今世のあなたは、その問題で悩むことで成長する定めだからです。
「自分には原因がないのに旦那から裏切られました」
人間は、肉体はいつか必ず死を迎えますが、魂は永遠に死ぬことができません。
何度でも生まれ変わります。
その数々の人生の中で、いろんな因果ができるんです。
因果と聞くと、悪い因縁や、罰は与えられるようなイメージがあるかもしれないけど、そうじゃないの。
因果とは「原因があって結果がある」だけで、怖いことでも悪いことでもないんだよね。
自分のした事が返ってくるだけ。
ご褒美でも罰でもなくて、あなたの魂が成長するために因果があるんです。
その因果の観点で考えると、いろんなことの説明がつきます。
世の中には「旦那(奥さん)に裏切られた」「子供にひどいことをされた」みたいなことで悩む人がたくさんいます。
明確な理由や原因もないのに、ひどい目にあうことがある。
それはどういうことかと言うと、前世や、その前の人生で、あなたが同じようなことを相手にしていた可能性があるの。
その因果が巡って、今世では、あなたが前世でしたことを「される側」になっているわけです。
因果は、お互いの魂が成長して納得するまで解消されません。
かわりばんこに、延々とやり合います。
でね、家族ってたいていソウルメイト(魂の仲間)なんだけど。
ソウルメイトとは、ずっと生まれ変わりを共にするのですが、今世はあなたが親でも、前世は子供だったり、奥さんだったり、兄だったり・・・・・・というように、生まれ変わるたびに立場が変わるんだよね。
それを楽しく経験しながら、お互いに魂を磨き合うんです。
だから本来は、「前世でやられたから、今世ではその恨みを晴らしてやる」みたいな怨念なんてありません。
じゃあ、なぜ因果が繰り返されるのかと言うと、今世のあなたは、その問題で悩むことで成長する定めだからです。
ただそれだけのことだから、あまり被害妄想に陥っちゃだめなの。
嫌なことをされた時は、「前世では、こんな気持ちにさせちゃったのか」「ごめんね、今世では発散してすっきりしな」って思ってあげたらいい。
それを、「なぜこんなことをするの?」「もうやめて」って相手の魂に寄り添わないから、いつまでも問題が解決しないんです。
「上の子にだけ辛くあたってしまいます」
嫌な目にあった時は、「前世で自分が同じことをしちゃったんだね」って思えばいい。
ただしそれは、誰かに非があるとか、自己責任という話ではありません。
その出来事はお互いの魂磨きのために起きているだけ。
あなたにも相手にも罪はないんです。
あなたと相手は、同じ傷を持っているの。
それを、お互いに「私はこの傷がある」ということを気づかせようとして、かわりばんこにやりあっているんだ。
もちろん、この世の全ての現象が因果の法則に当てはまるわけではありません。
でもね、どう考えても説明がつかない現象が起きた場合は、たいていその裏側にあるのは因果なの。
因果のもつれって、長い人は10回くらい繰り返すんです。
それでもまだ学びを得られず、今世でもまたやりやっているわけです。
そういう因果の長い相手とは、とにかく相性が悪い。
相手の顔を見るだけで気分が悪くなるとか、腹が立ってしょうがないとか。
例えば、同じ我が子でも「下の子は可愛くてしょうがないのに、なぜか上の子には辛くあたってしまう」みたいなことがあります。
こういうのは論理的に説明するのが難しいのですが、因果の法則で考えると、簡単に説明がつく。
おそらく、前世やそれ以前にできた因縁があるんだろうね。
で、それを解消することが今世の学びなの。
因果の問題は、一気に解決するのが難しいこともあります。
ただ、「この因果を必ず解決するぞ」って気づくだけでも違って来るんだよね。
気づいた瞬間から確実に因果は消え始めるから、だんだん楽になっていくの。
あなたが因果の解消に挑戦し始めると、その波動で、相手も同じように因果の解消に乗り出します。
だからもう、今以上に傷つけ合うことはなくなるんだ。
そう思って、因果とは気長に、気楽に向き合えばいい。
無理に今世だけで解決しようとせず、今世できなかったことは、また来世で続きに挑戦すればいいからね。
因果に気付いたあなたの魂は、今世、1段階も二段階も成長するよ。おめでとう。
「親戚から義父母といつ同居するのかと何度も聞かれます」
長男と結婚した女性がいてね、義父母と別居しているんだけど、親戚の人たちが「いつ同居するんだ?」ってしきりに入ってきて困っていたの。
本人は、義父母と同居するのは嫌なんです。
だったら考える余地はないよ。
はっきり一緒に「住めません」って言えばいい。
親戚や義父母に気を遣って同居しても、嫌なことを我慢している限り、うまくいくはずがありません。
お互いのために、同居はやめておいた方がいいと思います。
一旦同居しちゃうと、別居し直すのは大変だからね。
こういうところで押し切られちゃだめなの。
自分の意思を貫いてください。
今はまだ、長男の嫁が親の面倒を見なきゃいけないっていう考えの人も残っているけど、あと10年もすれば、周りも考え方が変わるかもわかんない。
いつの時代も、新しい考え方の人はそうやって、周りからあれこれ口を出されるものなんだよね。
そう思って、あまり気にしないことだよ。
もし周りのおせっかいにイライラするなら、誰もいない場所で、言いたい放題に吐き出しちゃえばいい。
「私は人の言うことを聞くために生まれてきたんじゃないんだよ。
同居したけりゃ、あんたがしたらいい。
しずされる覚えはないよ!」って。
そういう強い波動があれば、親戚の人たちも、だんだん余計な口出しをしなくなってくると思いますよ。
「自分らしく生きるのは何を基準にすればいいですか」
よく「自分らしく生きる」とか簡単に言いますが、この話はとんでもなく難しい話なんです。
まず、自分らしく生きるには「自分が何なのか」ということを知らなきゃいけない。
それで、これを信じる人と信じられない人がいるから、信じられる人だけ参考にしてくださいね。
私たちは皆、神様の分け御霊です。
神様から分け御霊をもらい、その魂を持ってこの世に生まれてきた「神の子」なんだよね。
それと、神様は「大愛」と言って、ものすごく大きい愛なの。
ということは、その分け御霊である私たちも愛の存在だから、洗える基準が愛である。
それが正しい道なんです。
愛の存在だから、愛を基準にして生きるのが一楽で幸せになる方法だし、それが本来の姿です。
つまり、自分の言葉や行動全てに「愛があるか」ということ。
愛を基準にして考えないと、自分らしく生きることは実感できないんだよね。
もしあなたが何かに迷っているんだとしたら、そこに愛があるか考えてみるといいよ。
自分が愛で行動しているか。
愛のある言葉を喋っているだろうかって。
自分の言動を振り返ってみて、愛の基準に生きていると思うなら、それはあなたらしく生きているということになるからそのまま進めばいい。
だけどそうじゃなければ、まずは愛のある生き方を考えた方がいいよね。
じゃあ、愛が基準になっているかどうかを判断する方法は何かと言うと、「優しさ」なの。
自分自身に優しくできているか否かです。
自分に優しくできる人は、他の人も自分と同じ愛の存在なんだということが当たり前に分かる。
だから、人に対しても自分と同じように優しくできるんだよね。
つまり、あなたがいつも優しさで行動できていれば、それは愛が基準になっているということ。
そうじゃなければ、自分らしく生きていないということになるんだ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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