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斉藤一人さん 丸くともひと角であれや人心

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「丸くともひと角あれや人心」って言うけど、やっぱり、人間、あんまり丸くても、幸せじゃない。

角が出過ぎだと、我が強い、ってことになる。

 

 

 

丸くともひと角であれや人心


例えば、じゃんけんをやる。

自分はグーを出したら勝った、と。

でも、一回、グーで勝ったからって、この先もずっと、グーで勝てるわけじゃないよね。

勝とうと思ったら、相手がグーの時、自分はパワーを出さないと勝てない。

相手がチョキを出してきたら、自分はグーを出す。

人生って、そんなもんです。

キリストは、「右の頬をぶたれたら、左の頬も出せ」みたいなことをいったとか、いわないとか。

もちろん、そのやり方で、人生、うまくいくこともあるんですよ。


何を言いたいのかと言うと、あまり大人気ないことばっかりしてると自分が辛くなってくるけど、完璧に立派な人間になろうとするのもつらいよ、って。

「丸くともひと角あれや人心」って言うけど、やっぱり、人間、あんまり丸くても、幸せじゃない。

角が出過ぎだと、我が強い、ってことになる。

だけど、ただ丸いだけだったら、コロコロ、コロコロ、ころがって、止まらなくなっちゃう。

だから、うまいこと、角を出して行かなきゃなんない。

その、うまいこと角を出す、ということの中で、「自分は、これだけは許せないよ」っていうものがなくちゃいけない。

どういうことかと言うと、例えば、自分の親や友達、世話になってる人とか、自分が大切にしている人をバカにしたり、傷つけた人間がいる。
その時、自分はその人間に対して「ふざけんな!」とか、怒って当然なんです。

当然というより、自分が大切に思ってる人をけなされたり、傷つけられて、笑っているようじゃいけない。

何故かって言うと、スカッとしないから。

だから、「ふざけんな!」って、一発かまさなきゃいけない。


「そんなのアリですか?」って、アリだよ。

それが、一人さん流なの。

人に対して、常に牙を剥いてろ、っていう話をしてるんじゃないよ。

そうじゃなくて、「本当の優しさは強さから生まれる」っていう。

だから、一人さんは、人に喧嘩を売った覚えは一回もないけど、売られた喧嘩を買わなかった覚えも一回もなくて、自分の大切な人たちをいじめるような奴がいたら、猛然と戦うんです。

一人さんって、そういう性質なの。

私のお弟子さんとか、「一人さんが好きだ」っていう人は、私のそういう性質が大好きなんです。

戦うといっても、素手でぶん殴るとかって、しないんだよ。

「人をいじめちゃいけないよ」って教えてあげるだけだよ。

それで、「人をいじめちゃいけないよ」って教えた時点で、こっちの勝ちなんだから、それでおしまいにする。

「さっきは、許すなと言ってたのに、許すんですか?」って、相手を許す方が、許せまいが、もう勝ち負けがついちゃってるんだよ。

自分が勝ったんだから、それ以上、相手に物を言う必要はどこにもない。

それ以上やると、ダメなんです。


昔、幕末から明治になったばかりの頃、旧幕府軍と新政府軍とか戦をしてた時の話なんだけど。

元・薩摩の侍達が入る新政府軍が、旧幕府軍についた会津を攻め、会津軍の侍をたくさん殺しちゃったんです。

その時、戦いが終わった時に薩長は遺族を呼び、亡くなった合図の兵隊を弔ってあげて、「会津軍は勇敢に戦った」って言ってあげたら良かった。

「強者揃いの会津軍を相手に我々薩長も命がけで戦わねばならなかったが、戦が終わった今、我々は、会津軍の英霊に心から敬意を表したい」

そうやって、会津に花を持たせてあげてたら、よかったんです。

でも、薩長はそうしなかった。

自分達の攻撃に倒れた会津の兵隊が、道端とかに転がっていたんだけど、「遺体は片付けちゃいけない」って。

そうすると、遺族は弔いもしてやれない。

身内の体が腐っていく様を見ていた会津の人たちは、薩長の人間を恨んだんだ。

その何年か後に、明治維新の指導者で薩摩の英雄、西郷隆盛が政府に対してクーデターみたいのを起こしたんだけど。

熊本県の田原坂っていうところで、政府軍と西郷軍とが衝突、激戦を繰り広げた。

西郷軍は、夜になると政府の所へ奇襲を掛けてくる。

西郷軍の兵隊は、薩摩藩とかの元お侍さん。

一方の政府軍は、お百姓さんの寄せ集めみたいなにわか軍隊だから統制が取れてない。

当然のことながら、政府軍はやっつけられちゃってたんだよ。

その時、元・会津のお侍たちが政府軍に「自分達にも、薩摩と戦わせてくれ」と言ってきた。

旧幕府軍についてた、元・会津の侍は政府軍に雇ってもらえなくて、大概のお侍は、おまわりさんになってた。

そのおまわりさんたちが、政府軍に「自分たちにもやらせてくれ」と。

要は、前に身内を殺された、敵討ちというわけです。

でも、その頃の警官というのは、サーベル(西洋式の刀)だけで、鉄砲は持たせてもらえなかった。

元・会津のお侍たちは、相手が鉄砲や大砲を持っている中を、サーベルだけを持って、勇敢に夜陰に紛れて切り込んで、見事、勝利に導いた。

これが有名な会津の抜刀隊の話です。


人に恨まれるようなことをやると、こうなるんだよ。

もちろん、西郷さんはすごい立派な人だし、薩摩にも立派な人は山ほどいたけど、心無い人がいると悲しい結果を招くね。

だから、勝ち負けがついたら、それ以上、負けた相手をやっつけちゃいけない。

相手に花を持してやんなきゃいけないんだよ。


社長がいばらないと、社運が上がる


私が中学生だった頃、起きるのは、お昼近くでした。

それから学校に行って、一人さんは、クラスメイトたちを盛り上げます。

で、盛り上がったところで帰る。

遅刻した分を早退で取り戻す、という。

そういう中学時代を私は送ってて、要は、中学校もろくに行ってないと。

さらに言うと、一人さんは社長になってから、自分の会社にもろくすっぽ行ってない。

会社に顔を出すのは、多くて月に一回あるかどうか。

だから、「私は、毎朝ちゃんと、会社に通ってます」っていう人がいると、それだけで、一人さんは「この人はすごいな」とか思っちゃう。

本当に、この世の中はすごい人達だらけです。

私の会社の人たちも、お弟子さん達もすごい人たち。

だから、私は誰にも威張れない。。

誰にも威張れなくて、私は「良かった」と思ってます。

社長とか、上に立つ人間が威張らないと、いいことがあるんです。

威張らないと、人に嫌われない。

これって、当たり前ですね。

ところが、この当たり前を社長がやると、後は、普通にしてても、「あそこの社長は立派だ」とか言われちゃうんです。

社長さん、わかりますか?


例えば、社員の慰労会でカラオケ大会をする。

その時、社長が「みんな、悪いな。用事があるから、最初に歌わせてもらうよ。

歌ったら帰るから、後は、みんなで盛り上がりなよ」っていうのはありなんですよ。

だけど、用事もないのに、「俺を一番に歌わせろ」とかって威張ってると、嫌われちゃうんだよ。

たったそれぐらいのことで、人に嫌われるのって、馬鹿げてる。

って、私なんかは思っちゃう。

カラオケは、曲を入れたもん順に歌う、そういうレジャーなんだから、社長も、みんなと一緒になって、順番待ちすればいい。

そしたら、「うちの社長はいい社長だ」ってなる。

パーティーの時は、ビールの泡が消えるまで喋ってないで、とっとと乾杯すれば、「いい社長だ」になっちゃう。

だから、社長になって威張らない、というだけで得しちゃうんです。

それを、威張っちゃうというのは、損得が分かってない。

何をやると人に喜ばれ、何をやると嫌われるのか、人の心がわかってない。

そういう社長は、例えば、歌が上手くない人にどんな歌を歌わせても、音痴は音痴だよね。

それと同じで、人の心がわかんない社長は、経営でも、商売でもうまくないと思うよ。

だって、その社長さん、損得勘定ができないんだもん。

本当にね、上の人間が威張ったところで、一個も得なことがない。

何か得なことがあるんだったら、箇条書きにして出してくれる?
って、言いたくなっちゃうぐらい、ない。

一個もない。

むしろ、損なことばっかりだよ。

人に嫌われるは、従業員の士気は下がるわ。


巷には、「工場でコピーばっかり取らされて、挙句の果てに、タバコを買いにいけだとかいわれて、嫌になっちゃう」とか言う人がいるけど、その人はコピーを取るのが嫌なんじゃない。

タバコを買いに行くのが嫌なんじゃないんだよ。

本当に「嫌だ」と思ってるのは、下の人間に威張って、「部下は上の人の言うことを聞いて当然」みたいな顔をして物を頼む人間。

部下というのは、上の人のことが大好きだったら、タバコでも、ジュースでも「買って来てくれる」っていうと、「待ってました!」といわんばかりの顔をするよ。

人って、大好きな人から何か頼まれるのが嬉しいんだよ。

だから、上に立つ人間は、まず、威張らない。

それから、ものを頼む時は「表へ行くなら、悪いけど、ついでに、これ買ってきてと」か気を使って、やってもらったら「ありがとう」って、いえばいいだけだよね。

だった、それだけ。

人に好かれるか、どうかは、たったそれだけなんです。

小さいことだけど、人はそこに思いやりを感じるんだよ。

だから、些細なことで人を思いやれるかどうか。

そしたら、例えば、宴会をする時は、部下にあらかじめ「自分が遅れてもう、先に乾杯しちゃいな。待ってちゃだめだよ」って言うといい。

部下の人たちは「上司がくるまで、お酒も料理にも手をつけちゃいけないという頭があるから、上司が遅れると、上司が来るまでお預け状態。

それじゃあ、辛いよね。

それに、お店の人にも申し訳ない。

だから、「待ってちゃだめだよ。先に行ってなよ」って。

それから、「宴会の時は、お酌、禁止だよ」ってことにする。

そうやって言わないと、新人さんとか、一番下の人が、ずっとお酌してなきゃなんない。

だけど、宴会でも何でもそうだけど、みんなが楽しくなきゃ、いけないよね。

手が不自由だっていう話は別だけど、そうじゃないなら、ビールぐらい自分でつつぎゃいい。

自分で注いで、自分のペースで飲んだ方が楽しいしね。

それでね、こんな些細な思いやりで、人に好かれるんです。


今の社会は、なんでもかんでも効率重視で、ついつい思いやりの心を忘れがちになっちゃうけど、だからこそ、些細な思いやりって大切だね。

些細な思いやりができる人間を育てられる会社じゃなきゃ、お客さんから絶大なる支持を集められないし、会社の存続も難しいかもわかんない。

部下の人だって、専業主婦だって、学生さん、定年退職した人も、些細な思いやりというものを積み重ねていかなかったら、寂しい人生になっちゃう。

だから、お互い、些細な思いやりを忘れないようにしたいね、っていうことなんです。


自分のいいたいこといって、「あなたが正しい」


「この世には、人の意見を聞きに来たんじゃないよ。

自分の意見を言いに来たんだよ」

私はよく、そうやって言います。

お弟子さん達にも、「私に言いたいことがあったら、バンバン言っていいんだよ」って。

そうやって一人さんが言わなくても、お弟子さん達は昔から、私にバンバン意見も言ってたんですけど。

でも、お弟子さんであろうが、なんだろうが、各自、言いたいことを言ってくれると、みんな、楽しい。

一人さんも楽しい。
それで、私自身も、言いたいことをバンバンいうんです。


そうすると、「みんなして、言いたいことを言ってたら、争いになってしょうがない」っていう意見もあるんだけど。

だけど、狭い道を歩いてて、向こうから人が来たら、自分がちょっとよければいいだけでしょ。

そしたら、相手とぶつからないで済む。

それを、「道を歩いてて人とぶつかるのが嫌だから、私は家の中から一歩も出ません」というのは成り立たない。

分かりますね。

じゃあ、「自分の意見は持ってるけど、人と言い争いをしたくないから、言わない」っていうのは、どうなんですか?

それ、「道で人とぶつかるのが嫌だから、家にいる」と発想が同じだよ。

「特に自分の意見はありません」とか、「どうしても言えません」っていう人は、別に無理して言わなくてもいいんです。

でも、言いたいことがあるんだとしたら、いうのを我慢してて、幸せですか?


我慢して言わないでいると、苦しくなってきちゃう。

そうなる前に、言いたいことを言えばいいの。

行ったって、何の問題も起きないよ。

例えばの話、前から新幹線が猛スピードで走ってきてるところ、「よし、勝負だ」とかって、自分からドンとぶつかっちゃったら、バカだよ。

だけど、ちょっとよければ、風ぐらいしか来ないよね。

それと同じで、言いたいことを言って、人と意見が食い違ったら、自分が正しくても、「相手が正しい」ということにして、自分がすっと良ければいいだけなんです。

「いや~、いいこと聞いた、いいこと聞いた」とか言って、別の場所で、また自分の意見を言ってればいい。

そしたら、風ぐらいしか来ないよ。

それで、避けるときのポイントは、「あなたは間違ってるよ」と言われた時、「ほんとだね。そうだよね」っていう、その速さね。

一人さんなんかの場合、もう速攻、折れて、「そうだよね」って言っちゃう。

そうじゃなかったら、自分がなかなか折れないでいたら、最後に遺恨を残すことになるからね。

第一、どっちの意見が正しいかって、当事者が決めることじゃないんだよ。

そばで、双方の意見を聞いてる第三者が決める。

「あの人って利口だね。

自分が正しくたって、相手に花を持たせてあげて、サッと、避けた」って周りの人が決めてくれるんです。

だから、意見が食い違った時は、お互い正しさを言い合う必要がない。

「相手が正しい」ってことにして、さっさとをよければいい。

そうやって、人と争わないことが正しい。

精神論でもなんでも、理論で持って「あの人を何とかしてと説き伏せよう、説き伏せよう」って行っちゃう人がいる。

理論というのは、人をやっつけるためにあるんじゃないんです。

人と人が会って話す時は、お互い知らないことを知りあえばいい。

そうやって楽しい時間が過ごせれば、それでいい。

そのために、精神論なり、なんなりの理論がある。

ところが、人は、その理論で、言い争っちゃう。

その点、自動車とよく似てるね。

自動車って移動が便利だけど、使い方ひとつで、事故が起きる。

理論も自動車も同じで、相手が出てきたら自分が下がってあげる、って決めておけばいいんだよね。

「でも、本来は、こっちが優先で、向こうが停車すべきなんだ」とかって、法律的には正しいのかもしれないけど、そのことをずっと騒ぎ立てるのって、どうなんだろう。

それから、電車の中で、どっちがぶつかってきたってメモってる人がいる。

相手がぶつかってきたのが正しいのかもわかんないけど、自分が「すいません」って、一言言えば済む話なんだよ。

それで、「お前がぶつかってきて」ってやると、そこで殴り合いになってお互い痛い目にあう。

その上に、周りの評価は「どっちもどっちだよね」「あの人たち、大人げないわね」って言う。

だから、理論って、どんなに素晴らしい理論でも、人間がそれに縛られ過ぎるのって、いいことではないんじゃないか。


この世の中には、精神論に縛られすぎてる人もいる。

これも行けない、あれも行けない、って。

でも、一人さんは「私の精神論は、今すぐ、ここで、幸せになれることだよ」って。

幸せになるための哲学とは、そういうものだと思うんです。

その哲学に縛られたら、人間、苦しくなってきちゃう。

それじゃ本末転倒じゃないか、って。

ただ、「一人さんのその考えは間違ってるよ」って、今、言われたら、私は「その通りだね。あなたが正しいよ」って言う。

言い争いはしたくないし、人は人を変えられないからね。

でも、自分がさっと避けて、「楽しいなあ、自分は最高に幸せだ~」っていう生き方をしてると、そのうち相手は「あなた、楽しそうに生きてて、いいわね。どうしたらそうなるか、教えて」ってなる。

だから、人を変えようとしなくていいんだよね。

 

斉藤一人さんのお話を纏めました。

 

皆様、いつもご精読ありがとう御座います。

 

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