人から見て正しいことは、決して神様が喜ぶ幸せなことではないんです。
「正しいこと」より「楽しいこと」を選ぶ。
過去の自分を癒すことで、自分を楽しめることに成功
自分の夢を子供に押し付けたり、自分の仕事を無理に継がせようとするのは、子供にとって苦痛なだけ。
親が期待をかけすぎると、子供が萎縮してしまうこともあるのです。
お稽古事でも、勉強でも、子供が辛くなるまでやらせてはいけない。
そんな辛い青春時代を過ごした、まりさんの体験をお話しします。
まりさんのお母さんは、音楽が好きで、まりさんが生まれた時からピアノがありました。
魔理沙にとってピアノはおもちゃの一つ。
ポンポンと鍵盤を鳴らすだけで、楽しい思いがいっぱいでした。
見よう見まねで鍵盤を弾き、3歳の時には、自分で簡単な曲を作れるほどに。
まりさんにとって、ピアノはすてきな友達だったのです。
お母さんは、ピアノを基礎から学んでもらいたいと、まりさんが4歳の時ピアノ教室に通わせます。
ここから、辛いピアノ修行が始まります。
それまでのまりさんは、いつも上機嫌でニコニコしていい子だったのに、4歳になった途端、性格が変わってしまったのです。
習う前からピアノに触れていたまりさんは、音感もよく、誰より早く曲を自分のものにしました。
さらに、子供では難しい譜面も難なく読むことができました。
お母さんも先生も「将来素晴らしい音楽家になる」と期待をしました。
まりさんはと言うと、レッスンが始まってからは苦痛でした。
面白くない曲を習い、自由に楽しく鍵盤を叩くことはできません。
そして、まりさんを小学生に。
入学したのは、なんと音楽大学の付属小学校。
病弱のまりさんに、より近い学校に通わせたいと両親が選んだのが、偶然にもこの小学校だったのです。
音楽大学の付属小学校に入ることで、さらに音楽漬けの毎日を送ることになります。
ピアノも歌も大好きなまりなさんでしたが、「親にやらせられている」という思いは常にありました。
高学年になるにつれ、生活はピアノ中心に。
「~ちゃんは3時間も練習しているのに、あなたはどうなの?」とお母さんに言われたり、「平日は2時間、休日は5時間ピアノを弾きなさい」「手を怪我しないように遊ぶときは気をつけなさい」と先生に釘を刺されたりします。
ある日、旅行に行くことになり、まりさんはすごく解放された気分になりました。
「しばらくはピアノの練習をしなくて済むんだ」
ワクワクして旅に出たのですが、なんと旅館にはピアノがあり、ここでも練習することに。
この時ばかりは、ピアノから逃れられないと感じて、悲しい気持ちになりました。
思春期になり、この想いがどんどん強くなっていきます。
お母さんからのプレッシャーで、どうしていいかわからない。
自分が何をしたいのかもわからなくなります。
「どうしてわかってくれないの!」と部屋で叫んだこともあるそう。
高校ではピアノ科へ行くものの、レベルがかなり高くなります。
周りと比べてできないことに落ち込むことも。
そして、だんだん「自分はダメだ」「何でできないの」と自分を卑下するようになります。
真面目に頑張ってきたぶん、つらかったんですね。
大好きなピアノがだんだん苦痛になってきます。
幸せということが何なのか、ということも分からなくなってきます。
誰かに認めてもらいたい、分かってもらいたいと心が叫んでいたのです。
まりさんは、何よりお母さんに認めて欲しかったんですね。
そして、努力をしないと、幸せになれないと勝手に思い込んでいたのです。
過去と自分の融合から、母の言動も理解できるように
大学は、ピアノ科ではなく、リトミックや歌を教える学部に入学。
ここで、苦しいピアノとの戦いを終え、やっと自分らしい音楽の楽しみ方を得られるようになります。
卒業し、音楽関係の仕事に就いた後、結婚。
3人の息子たちの母親になりました。
ただ、お母さんとのトラウマから逃れる事が出来ませんでした。
子育てする中、ふと自分も実母と同じような事をしていないか、息子たちに余分な期待をしていないか、不安になるのです。
そう思うと、どう子どもに接していけばいいかわからなくなります。
心が落ち着かなくて、モヤモヤしたり、イライラして子供にあたることもありました。
そんな時、一人さんを知るのです。
そして、一人さんを通して、私の講演会に来てくれるように。
ここで、はなゑ流のインナーチャイルドを癒す「癒しのレッスン」を体験します。
「初めは3歳の自分が出てきたんです。
すると、ぴょんぴょん跳ねて走り回り、ちゃっちゃと無邪気に遊ぶ私が出てきます。
『大丈夫だよ』って声をかけて、大人の私は3歳の私を抱きしめました。
なぜか、心が安らいで熱い涙がこぼれたんです。
このことがあって、私は自分のことを許せるように。
そして同時に、人生って面白いかもって思えるようになったんです」
半年後、自宅でぼーっと目をつぶっていた時、いきなり3歳の自分が現れたそう。
「3歳の私がピアノを弾いているんです。
そばでニコニコ笑う母が出てきて、なんか嬉しい気持ちになりました。
すぐに、シーンが変わって、今度は練習の時によく来ていたコート姿とピアノに向かっている私がいました。
とてもつらい思いをしていたころで、すごく悲しそうでした。
9歳の私をぎゅっと抱きしめ、『そのまま好きなことをしていいんだよ、よくがんばったね』と声をかけました。
すると、その時モヤモヤした気持ちが一気に消えて、このままでいいんだって感じたんです」
過去と今の自分との融合ですね。
過去の自分を癒したことで、まりさんの張りつめた心も暖まって行きました。
お母さんは、子供をきちんと育てようと必死だった。
厳しいことばかりを要求したのは、自分のためだったと気付いたのです。
もちろん、されたことをまわりさんにとって辛い経験でしたが、本当は母の愛だったのです。
愛されたことだけを受け取れるようになりました。
思えば、お母さんも自分の母親に、同じように育てられたのです。
世間から「正しい」と言われるような育て方しかできなかったのですね。
代々の因果をまりさんが、断ち切った、それだけで素晴らしいことですね。
母から愛を感じたまりさんは、わだかまりもなくなり、お母さんとの関係もすごく良くなりました。
この経験から、自分の子供に対しての接し方も変わりました。
「私自身、知らず知らずのうちに子どもたちに口うるさくしたり、強要したり、束縛したりしていたみたい。
インナーチャイルドを癒してから、子供を信じて、あるがままを愛そうと思えるようになりました」
自分を楽しめるようになったまりさんは、ピアノを弾き、歌うことを再開。
なんとCDを発売するまでになりました。
一人さんの詩に曲をつけて歌にしたこのCDは、一人さんファンに大好評で、増産するほどに。
透き通るような美しい歌声が、多くの人の心を癒しています。
人から見て正しいことは、決して神様が喜ぶ幸せなことではないんです。
「正しいこと」より「楽しいこと」を選ぶ。
これが一人さんの考え、親がなんと言おうと、何か前行った時は、「楽しい」方を選んでほしい、これが私の願いです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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