「この苦しみは、自分の業なんだ。この業を落とすのが修行で、それができたら魂が向上するんだ」ってことを気づくことができたら、業はフッと消えていくんです。
他人の成功を妬んだり羨んだりするとき
成功しても威張らない人っているよね。
そういう人を見ると、「人間が出来てるなぁ」なんて思うわけです。
急にお金が入ってきても、それまでとまったく変わらないでいられるんですね。
そういう人について、一人さんはこんなことを言っています。
「あのね、人間には業っていうものがあるの。
業とは、魂にくっついているコールタールみたいな汚れで、魂がその汚れを落とそうとして火をつけるんだよね。
燃やすことで、汚れを落とそうとする。
例えば、ある女性に嫉妬の業があるとする。
そうすると、魂が嫉妬の業を燃やそうとして、浮気者に惚れるように仕向けるの。
それで業が燃え尽きたら、業が消えて綺麗になって生きられるようになるんです。
そうすると、もう浮気者にほれることもない。
でもね、業が燃える時は、心の中が焼けただれるような苦しみを味わうんです。
業って汚いものだから、それこそ地獄の苦しみを味わうの。
こう言うと、業を持っている人は可哀想だって思うかもしれないけど、実はそういう人ってヤキモチ焼きの浮気者と言って、自分自身も浮気の種を持ってるんです。
要するに、相手に嫉妬しながら、自分も浮気者なんだよね。
自分が浮気症じゃなかったら、相手の事を信じられるから、そもそも嫉妬なんてしない。
もし嫉妬しても、すぐに解決できるんだよね。
ところが、自分に浮気っ気があると、本当は相手が浮気していなくても信じられなくなるんです。
業が燃える時っていうのは、そういう両面を燃やしながら、魂が成長していく段階なんです。
そしてね、威張る人にも、実はそういう業があるんだよ。
だから、威張ることによって人に嫌われたり、友達をなくしたりして、苦しむようなことがたくさん起こるの。
苦しんで苦しんで、そうやって魂が綺麗になっていくんだよね。
出世しても成功しても威張らない人って、そういう業が綺麗に燃え尽きたと後か、最初からを業持っていないんです」
業を持っていると、ガリガリこすられて、本当に痛いんだそうです。
生きていると身を削られるような苦しみってあるけど、あの苦しみって業を持っているからなんですね。
だけど、どこかで「この苦しみは、自分の業なんだ。この業を落とすのが修行で、それができたら魂が向上するんだ」ってことを気づくことができたら、業はフッと消えていくんです。
自分の業がいつまでも分からない人は、延々とガリガリ削られ続けて、血がでるような思いをして苦しまなければなりません。
それでもなおわからない人は、最後には仕事を失って、とうといばるお金もなくなる。
そういう状態になって、やっと威張ることがやめるんですよね。
そういう地獄を見ないためにどうするか。
これはもう、早く自分の業に気がつけばいいだけ。
これに尽きます。
たったそれだけで人生が楽になるのです。
豊かでい続けたいと願うなら
お金に限ったことではないと思うんだけど、手に入れたものを持ち続けるのって、ものすごく大変なことですよね。
試験で一番になって、そのままトップの座を守り続けるのは、かなり難しい事だと思うんです。
私は借金を抱えていた時期があるので、どうしても「同じ国ない日々には戻りたくない」という気持ちが強いんです。
じゃあ、豊かでい続けるためには、どうしたらいいんですかっていうことになる。
その答えは、「お金も人と同じように、嫌な奴の所にいたくないんじゃないか」っていうことです。
お金って、見た目はただの紙切れだから、そこに感情なんてあるはずがないと考えるでしょ。
でも、実は違うんじゃないかなということが分かってきた。
実際、世間を見渡してみると、性格の悪い人の所には、お金って集まってないんですよね。
たとえ一時的にはお金を持つことができたとしても、その後続いていない。
そういう現実を見ると、やっぱりお金にも感情があるんじゃないかって思うんです。
それに、私はこれまで、一人さんが嫌いだという人に会ったことがありません。
その一人さんが何十年にもわたって日本一の大富豪でい続けているということは、人に好かれる人というのは、お金にも好かれるということの証明なんでしょうね。
一人さんって本当にお金を大切にするんですね。
「あのね、普段からお金が大好きですって言っていても、給料日になったらバックとか靴を買ったりしているとね、結局バッグや靴の方が大事だってことなの。
お金が大好きな人は、大事にお金を取っておくよね。
この世は、大切にしたものが残るようになってるの。
だから、お金を大切にしている人はお金がたくさん残るし、バッグを大切にしている人は、家の中にバックがたくさん残っているはずなんだよね。
何も、バッグを買っちゃいけないって言うんじゃないんだよ。
ただ、自分の手元に残っているものを見ると、自分が何を大事にしてきたかが分かるよってことが言いたいの。
人を大事にしてる人は、周りに人がいっぱいいる。
人を大事にしてなかったら、みんないなくなっちゃう。
人は人でも、へんてこりんなやつばっかり大事にしてたら、そういう人が自分の周りにいっぱいいるし、しっかりした人を大事にしてたら、そういう人が残るんです。
お金を残したかったら、お金は大事にすればいい。
ただそれだけのことなんだよ」
お金に好かれたかったら、人に好かれるような人間であること。
そして、お金を大切にすること。
そういうシンプルな組み合わせが分かっているかどうかで、豊かになれるかどうかが決まってくるんじゃないかな。
「どうせ貧乏だし」と半ば諦めたら
貧しさを経験したことがある人の中には、たとえ成功して豊かになっても、「貧乏の経験があるから、またお金を失ったとしても生きていける」という人がいますよね。
あるいは、もう豊かになっているのに「いつまた貧しい生活に戻っても順応できるように、生活水準を上げない」と決めている人もいる。
私も、一時は借金を抱えていた身。
一家3人で狭いアパート暮らしをした経験がありますので、そういう感覚は分からなくもありません。
ただ、ある時一人さんにこんなことを言われたんですね。
「よく、俺はもう一回貧乏に戻っても平気だなんて言う人がいるけど、そういうことを口にしていると、本当に貧乏に戻っちゃうから、間違ってもそういう言葉は使っちゃだめ。
むしろ、貧乏なんか絶対嫌だって言ってた方がいいんです。
何故かって言うと、人は絶対に嫌だというものには、まずならないから。
昔ね、農家に生まれた娘さんがいたんだけど、田んぼに足を入れただけで湿疹が出る。
だから、農家にだけは絶対嫁ぎたくないって言ってたら、やっぱり農家ではお嫁に行かなかったんだよ。
人生も同じ。そういうものなの」
人間は、魂がいろんなことを学んで成長して、それで豊かになって、幸せな人生を送るために生きているんですね。
日本では、昔から「貧乏でも心が豊かならいい」という考え方が良しとされてきました。
ですが、それなら心も経済的にも豊かなほうがいいに決まっていますよね。
貧乏でなきゃ心が豊かになれないわけでもないのに、なぜ、貧乏とセットにしなきゃいけないのでしょうか。
考えてみれば、おかしな話です。
同じように、「イケメンだけど貧乏」と「お金はあるけど不細工」ではどっちがいいか・・・・なんて話もよくありますが、一人さんはいつもこう言います。
「じゃあ、顔の悪い男はみんなお金を持ってるの? イケメンでお金持ちの男はいないのかい?」
いやいや、イケメンでお金を持っている男性だってたくさんいます。
それが一番いいに決まっています。
要するに、貧乏慣れしてしまうということは、魂の成長まで諦めてしまっているのと同じことなのです。
貧乏なれって言うのは、実際に貧乏かどうかに関係ないんですよ。
現状に満足して、そこから先へ成長しようとしない時にも、やっぱり貧乏慣れしているということになると思うんです。
例えば、毎日、仕事へ行って帰宅して、給料日に決まった金額のお金が入ってくる・・・・という生活を繰り返していると、それに慣れてしまうのはしょうがないことかもしれません。
そこで、「人生ってこんなもんだよね」なんて、諦めに似た満足感をもってしまうと、本当にそこで終わってしまうんです。
年齢や性別、置かれた環境は関係ありません。
「もっと上に行きたい」「もっと人生を良くしたい」って思った時に行動が変わり、魂の成長とともに、どこまでも幸せが大きくなり続けるのです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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