、奨学金をもらうほど、勉強が好きじゃない人もいますよね。
そういう人は、働けばいいんです。
お金が無いなら、働く。
とてもシンプルな選択です。
でも、学校に行かないで働くって、恥ずかしいことみたいに思っている人がいますね。
でも、本当に恥ずかしいことなんですか?
働くことを選ぶのって、恥ずかしいことなんですか?
よく考えてみてください。
あなたが一生懸命働いていたら、必ずあなたを応援する人が出てくるんです。
炎天下で一生懸命練習して、それでも甲子園に行けなかったとする。
甲子園に行けなくったって、いいんです。
その人が会社に入った時に、
「あの炎天下でやっていたことに比べたら、会社の仕事なんて楽なもんですよ」
と言って、一生懸命仕事したとします。
その人は絶対、出世します。
昔やった努力というのは、必ず後になって生きてくるんです。
過去を引きずって、自分を苦しめるのはやめよう
私はちっちゃいときから、体の具合が悪かったんです。
でも、「俺は体の具合が悪いから、学校に行けなかったんだ」って言うと、悲劇のヒロインみたいで暗い。
相手にも気を遣わせてしまいます。
私は、悲劇のヒロインなんかに、なりたくない。
どんなときも、明るく、楽しく、生きたいんです。
だから、「自分の好きで学校に行かなかったんだよ」って言ってると、話がだいぶ変わってくるんです。
もちろん、私の場合は本当に学校に行きたくなかったのですが。
私の弟子のみっちゃん先生が、前にパーティーで乾杯の音頭をとった時に、「乾杯!!」って言って、手を出したら、コップを持っていなかったそうです。
みっちゃん先生は、その時のことを気にして、「思い出すだけで、冷や汗が出るんです」って言っているから、「その言い方、よしな」って言いました。
そういう時は、
「思い出すだけで、笑いが止まらなくなる」
というだけで、人生って、違ってくるんですよ。
みんな過去を引きずっていて、
「自分はダメな人間だ」
「どうせダメだから、努力なんかしなくていいや」
って言っているけど、過去を変えればいいんです。
昔あったことを、明るく、楽しい思い出に、自分の中で変えるんです。
この前も、面白いことがありました。
私は中学校の同級生に会うたびに、冗談で、「俺も生徒会長、長くやってたからね」って、何かにつけて言っていたんです。
もちろん私は、生徒会長なんか、していません。
そしたら何年も経ってから、同級生が私と会った時、「お前、生徒会長、やっていたよな」って本気で言ったんです。
過去のことなんて、誰も細かく覚えていないんです。
誰も覚えていないことを、何度も思い出して、自分を苦しめるのはやめましょう。
自分を苦しめるより、明るく、楽しく、生きましょう。
こういう考え方が、強運を招くんですよ。
自分に損になることは、一度でも考えたらダメ
私は中学校しか出ていません。
そのことをソンだと思ったことは、一度もありません。
「早く社会に出たから得なんだ」って、何かにつけて思っています。
あと、サラリーマンの経験もありません。
「サラリーマンに向かないから、社長もむきなんだ」とも思っています。
社長って、「経験業」なんです。
一つ一つ経験して、「こういう場合は、どうしたらいいか」を覚えていくんです。
中には、「社長業をやってみて、こんなに苦しいとは思わなかった。もう社長をやめて、サラリーマンに戻ろうか」って思う人もいるようですね。
でも、私は、戻れないんです。
サラリーマンの経験がないから、社長業を続けるしかありません。
だから、社長業を続ける条件としては「ものすごく良い条件」を持っていますよね。
いつも、そう思っています。
自分の心というものを、不利な方に使うか、有利な方に使うかで、人生って、全然違ってくるんです。
私は、不利な方には、絶対に使いません。
ただの一度だって、自分の損になることを、考えたら駄目なんです。
「それで、人生うまくいくんですか?」って、いくんです。
強運を招くのは「ちっちゃな努力」
私は「強運は考え方次第だ」と思っています。
だから、お弟子さん達にも、私が知っている強運になる考え方は、全部伝えています。
強運を運ぶのは、やっぱり笑顔です。
悲しい顔をしている人には、明るい人や、明るい話が、集まるわけありません。
自分の人生を悲劇と捉えて、悲劇のヒロインぶってる人に、明るい話なんて来ないんです。
あと、強運を招くのは「ちっちゃな努力」。
松下幸之助さんが、あそこまで出世したのだって、「ちっちゃな努力」の連続なんです。
よく知らない人は、自転車屋の丁稚から、いきなり「世界の松下」と呼ばれるまで、飛び越えたと思っているんです。
でも松下さんは、自転車屋の丁稚の時は、一生懸命、丁稚奉公をしていたんです。
その後、大阪電灯(今の関西電力)に入った時も、一生懸命、仕事していたんです。
ソケットを作り始めた時は、一生懸命、いいソケットを作ろうと努力したんです。
全て、「ちっちゃな努力」の積み重ねなんです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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