その心も人間の身体の中にあることを忘れてはいけません。
つまり、心は人間の身体よりも大きくはないのです。
「心」の大きさはコップ一杯
さて、人間と動物との一番の違いは、「心」を持っているかどうかです。
人間だけが心という不思議なものを持っているので、心について考えることは、人間にとって、とても大切なことです。
では、人間の心というものは、いったいどれぐらいの大きさなのでしょうか。
心は人間が人間であることの証とも言える存在ですから、無限の広がり、とても大きな形を想像するかもしれません。
しかし、その心も人間の身体の中にあることを忘れてはいけません。
つまり、心は人間の身体よりも大きくはないのです。
人間の身体の中には、心臓や肝臓、腎臓など、様々な動機があります。
心もそれらの臓器と同じように、身体の中にあるのですから、心だけが大きな場所を閉めることはできません。
心の大きさは、おそらくコップ一杯程度でしょう。
そして、このコップの中には水が入っているのです。
この水が人間の心そのものだと考えてみてください。
すると、性格や人間性は、この水によって決まってくるのです。
清らかに澄んだ水なのか、それともドロドロに濁った水なのか。
人間の運命を決めるのは、心のエキスである、この水です。
きれいな水の入っているコップの持った人の人間性は、抜けるような青空に似て清々しいのですが、濁った水の入っているコップを持った人の心は、その水と同じように暗く汚れています。
心の中にきれいな水を
実を言うと、ほとんどの人は水は濁っているのです。
なぜなら、気づかないうちに、自分や自分の周りの人が、その濁った水をコップの中に垂らしているからです。
この濁り水とは、それまで自分が声に出してきたり、あるいは自分に向けられてきた諦めや絶望、妬みなどの言葉です。
「私は本当にダメな人間だなあ」
「何をしてもうまくいかないなあ」
「あ~あ、お金がない・・・・・・」
何気なくこんな言葉をこぼしている人が多いはずです。
また、「お前はどうしてそんなに勉強しないんだ」と学校の先生に叱られたり、「また途中で投げ出すのか。お前はダメだね」と親に小言を言われたりしたことがあるはずです。
貶されたりバカにされたりしていると、心の水はどんどん濁ってしまいます。
私たちの心のコップには、水が満々と入っています。
ですから、自分に向けて声を出したり、周りの人からの言葉を耳にすることは、このコップに雫を垂らしていることと同じです。
当然、いつかコップから水が溢れて溢れます。
この溢れた水が、その人の人間そのものを表しているのです。
溢れた水は、その人の表情であったり態度や行動になります。
立ち振る舞いや仕草、そして言葉となって出てくることもあります。
では、コップの水が濁っていたらどうなるのでしょうか。
もちろん溢れる水も濁った水です。
もし「嫌み」という濁った水で満たされたコップを持っていたら、溢れてくる水もまた「嫌み」です。
そのコップを持っているのは、世の中を斜めに見て、イヤミのことばっかり言っている人でしょう。
そんな人が商売で成功したり、幸せな人生を送れるはずがありません。
心のコップが濁り水で満たされている間は、決して幸せにはなれません。
幸せになるためにまずしなければならないことは、この濁り水を澄んだ水にすることです。
では、どうすれば濁った水がきれいになるのか。
それには、きれいな水を垂らすことです。
水道の蛇口から一滴ずつ、ぽたりぽたりと垂らすように、きれいな水を心のコップに垂らすようにします。
初めのうちは濁った水が溢れてきますが、それは仕方ありません。
それでもたらし続けていると、いつのまにかコップの水が綺麗になっていきます。
ところで、きれいな水とは一体どんな水なのでしょうか。
キリストと釈迦がともに残した重要な教え
コップに真っ黒の水が入っていても、きれいな水を垂らし続けていくと、コップの水はやがて綺麗になります。
大切なことは、コップに垂らすこのきれいな水はどんな水がいいのかということです。
分かりやすく言うと、水は「言葉」です。
綺麗な言葉を言ってきずつ辛抱強くたらしていく。
つまり、綺麗な言葉を口に出していくのです。
言葉は、「言霊=コトダマ」からきているので、とても大きな力を持っています。
普段、何気なく口に出している言葉が、その人の行動や生き方を決めてしまうくらいなのです。
地球上で言葉を使うのは人間しかいません。
だからこそ人間は無限の可能性を秘めているのです。
言葉の力とその言葉を持つ人間の偉大な可能性を知っていたのが、キリストや釈迦だったのでしょう。
二人が共に残した重要な教えに、次のような言葉があります。
はじめに言葉ありき。
綺麗な言葉を使うと人生は
言葉は神様が人間にだけ与えた偉大な力です。
私は、その力が生んだ最高傑作は「笑い」だと思っています。
地球上の生物の中で笑うのは人間だけです。
笑いは、言葉を持つことのできた人間だけの特権です。
お笑いは人を喜ばせます。
笑いは人を楽しませるのです。
こうして考えてみると、ユーモアというものは、神様が創り出した究極の力なのかもしれません。
でも、残念なことに、多くの人はこのユーモアという偉大な力を十分に活用していません。
楽しい人生、幸せな人生は、ユーモアによって導かれるのに、誰も真剣に考えようとしていません。
本当に残念なことです。
そして、ユーモアを作り上げるためになくてはならないのも言葉。
このように、言葉は人間にとって物凄く重要な存在なのです。
心のコップに垂らす水が言葉であること、また、コップの水をきれいにするためには、普段口にしている言葉を選ばなければいけないこと。
それがわかってきたのではないでしょうか。。
さらに言えば、綺麗な言葉を使えば幸せになれる、汚い言葉を使えば不幸になる。
世の中はとてもシンプルにできているのです。
例えば、 貧乏暮らしを長く続けている人は、必ず貧乏くさい言葉を口にしています。
「安月給で生活するのも大変だよ」
「お金がないからどこにも行けないんだ」
「この先どうなるか不安だなあ」
綺麗な言葉を使わなければお金はやってこないのに、逆に濁った水を垂らし続けています。
これではいつまでたってもコップの水は濁ったままなので、永久に貧乏暮らしから抜け出すことはできません。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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