コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斉藤一人さん 幸せを引き寄せる心のデトックス

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今すぐ役に立つ、

今までに全くなかった

奇跡の起こし方

 

 

謎の大富豪「ひとりさん」

皆さん、今日は、斎藤一人と申します。

ちょっとだけ「一人さん」という人間がどんな人なのか、お話しさせていただこうと思います。


まず最初に私は自分のことをひとりさんと呼んでいます。

自分の事を「さんづけ」にするぐらい、私は自分のことを愛しています。

自分の未熟さもなんでも、許すのです。

そんな私のもとに、もっと幸せで豊かになりたい、人生を開拓する方法を知りたがっている若者たちが集まってきました。

彼らが、今、まるかんの社長をしているお弟子さん達です。

彼らに、私が一番最初に話したことは、

「俺たちは幸せになるために生まれてきたんだよ」

ということでした。


私だけ、あるいは私はお弟子さん達だけが幸せになるために生まれてきた、と言っているのではありません。

あなたも、みんな、全員が幸せになるために生まれてきました。

「自分は不幸になります!!」

と言って、ここに生まれてきた人は、この地球上どこを探しても見当たらないのです。


今、何かがうまくいっていない人、悩んでいる人の中には、私の意見に頷けない方がいるかもしれません。

そういう方に、ここでちょっとお願いします。

ご自分の人生を振り返ってみてください。

過去にも、何らかの問題に直面したことがありませんか?

その問題が解決して落ち着いた時、あなたは「あの時、あの経験をしたから、今の自分がある」と思いませんでしたか?

「何もかもがうまくいかないからこそ、成功している人の話を聞けた。

聞くもの、見るもの、全てが新鮮」

「毎日、学ぶことが山のようにあって、でも、それが意外と楽しいんだ」などと感じませんでしたか?


えつ? 思いませんでしたか。大丈夫です。

たとえ思わなかったとしても、あなたは間違いなく、幸せになるために生まれてきました。


今、自分が、こんな、大変な目にあっているのは、遠い昔、自分が誰かに嫌なことをした報い何だとお考えのあなた。

報いを受けるために生まれてきた人は、この世に存在しません。

あなたのその考え方、またはその生き癖が、あなたを不幸にしている、ということに、あなた自身が気づいてくださいというお知らせとして、その現象が起きています。

その嫌なことは、自分のためになっていないことに自分で気づくために起きています。

気づけば幸せになった上に、その嫌なことは夢幻の如く、スッと消えてしまいます。


という考えを私は昔から持っていて、儲かっていないような喫茶店を元気にやっていた、はなゑちゃんら数人の若者は相手に、そういうことを話していました。
一生懸命に行き、だが人生の成功ルールを知らない、若い彼らに、私が授かった知恵を全て託しました。

毎回、毎回、私なりに全力でした。

すると、いつのまにか、彼らは成功して億万長者となり、また私も「納税日本一の大事業家」と呼ばれて、講演会を開くようになっていました。

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自分にゆるく他人にもゆるく


私たちの顔は、1人1人、みんな違います。

それと同じように、幸せのなり方は一人一人、みんな違います。

違うからといって、互いに「こっちが正しい」と言い争っていたら・・・。

「こっちの顔が正しい」「いや、私の顔が正しい」と言い争っている人達を見て、あなたは。「この人たちはおかしい」と思いますよね。


だから私は思うのです。

やっぱり、一番素敵なのは、お互い、自分が好きな幸せのなり方で幸せになればいいんだ、と。

そして、互いに「あなたも幸せで、私も幸せ。よかったね」と言い合える関係がいい。

と、思っているのだけれど・・・・・・。


人間には「求道心」というものが備わっています。

求道心とは、真理を求める心。

真理とは、各自が幸せになるために役立つ道具です。


もっと言わせていただけるならば、あなたが幸せにならないものは、あなたにとって、それは真理ではないかもわからない。

というような考えを、私、一人さんは持っている人間です。


もう一度、言いましょう。

あなたが幸せになる考え方、生きる指針は、あなたにとって真理です。

でも、あなたのその真理で私が幸せにならないとすれば、それは私の真理ではない。

私の真理は、私が幸せになるのに役立つものなのです。

こんな風に、互いの真理が違っていても、お互いがそれぞれ幸せであれば、「それでOK、よかったね」なのです。

そんな風に、ゆるく生きる。

人に対してもゆるいけど、自分に対してはもっとゆるい。

それが、私、一人さんです。

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宇宙を味方につける

本を書いたり、講演をしている人のことを、皆さん、「あの人は、立派な人だ」と言ったりします。

私も本を書いたり、講演をするのですが、私は決して立派な人間ではありません。


私のお弟子さんが、私のことを講演会で話したりしています。

彼らは見たまま、感じたままを話しているに違いないでしょう。

でも、私がそれを聞いた時、「俺はこんなに立派な人間じゃない」と思った、というのが正直なところです。


以前、ある人からこのように言っていただきました。

「一人さんの魅力の一つは、人を責めない・批判しないこと」

そうやって褒めていただくと、非常に嬉しいのですが、私が人を責めないのは、責めたくないからです。

昔、偉い人が言った言葉で「汝、人を裁くことなかれ。汝自身が裁かれざらんがために」というものがあるのです。


私には、非の打ち所がいっぱいあります。

そういう人間が、一言言うと、10倍になって返ってくるに決まっているんだよね。

もちろん、人に相談されれば、私も「今でも素晴らしいあなたが、さらに素晴らしくなるにはこうするといいですよ」と提案はします。

でも、私はただ、自分も楽しくて、周りも楽しい人生が最高だと思って生きてきた人間です。

そんな私に人を変えることができるわけがないのです。

もし、私の講演会を聞いて、「人生、変わった」という人がいるとしたら、その人が元から「自分は変わろう」という気があっただけのことです。

人は他人を変えることはできません。

変えることができるのは自分だけ。
もっと言わせていただくと、人生の成功者になるには、

「自分の人生は自分が100%責任を持っている」

という宇宙の大原則を受け入れることが大切ではないかと思います。

自分に起きることはすべて自分が引き寄せている、自分の中にある小宇宙には無尽蔵の力があるんだ。

そういう想いが自分の体の細胞一つ一つに染み込んでいるような人に、とめどなく大宇宙の豊かさが流れ込んでいるように思います。

ただね、本当は全員に大宇宙の愛と光が降り注いでいるんです。

それを受け取れなくしているものを、その人、その人が自分の中に持っているだけなのです。

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「好きなこと」だけ、がんばる

成功に苦労はいらないんだということを、私は、子供の頃から見ていました。

事実、社会的な成功させて頂いた私には、やりたくない嫌なことをした覚えが、ひとつもありません。


私は学校もほとんどまともに行っていません。

学校の勉強が嫌だったからです。

面白くないことを、じっと聞いていることができませんでした。

私は我慢ができない人間なのです。

私は、今まで生きてきて、ひとつも、我慢したことがありません。


神様は、「我慢して生きなさい」とは言いません。

なんでも、嫌なことでもね、がんばらなきゃいけないことはないのです。

自分が得意なことをがんばればいいのです。

自分が好きなこ、「自分はこれをやりたいんだ」ということをがんばればいいのです。


ところで、あなたは何が好きですか? やりたいことは何?


本当は、誰にでも自分の好きなものがあるのです。

それが言えないのだとしたら、もしかして、あなたはあなたは「人前で言ってはいけない」ということ想っているのではないですか?


昔、あるところに行ったらアンケート用紙のようなものを渡されて、「これに記入してください」と言われました。

その紙には、自分の好きなもの・趣味を記入する欄がありました。

さて、一人さんは何と書いたでしょうか?

ちなみに、隣の席の人は「魚釣り」と書いていましたが、一人さんはいかに。


「女性」って書いた。


ちなみに、一人さんの「女性が好き」というのは、女性に好かれるのが好きなのです。

ただ「女性が好き」と言っているのと、「女性に好かれるのが好き」というのとでは、愛情の広さと深さが違うのです。

残念なことに、この私の想いが伝わらず、「まずいよ、君」と注意されました。

大体女性より魚が好きって、俺には理解できないな。

世間には、そんなことは通用しないことは分かっているんです。

分かっているから、私は言い続けてきました。

自分の好きなことを言えないようにしている世間の方が、絶対におかしい、と。

もう一度、伺います。

あなたの好きなものは何ですか?

本当にやりたいことは何ですか?

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一人さん流「不完璧主義」

「完璧じゃなくても天下を取れる」

これは、私が個人的に非常に気に入っている言葉の一つです。

秀吉や家康、信長だって、完璧ではありませんでした。

もちろん、一人さんも、完璧ではありませんし、私は「不完璧主義者」なのです。


ただし、私が言う「不完璧主義」は、皆さんが思っている「不完璧主義」とはちょっと違うかもしれません。

自分史上最高を目指さないことを「不完璧主義」と呼ぶ方も多いと思うのですが、一人さんの言う「不完璧主義」はそうではありません。

例えば、私は私なりに、良い商品を作ろうと、自分の全力を出し切ります。

自分が史上最高の仕上がりを目指して、自分の力を出し切るのです。

信長も秀吉も家康も、みんな、みんな、そうなんです。

でも、そのようにして作ったものであっても、「この製品は最高傑作だ」と評価されたとしても、時間が経てば必ず、「あの部分をこうしたら、もっと喜ばれるな」と改良点が出てきます。

すると、私はまた改良に改良を加えるのです。

その結果、さらに良い製品ができてきます。

車でも電化製品でもなんでも、人間もそう。

全てがそうなのです。


一人さんの「不完璧主義」の観点から言うと、今のあなたは、魂の成長の歴史の最先端です。

人は常に、今が、進化の最先端にいます。

では、常に発展途上にあって、決して完成品ではありません。

人生は終わりなき改良の軌跡なのです。

 

追伸 人間は、「不完璧主義」でいいんです

斎藤一人さん

大事なことはね、明るく、楽しく掃除をすることだよね。

掃除って言うと、家中綺麗にしなきゃ気がすまないって人がいるんです。
そういう人って、根が真面目で、完璧主義なんです。

だけど、物事を完璧にできるのは、神様だけなんです。

人間は、ちょっとずつ、ちょっとずつ、神様に近づく修行をしている生き物なんだよね。

だから人間は、完璧じゃなくていい。

「不完璧主義」でいいんです。

掃除も、最初から、隅から隅まで綺麗にしようって、眉間にしわを寄せてまでやることないよね。

はなゑ

はい。

とにかく少しずつでもいいから、楽しく始めてみるといいんですね。

私も、片付けや掃除が、とにかく苦手でしたが、一人さんに教わって、ちょっとずつ捨て始めたんです。

それこそ一日に一つでもいいから不要なものを捨てました。

そうすると、何か一つでも捨て出すと、部屋の雰囲気が変わってきたんですね。

半年も続けていると、いらないものがほとんどなくなって部屋がすっきりしました。

ちょっとずつやっていると、捨てるのが楽しくなってくるんですね。

本当に「楽しくやる事」って、続ける上でのコツかなと思います。

苦手だった私ができたんですから、ぜひ皆さんも試してみてくださいと言いたいです。

斎藤一人さん

少しずつやると、楽しくできますからね。

嫌々やってたら、途中で本当に嫌になって、やらなくなりますからね。

掃除って本当は、毎日やるものなんです。

でも、これまでできなかった人に、いきなり「毎日掃除しなよ」って言っても無理なんです。

そういう人は、最初から毎日やろうとしないで、「この日は掃除しよう」って、日にちを決めてやるのもいいんです。

例えば、毎週日曜日にやるとかね。

それでも大変だったら、月一回から始めてみるんです。
毎月1日は、神様の日です。

だから神様の日に、神様に見てもらえるように、掃除してみるといい。

はなゑ

場所を決めたり、日にちを決めたりして、最初は少しずつ始めてみるわけですね。

 

 

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斎藤一人さんの話を纏めました。

 

皆様、いつもご精読ありがとうございます。

 

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