コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斎藤一人さん 考え方が現実になる

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今、目の前に起こっていることは、自分に焼き付いている「考え」というフィルムが、映っているに過ぎません。

 


考え方が現実になる


この世というのは、彼方の光に照らし出される考え方なのです。

光が考え方を通って、現実というスクリーンに映し出されます。

だから、否定的な人には否定的なことしか起きない。

否定的な出来事が出てくるようになっているのです。

考え方というフイルムが否定的ならば、あなたには失敗する出来事が山ほど出てくる。

否定的な考え方だから、物事がうまくいかなかったり、失敗したりするのです。

考え方というフイルムが肯定的であり、自分が夢を描いたものであれば、現実というスクリーンにそのまま映し出されます。

つまり、夢が叶って、どんどんうまくいくようになるのです。

今、目の前に起こっていることは、自分に焼き付いている「考え」というフィルムが、映っているに過ぎません。

否定的な人は、いいことが起こっている時ですら、それを悪くとります。

この世は辛いものだと思っている人は、何を見ても辛く見える。

他人にいいことが起こっても、「すごく楽しくて、よかったね」とは言えません。

「今は良くて調子に乗っているけど、すぐに落っこちるわよ」と思ったり、言ったりする。

他人に良い事が起こっても、「ああ、よかったね」とはなかなか言えない。

「私が出世すると、みんなが足を引っ張ろうとする」などと言うけれど、そう言っているあなたが足を引っ張るような考え方なのです。

あなたが、人のことを妬んだり、羨んだりしているから、そういう風に見えてくる。

それは、考え方というフィルムの問題。

フイルムも心だと思っているけれど、心とは違います。

心と命というのは、神の分け御霊なのです。

問題は、あなたの考え方なのです。

あなたの考え方というこのフィルムを、どれだけ替えられるか。

考え方を変えると、現実が面白いように変わっていきます。

フイルムをいくら替えても、願っていればいいんだと思い込んでいる人には、「願っていればいいんだ」という考え方が入っているのです。

あなたのフイルムが、

「願っていれば、ずっとなんとかなるんだ」となっているのです。
願っていればいいというのなら、あの世にもう1回戻った方がいい。

あの世にもう1回戻れば、願っていればその通りになる。

でも、この世は、行動しないと実現しない。

行動するために、私たちはこの世に招待されているのです。

この行動は、実はとても楽しいものなのです。

行動することが楽しくないという人は、行動はつらいというフイルムが入っている。

例えば、商売がそうです。

本当に一生懸命に仕事をすれば、仕事は楽しい。

宅配便の運転手だって、クリーニングの取次所の人だって、一生懸命にやれば楽しいものです。

それを苦しいと思っている人は、何もやりたくない人です。

忙しいから、苦しいから、仕事をやりたくないという人がいます。

世の中で一番苦しいのは、商売をやっても、お客さんが来ない、お金がない、というのが一番苦しい。

何もやらなければ苦しい思いをしないと考えている人もいるかもしれませんが、ちゃんと苦しくなります。

苦しむ人は、「世の中苦しい」というフィルムを入れているからです。

どれを掴んでも苦しむ。
そんな人が見ている世の中という映画は、苦しみの映画なのです。

自分の心が、現実というどんな映画を作るかが大事なのです。

自分が主演で映画作りに参加しているのです。

その映画を他人に見てもらって、この映画が素晴らしいとか、物語がいいとか、参加したいとか、と思ってもらえるかどうか。

その映画は、人様に発表できるものですか?

重要なことは、この考え方というフイルムをどう使うかということなのです。



考え方のフイルムを替えよう


「私は不幸が続くのです」という人がいます。

そういう人の考え方のフィルムには不幸という傷があり、そのフィルムがそのまま現実となって目の前に映し出されます。

その上、傷はどんどん大きくなってしまう。

なぜかといえば、傷を負った現実は、そういう現実をまた作る。

すると、それが自分にフィードバックされて、「やっぱりそうだ」ということになって、傷が広がったフィルムが作られて、それをまた映し出す。

悪循環が起こって、フィルムの傷はどんどん大きくなっていく。

だから、さらに不幸になるのです。

この世の中、1年間だって、春があり、夏があり、秋があり、冬があり、四季すら4回も変わる。

ずっと何年間も不幸だというのは、絶対不幸なフィルムを入れているからです。

これを替えない限り、幸福は絶対に行ってきません。

ブッダも、キリストも、このことは話しています。

しかし、昔は映写機というものがないから、ものすごい難しい説明になっていただけなのです。

簡単に説明すれば、心と考え方だけ、命という光がこの考え方のフィルムを通して、現実となって映し出されているということです。

だから昔から、「自分に起こることは100%自分の責任だ」と思いなと私は言っているのです。

でも、思いを急に変えられないかもしれない。

それだったら、言葉から変えようと言っているのです。

「ついてる」「嬉しい」「楽しい」「感謝してます」「幸せ」「ありがとう」「許します」などの天国言葉。

天国言葉を使っていると、自然に心が変わっていきます。

だけど、突き詰めて言うと、あなたの考え方が問題なのです。

あなたの心には、傷などついていません。

小さな頃から様々なことがあったと思うけれど、心に傷なんてひとつもついていない。
うまく行かないようならば、それは考え方に傷がついているからです。

うまくいっている人とうまくいっていない人を、よく観察してみてください。

考え方が違うだけです。

考え方というフィルムを替えないで行動だけを変えても、うまくいきません。

不幸のフィルムからは、不幸な事象しか起こらない。

不幸なことばかり起こると、そのうち怖くなって行動も出来なくなってくる。

重要なことは、考え方のフィルムを替えること。

心が傷つきません。

今、あなたに起きていることは、あなたのフイルムが現実として映っているだけなのです。

私はなぜこれだけの幸せになったのか、10人の弟子ができて、それぞれが出世できたのかといえば、私が10人の弟子のフィルムを替えただけのことなのです。

例えば、10人の弟子がどんなフィルムに替えたのか。

それは、「一人さんについて行くから間違いない」というフイルム。

いい意味で、それでいいのです。

フイルムが替わればいい。
怒っていることは、フィルムの問題だけなのです。

それが、目の前に映し出されるのです。



人が人を殺してはいけない理由


人は、絶対に人を殺してはいけません。

なぜかといえば、魂は死なないからです。

肉体は滅んでも、魂は故郷へ帰る。

魂は、また生まれ変わっていきます。

だけど、「魂は死なない」と言ったところで、殺した人は間違いなく殺人罪に問われて、何十年も刑務所に入って檻の中で過ごさなきゃならない。

しかも、死んでから必ず地獄に堕ちます。

ばかばかしいでしょう。

それよりも、こちらも魂、あちらも魂なのだから、お互いに尊重し合って生きればいい。

そうすれば、誰も傷つかない。

それでさえ、平気で人をいじめるような考え方を持っている人がいるから、地獄があるのです。

他人を殺すような人は、必ず地獄に堕ちるのです。


そこでも、やっぱりお互いに魂だから、尊重して生きられるようになるまで、厳しい地獄で修行するのです。

 

斎藤一人さんの話を纏めました。

 

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