自分の感情に素直になると、得なことしか起こらなくなります。
素直になるのは、「人の感情」でなく、「自分の感情」にが、正解だよ
一人さんが「人の感情ではなく、自分の感情に素直になろう」とおっしゃっていましたが、これは決して「わがままになろう」ということではありません。
例えば、あなたが怒りを覚えた時。
荒れ狂う感情の波の奥底には、小さな本音が潜んでいるはずです。
それを見過ごしてはいけません。
「話を聞いてもらえなくて、悲しかった」
「自分だけ仲間外れになった気がして、寂しかった」
「図星を言い当てられて、恥ずかしかった」
怒りの奥深くには、きっと、そんな頼りない小さな子供みたいな本音が隠れています。
かくれんぼしている本音を見つけて、素直に言葉にしていきましょう。
ある時、私は一人さんから仕事の資料として、本を取り寄せるように言われました。
その場で不得意なネットを駆使して、翌日の午前中に本が届くように手配をしましたが、次の日になっても、指定した時間帯に本が届きません。
問い合わせると、宅配便のトラブルでした。
「どうしようかな」と思っていると、夕方、一人さんがサロンに行ってきて、「仕事しようか」と言われたのです。
「すみません。実は本がまだ届かないんです」
「ちょっと頼んだのか?」
「はい。昨日一人さんと一緒にいる時に手配しました」
「じゃあ、今日は仕事にならないな」
そう言われて、私はすごく悲しい気持ちになりました(多分、私は何か他のことでイライラしていたのでしょうね)。
でも、そこで私が「そうですね。わかりました」と言ってしまったら、会話を打ち切ることになります。
だから本音を言いました。
「その言い方は傷つきます。
慣れないパソコンで注文したのを一人さんも見ていましたよね。
でも宅配便のトラブルで、予定通りに届かなかったんです。
『じゃあ、今日は仕事にはならないな』って言い方は悲しいです」
そうしたら、一人さんが言いました。
「私は、『じゃあ、今日は仕事にならないから、ご飯でも食べに行こうか』って、そういう意味で言ったんだよ」
「それなら、そこまで言ってくれないと分かりません」
「ああ、私も言葉が足りなかったか。悪かったな」
我ながら、しつこい弟子なのです。
でも、本音を素直伝えれば、人と人、まして信頼している相手とは必ず分かり合えます。
あなたが起こった、相手を攻撃したくなったりした時、「本当の気持ちはそうじゃない」って、直感は分かっているものです。
だけど、うつり表面に沸き起こった怒りや不安で覆い隠して、本音を見ないようにしてしまうんですね。
本音を言うのが恥ずかしかったり、悔しかったりするかもしれません。
そうすると、「もういい」なんて言葉が、思わず口をついて出てしまいます。
でも、自分の感情に素直になると、得なことしか起こらなくなります。
だから、むっとしたり、かっときたら、まず深呼吸。
素直な気持ちで、かくれんぼしている本音を探りましょう。
素直になると、ますます直感が磨かれてきて、白い石の置ける場所がよく見えるようになります。。
神様とのオセロは、本音を素直に口に出した人の勝ちです。
「地獄言葉」は、口にするのはもちろん、思うだけでもいけないよ
私は定期的に、お弟子さんたちを養成するスピリチュアル・カウンセラー養成講座を開いています。
ある養成講座で、カウンセラーの一人が言いました。
「私はいつも『天国言葉(明るくて綺麗な波動の言葉)』を話すようにしています。
でも内心に『地獄言葉(暗くて汚い波動の言葉)』が湧いてくることもあります。心の中で思うだけなら、構いませんか?」
答えは、「いけません」です。
あなたが、一人さんや私の本を他に読んでくださっていたら、もうよくご存知ですよね。
「天国言葉」とは、口にした人も聞いた人も嬉しい気持ちにさせる太陽の波動に満ちた言葉のことを言います。
天国言葉
「愛しています」
「ついてる」
「嬉しい」
「楽しい」
「感謝してます」
「幸せ」
「ありがとう」
「許します」
他にも、「おかげさまで」「素敵ですね」「美味しい」「さすがです」など、天国の波動を持った言葉はいくつもあります。
それに対する「地獄言葉」は、天国言葉と正反対の地底の波動を持っています。
地獄言葉
「恐れている」
「ついていない」
不平・不満
愚痴・泣き言
悪口・文句
心配事
「許せない」
たとえ言葉にしなかったとしても、自分の中にはいた地獄言葉の思いに付き合ってはいけません。
なぜなら、思いは「自分との会話」だからです。
地獄言葉を長々と人から言われることに、あなたは耐えられるでしょか?
嫌ですよね。
地獄言葉ばかりを言う人とは、お付き合いをしたくないって感じるはずです。
自分の中に生まれた地獄の思いに付き合うことは、そういうマイナスな人の近くで真剣に話を聞いているのと同じことになります。
そうやって自分自身と地獄の会社を続けていると、そう遠くない時期に、手の中に真っ黒な石をたくさん握りこむことになります。
反射的に「あの人、嫌だな」「腹が立つ」と思うことは、誰にでも起こります。
そんな時は、「どうしてだろう?」って、自分に一旦問いかけてみましょう。
もしも、私が誰かにテーブルの下で足を蹴られたら、
「なぜ、私をけるの?」と、その人に聞きます。
「気に入らないから」と言われたら、
「何が気に入らないの?」と質問します。
「入ってきた時に、挨拶しなかったじゃない」
そう言われたら、「あ、そうだったのね。気づかなくて、ごめんなさい。でも蹴られたら痛いわ」と、ここで一つ学んで解決します。
もし、「どうして蹴るの?」と聞いて、「むしゃくしゃしているから」と言われたら、「今日はそういう日なのね。じゃあ、あまり近づかないでおくわ」って、その人と距離を置きます。
長々と一緒にいるようなことはしません。
それなのに、後からその感情を持ち出して、「あの人、テーブルの下で私を蹴ったのよ」と他の人にグチグチと話したら、聞いた人まで嫌な気持ちになってしまいます。
もしかしたら、その人は、私が愚痴を言った人にとっては、とても礼儀正しくて優しい人なのかもしれません。
そうだとすると、相手の意地悪な振る舞いは、私が引き出していることになります。
時には、「自分が先に足を踏んでしまったんじゃないかしら」と考えることも、ひとつの学びになります。
地獄言葉の思いが芽生えた時、人は悩みます。
悩んでいる時、「これは学んでいるんだ」と思い込む人も多くいます。
でも、そうではありません。
悩んだ時に、「その問題にきちんと向き合って、解決に導く」のが学びです。
悩んで、地獄言葉の思いに付き合っているだけなら、お片付けの本を買っただけで、家を綺麗にした気分になっているのと変わりがありません。
人だから、怒りの感情も、悲しみの感情も持って当たり前なのです。
言葉にして人に言わなくても、自分の中でいつまでも、「あの人、許せないわ」と繰り返していたら、自分の魂が嫌な思いをします。
そうした感情を持ち続けないために、どんな気分転換をしたらいいかな?
地獄言葉の思いに付き合うのをやめて、天国言葉を口にするために、私だったら、どうするのが一番しっくりくるだろう?
こんな風に、あなたなりの回答を考えるところに本当の学びがあります。
人は、愛と光の存在
りえ
一人さんは常々、「人は、愛と光と忍耐だ」とおっしゃいますよね。
私も、一人さんから教えていただいたように、「1日100回、私は愛と光と忍耐ですって言ってみるといいですよ」って、カウンセリングや講演会でお勧めするんです。
でも、中には「照れちゃって言えません」って言う人もいるんですよね。
斎藤一人さん
愛のない人は、「愛」って口にすると嫌な気持ちになったり、反対に涙が出てきたりするし、明るさが足りない人には、「光」という言葉が白々しく響く。
忍耐が苦手な人は「忍耐」って言葉に抵抗がある。
そうすると、照れや、時に怒りに繋がるんだね。
でも、すごい人って照れないんだよ。
りえ
じゃあ、まずは「すごい人は照れない」って100回言ってみるのがいいかもしれない。
斎藤一人さん
なぜ受け入れられないのか、どうして反発が起きるのかって言うと、自分の心の中が愛と光と忍耐以外のものでいっぱいだからだよね。
愛と光と忍耐って、「優しくて、明るくて、機嫌がいいこと」を言うだろう?
不安や恐れや嫉妬や怒りっていう泥水がいっぱい入っている心に、優しくて、明るくて、機嫌のいい真水を一滴ずつ垂らすと、泥水は一滴ずつ外に溢れて、いずれ全てが、きれいな水になるんだよ。
りえ
では、心に真水を垂らすためには、日々、どんなことができるんでしょうか?
斎藤一人さん
何か問題があったら、いつも、「愛と光と忍耐で答えたらどうなるだろう?」って考える癖をつけるといいね。
「全く答えが浮かびませんでした」でもいいんだよ。
それまでは、すぐ相手に「馬鹿」って言ってた人が、「ちょっと待てよ、愛と光と忍耐で考えてみよう」って立ち止まるんだから、それだけで一歩前進だよな。
りえ
そのうちに、必ず答えが浮かぶようになりますよね。
あとね、その答えを実践してうまくいかなかったとしても、収穫はあるんだから、安心して欲しいんです。
行動して結果が出ると、次はどうやればいいかがちゃんとわかってきますから。
斎藤一人さん
その通りだね。
まず、思ったなら言葉にして言って見るの。
言ってみたら現象が起きるの。
そうすると、「もっと、こんな言い方をすればよかった」とか、「笑顔が足りなかったな」って、心に引っかかりができる。
その引っかかりは、必ず次に生きるからね。
りえ
私ね、思ったんです。
世間的に「忍耐」という言葉には、どうしても呼吸を耐え忍ぶイメージがあるけれど、そんなことを少しもないなって。
だって、一人さんは、初めてお会いした時から、いつもご機嫌で楽しそうだったもの。
斎藤一人さん
楽しいよ。
神様は私達が間違うと苦しさとか困難を与えるの。
「この苦しみを乗り越えると、いいことが待っている」って言う人がいるけど、それが一番の間違い。
我慢して乗り越えたら、もっとひどいことがやってくるよ。
我慢の先にあるのは幸せじゃなくて、恨みなんだね。
嫌な気分を心に留めながら、幸せになんかなれっこないの。
りえ
1日1日、忍耐で機嫌を良くしながら、愛と光を心に垂らしていくと、もしも、「人が出す、よくない感情」という刃が心に刺さっても動じなくなっていきますね。
斎藤一人さん
「忍」っていう字が、そもそもそういう意味を持っているからね。
人の心に泥水をかけちゃだめなんだよ、言葉の刃を投げつけちゃだめなの。
そっと忍んで、真水を垂らして行こうねって。
りえ
以前、「私は、愛と光と忍耐です」って1日に100回言うと、どれくらいで心にしみるんですか?って聞かれたんですけれど、これは人によりけりですよね?
斎藤一人さん
そうだな。でも、だいたい10日かな。
1000回言い続けると、心が晴れ晴れとする時があるんだよ。
もちろん、もっと言ったっていいんだよ。
「あなたは何日目ですかっとした?」って人と話し合っていくのもいいことだよ。
りえ
愛と光と忍耐について誰かと話すと、一人の学びは1だけど、3人なら3、10人なら10にもなりますよね。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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