早く成長しようとする必要はありません。
「いのち」には、無限の時間があるのだから。
『いのち』
例えばおかしいかもしれませんが、心の修行というのはね、できない女性が2階のまだからって送っているようなものなんですよ。
「あぁ、素敵だな」と思って、今すぐあの女性のところへ行こうと跳び上がったって2階には届かないの。
それよりも裏に回れば階段があるんだよ。
しかも階段の一段の高さは、自分の足が上がるくらいの高さしかないんですよ。
だから、1歩ずつ足を出していけば、上がっていけるんです。
簡単に言うと、東京から大阪まで駆け足で行ける人って、まずいないんじゃない?
でも、歩きだと、時間はかかるけど、到達できるんですよ。
わかりますか?
早く到達する必要はないんだって、言いたいのです。
なぜなら、神様って、すごく気が長い人なんです。
300年だろうが、平気で待ってくれちゃうの。
なぜなら、神様には時間という概念がないから。
そして、「いのち」には無限の時間があるんです。
それでも、早く魂の最高地点にたどり着きたいのなら、生まれてくる時に、神様と約束したこと───この人生は楽しく生きて、人に親切にすることを忘れないことです。
周りの人には親切にするけど、自分は楽しくない、というのはダメなんだよ。
逆に、自分が楽しむために誰かに犠牲を強いるのもダメ。
人は誰かの犠牲になるものではないからね。
では、どうしたらいいのかと言うと、一番いいのは、「ともに」です。
共に楽しく生きて、互いに親切のしあいっこをするの。
それを、笑顔でできると、なおいいよね。
ただし、急に笑顔にはなれないから、笑顔になろうと努力すること。
そして、その努力を始めた自分を褒めること。
その努力をしている仲間を褒めること。
一歩でも歩き出そうとしたことを「すごい」と思わずに、
「もっとここまで行けるでしょ、あなたは」
何てことを言うのは鬼です。
引きつるような笑顔でも、やってることがすごいんです。
そこを、まず褒めること。
ひとりさんは、このことを一生涯かけて、学び続けるつもりです。
「それが終わったら次は・・・・・・」なんて考えない。
今は、1つのことをやって、やり終えたら、「次のこと」を考えればいいのです。
それが、この「生き通し」を楽しむコツだと私は思っています。
叡智
仕事は「楽しく」「楽しく」「楽しく」捉えてやると、過去に楽しく成功した人たちの知恵が入ってくるんです。
私は、「仕事の成功」には、一つのパターンがあると考えています。
それは、思ったことをやってみると、最初はなかなかうまくいかないのです。
だから今度はうまくいかせようと知恵を出します。
実はこれが楽しいんです。
そして、その知恵を行動に移すこともまた楽しい。
やった結果、うまくいかない場合は、また知恵を出します。
それが楽しい。
うまくいけば人から喜ばれるから楽しいし、喜ばれるとお金が入ってきます。
商人の場合は利益が出るし、お勤めの人ならお給料が出ます。
楽しいでしょ。
利益が出たら税金を納めるのですが、それで道路ができたり、福祉が充実したり、人の役に立つとまた楽しいのです。
この「楽しい」「楽しい」を続けていると、勝手に成功しちゃいます。
楽しくて笑いが止まりません、さらに仕事はうまくいっちゃうんですよ。
このように仕事を笑いながら成功した人間は、何も私ひとりではありません。
発明王のエジソンであるとか、渋沢栄一であるとか、過去にもたくさんいます。
その人たちの肉体は今はありません。
ただ、楽しく笑いながら成功した、その知恵が保管されている場所が、どこかにあるんです。
目で見ることも、手で触れることもできないけれど、成功の知恵がたまっている場所があります。
その場所を『叡智』と呼ぶのだそうですが、それが何という名前で、どこにあるかは、私にとってはさほど重要ではありません。
それよりも、仕事を「楽しい」「楽しい」「楽しい」でやることの方が大切だと思っています。
そのように仕事をしていると、過去に楽しく笑いながら成功した人たちと波動が一致し、その人たちの知恵が入ってきます。
信じられないような話に聞こえるかもしれませんが、私はそうに違いないと思っています。
もし、そうじゃないとしたら、自分の実力だけで累積納税額で日本一になれたはずがないのです。
『インスピレーション』
私は「叡智」について研究しようという気になりません。
それよりも、「叡智」をちゃんと使えているかどうかです。
心楽しく、ワクワクしていると、「叡智」に保管されている、楽しく笑いながら成功する知恵が『ひらめき』という形で自分のところにやってくるよ。
と、私がなんとなく呟いた時、ある人にこんな質問されました。
「叡智って、私たちの心の中にあるんですかね?」
私は、人間の心と「叡智」は本来繋がっていると思います。
ただ、そのことについて研究したことも、研究したいと思ったこともないのです。
だから、「心と叡智はつながっている、とは思うけど、詳しいことは分からない」と答えました。
もし、みなさんのなかに、叡智と心の関係に興味があり、研究したいと思っている人がいるとしたら、是非、研究してみてください。
自分の好きなことを研究すること自体が楽しいし、それを聞いた人が「楽しいな」って思うような伝え方が、もし、できたとしたら、人に喜ばれて、あなたはさらに楽しくなるに違いありません。
ただ、私の道、その道ではないのです。
私の場合は、叡智というものを使えれば、もうそれでも十分なんです。
皆さんだって、電気を使うのに、電気がどうやって自分の家まで来るのか、そもそも電気とは、どういうものなのか、ということを考える、なんてことはないでしょう。
ほとんどの人は、使えればいいやと思っているんじゃない?
私が叡智を研究する気がないのは、それと全く同じなのです。
人から何か質問された時に全部に答えようとするのは、素晴らしいことだと思うけど、私はそれよりも大切なことがあると思っているんです。
そしてそれは、何でも知っていることの1000倍も役に立つことなんです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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