「機嫌を良くするのって、この世で最高のボランティアだよな」
人を喜ばせると、同じ分だけ、自分の喜び事として返ってくるよ
個人カウンセリングで、こんな質問をされたことがあります。
「神様に愛されて、人に好かれるためには、どうしたらいいですか?」
神様からも世間様からも可愛がられる人には、ある共通点があります。
- 自分が喜びを感じながら
- 神様に喜ばれるようなことをして
- 人を喜ばせる
こんな風に、「三つの喜び事」を同時に達成しているのです。
神様や世間にだけ喜ばれようとしても、うまくはいきません。
反対に、自分だけが喜ぶことを追求すると、神様からも世間からも嫌われてしまいます。
例えば、一人さんは著作などで「昨日よりも、物事をよりよく見る方法」を、たくさんの人に伝え続けています。
神様のお話もたくさんします。
そして、人を健康で幸せにしたいという強い思いを持っていて、たくさんの健康食品を開発しています。
一人さん自身が、何よりも楽しみながら、こうした仕事を続けています。
たくさんの人から喜ばれる生き方をしている一人さんは、神様からも世間からも「可愛がられる人」になっています。
私は一人さんに仕事上のアドバイスをもらうことがありますが、おかげさまでうまくいって、お礼を伝えるたびに、こんな風に言われるのです。
「りえちゃんだけにとってことはないんだよ。私にも必ず、そのぶんの良い事が来るんだよ」
だから一人さんは、いつも「自分の喜びのためにやっているんだ」と言って、人のために気持ちよく動いてくれます。
そして、ますますついている人になっていくのです。
あなたも自分が無理せずに喜んでできることで、是非、人の喜び事を手伝ってあげてみてください。
例えば、あなたが人の喜び事を100手伝ったとしますよね。
相手が本当に喜んでくれた時には、必ず自分の元にも100の喜び事が返ってきます。
私も先日、ブログにある人が書いた本の紹介をしたら、その記事が出版社の人の目にとまり、その会社から執筆依頼が舞い込みました。
神様がお喜びになったサインは、こんなふうにいつでも分かりやすくてシンプルなのです。
「人のために一生懸命やっているのに、自分には何もいいことがない」
もしそんな風に感じることがあったら、本当は相手から喜ばれていないのかもしれません。
もしくは、あなた自身が心からの喜びを抱けていないということもあります。
「人の為」と書いて「偽」という字になりますが、偽善の行動では、自分の魂も相手の魂も喜ばせることはできないのです。
それでは、神様も喜んでは下さいません。
また、100の喜びごとが一気に返ってくるのではなく、朝起きたらものすごく気分が良かったとか、電車の乗り継ぎがとてもスムーズにできたとか、欲しかった本をプレゼントされたとか、喜び事が小分けにされて戻ってくることもあります。
戻ってくるのが大きくても、小さくても、そのことにこだわらず、喜び事に気づいて感動する自分でいると、どんどん可愛がられる人になっていきます。
それでも、時には失敗することがあります。
自分では一生懸命やったつもりなのに、悲しいことが起こることもあります。
そんな時も、決してあわてないで、いつでもあなただけはあなたの味方でいてください。
全ての経験と感情は「大丈夫」に繋がっています。
失敗の中にこそ、白い石を置ける絶妙の場所があります。
だから、失敗したり、悲しい思いをしたりした時は、
「私に、どんなお話をしてあげたら元気になるかな?」
「私は、どんな言葉をかけたら安心するかな?」
そう考えてみるといいですよ。
前にも書きましたが、思いは、自分との会話です。
夜、寝る前には、「がんばってるね」と自分を認め、たくさん褒めてあげてください。
神様は、素直な人が大好きです。
「自分はダメなんだ」
って、下を向いている人には声を届けづらいけれど、
「あ~、駄目だったな。じゃあ、今日からもっと工夫してみよう!」
って素直に明るさを選ぶ人のことは、神様もたくさん可愛がりたくなります。
自分の機嫌を良くするのって、この世で最高のボランティアだよな
一人さんはいつも機嫌がいいんです。
「自分の機嫌くらい自分で取って生きるんだよ。人に取らせちゃだめだよ」
これが口癖です。
機嫌の悪い人がいると、
「私、何かしちゃったかな・・・・・・」
「どうすれば、機嫌を直してくれるんだろう」
と、周りの人が気を使います。
そう思わせてしまったとしたら、それは幸せになる石(意志)を放り投げて、自分にも周囲にも黒い石をぶつけまくっている状態です。
昔、一人さんと一緒に地方でタクシーに乗った時の事です。
行き先を告げる一人さんの言葉のイントネーションを聞いた運転手さんが、ミラー越しに私達を一瞥して、吐き捨てるように言いました。
「お客さん、東京から来たの? 俺さ、日本中で東京が一番嫌いなんだよね! あんな空気の悪いごみごみしたところ、人が住む場所じゃないよねぇ」
「んっ?」となる私を横目に、一人さんは変わらないトーンで言いました。
「運転手さんも、東京に住んだことがあるのかい?」
「ハハッ、ないよ。大嫌いなんだから」
「そっか。ここもいいところだけどさ、『住めば都』って言うだろう? 東京もいいところなんだよ」
飄々と言われたのが肩透かしだったのか、運転士さんはそのままむすっと黙り込みました。
タクシーを降りた後で、私が「嫌なことを言う人でしたね」と顔をしかめると、一人さんは笑いました。
「言っていい事と悪い事、判断できたら一年生。
あの運転手さんは、まだ幼稚園児なんだよ。そう思うと腹も立たないだろ?」
「ははあ、なるほど」
言ってはいけないことを言って、人の気分を害する人は、人間関係を学ぶスタートラインに立ったばかりだという意味です。
一人さんは、小さい時からお母さんによくこの言葉を聞かされていたそうです。
「言葉がちゃんと使えるようになれば、人間関係の一年生。できない人は、幼稚園」
そう考えるともっと下気持ちは引っ込んで、一人さんの涼しい横顔に、私はすっかり毒気を抜かれました。
「それにさ、あの人はどう見ても、タクシーの運転手さんには向いてないだろ。
それなのに、ああやって向いてない仕事を一生懸命にやっているんだよ。
あの人が今できることを精一杯やってるんだよな。
偉いじゃないか」
20代の私が、お師匠さんの「不動のご機嫌」を目の当たりにして、脱帽した出来事です。
その後、一人さんはこうも言いました。
「機嫌を良くするのって、この世で最高のボランティアだよな」
確かに柳に風で相手の相手を受け流す一人さんは、私の不機嫌もたちまち洗い流していました。
ご機嫌な人のエネルギーって、周りにパッと伝染するんですね。
生きていると、毎日、いろんなことが起こりますが、あなたも自分で自分の機嫌をとれる素敵な人でいてください。
「面白いな。こんなことが起きるんだ。
ここから、何を学びなさいって言われているのかな?」
そうやって考える時、私は「今、こんな風に私が考えていることが、もうすでに面白い」と、いつも感じています。
「なんだか、嫌だな(困ったな)」
と引っかかることは、神様との初めての対局なのです。
2度目の対局なら、もっと早くに対処できて、よりスムーズに「楽しい」になるからです。
だから、簡単にご機嫌でいられないことが起きたら、
「きっとはじめての対局なんだ。面白そう」って思ってみると、
ストンと心の力が抜けていきますよ。
「年齢相応」「身の丈」という世間一般の常識に縛られる必要はないんだよ
時々、「人の気持ちが分からない」と悩む人がいます。
カウンセリングの人間関係にまつわる相談の中でも、
「夫(または妻、恋人、親、兄弟、子供、友人など)が、何を考えているのかわからない」
とおっしゃる方が少なくありません。
私が見ていて感じるのは、極端に人の心の機微がわからない人は、自分の気持ちもよくわかっていないということです。
自分が何が好きで、何が嫌いなのか。
どんなことを喜びに感じ、どんな時に幸せで涙が溢れるのか。
子供の時は、きっといろいろなことに感動したはずなのに、何時からか自分の感覚に鈍感になって、そのまま無関心になり、それが度をすぎると、黒石を拾って歩くようになってしまうんですね。
だから、人付き合いを見直す前に、まずしっかりと「自分付き合い」することをお勧めします。
「外に出て、季節の匂いを感じてください」
カウンセリングでは、そう言います。
季節だけではなく、お天気によっても空気のにおいや風景の色は変わります。
ふとした自然の移ろいや色彩、キラキラした木漏れ日は道に咲いた可憐な花に気づいた時、神様なんて素敵な世界に私たちをご招待してくださったのだろうと思います。
暖かな春の日差し。
夏の到来を知らせる瑞々しい緑の匂い。
抜けるように高く澄んだ秋の空。
しーんと空気がさえた冬の朝。
あなたの心が嬉しくなるのは、どんな景色ですか?
心に染みてじいんとするのは、どんな匂いですか?
自然の中に探しに行きましょう。
すると神様が、その日のその時間、あなたに見せてあげたい景色を目の前に用意してくださいます。
旬の食べ物も、是非楽しんでみてください。
今は栽培技術や流通網が発達して、一年中様々な食べ物を味わうことができますが、旬のも(盛り)のは、その時期で最も生命エネルギーが高く、見た目もキラキラしていて、とても綺麗です。
私は八百屋さんの前で足を止めて、お野菜に見惚れることもあります。
旬の時期以外でも、出始めの「走り」から、終わりかけの「名残」まで、ずっとエネルギーがみなぎっていて美味しいのですから、それぞれ味わいたいですね。
自分の「好きなもの」が分かっていないと、心と体がその食べ物を欲しがっているのに、
「高いなぁ」
「自分のためにだけ買うのはもったいない」
「今の自分には分不相応」
などいろんなことを考えて、選ぶのをやめるようになってしまいます。
好きなものが分かっていて、自分に素直に与えてあげられる人は、人の様子にも気づいて、「これ、お好きでしたよね。どうぞ」って言えるようになっていくんですね。
季節を敏感に感じるようになると、「春っぽい色の服を着たいな」とか、「夏だから、鮮やかな景色を見に行こう」など、心がワクワクすることも増えます。
年を重ねるにつれて、ワクワクする事が少なくなっていくという人もいますが、本当は自分で色々決められる分、うんと楽しいことができるはずなのです。
決して、お金さえあれば幸せになれるわけではありませんが、自分でお金を稼いで、使える金額と使い道を全て決められるのは、大人の特権ですよね。
贅沢をしなくても、その時の旬の食べ物を買ってきて、ゆっくり味わうだけで心と身体は喜びます。
子供の時は苦手だった食べ物が、びっくりするほど美味しく感じられる発見もあるかもしれません。
年々、好きな事や好きなものを増やしていく暮らしは、神様がとても喜んでくださる幸せな生き方です。
自分の好きを見つける時は、「年齢相応」かなとか、「身の丈に合ってるかな」とか、世間一般の常識に当てはめて考えるのはやめましょう。
私は、常識をあてにしていません。
常識は、その時の最大公約数に過ぎないので、いつかひっくり返ることがあります。
かつて常識だとされてきた健康法やエチケットが、今は真逆の非常識とされていること、たくさんありますよね。
それよりも、自分基準の日でき感覚やマナー良識を育てることが、一番素敵なことです。
自分なりの幸せの幅と、好きな基準を持っている人は、「この人には、この人なりの基準があるだろう」と、他の人を尊重することも上手になりますよ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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