『我』は無くそうとしなくてもいいのです。
なぜなら『我』には限界があるからです。
『我の限界』
今、私は、いわゆる「Z世代」、つまり20代の若者たちと一緒にYouTube「柴村恵美子FWAFWAチャンネル]を配信しています.
彼らと話していて「伝えたいな」と思ったことがあるんです。
それは『我』というものについてです。
皆さんの中にも『我』はいけないものだと考えている人がいるのではないでしょうか。
実は、私も昔はそう思っていました。
だから一生懸命『我』を消そうって、がんばったこともあったんです。
その結果わかったことは、『我』というものと闘ってはいけないということでした。
『我』を敵だと思い、やっつけようとすると、自分が苦しむのです。
それは、なぜだと思いますか?
一人さんに聞いたら、こう言われました。
「神様がつけてくれた個性を、みんなは『我』と呼んで、さもいけないもののように扱うけど、一人さん的には、それは神様がくれた個性なの、自分なんだよ。
自分をやっつけようとするから、苦しくなるんだよ。
自分をいじめないで、もっと自分を大切にした方がいいよ。
そうすれば、自分も幸せだし、自分が幸せだと周りも安心するんだ」
そして、もう一つ、一人さんから言われたことがあるんです。
立派になろうとするな、って言われました。
「どういうことですかと言うと、立派なことを言っちゃいけないということだよ。
恵美子の場合だと『私は有名になりたくない』とか言っちゃいけないの。
なぜかと言うと、それは本心ではないから。
今世、絵美子の魂が持ってきているのは『有名になりたい』なんだ。
それは神様から見たら恥ずかしいことでも何でもないの。
それを恥ずかしく思うのは、世間の常識を基準にするからなんだよ。
世間の常識で言うと『有名になりたい』というのは『我』なんだよ。
ところが、神様が考えていることはすごいんだ、視野が全然違うんだよ。
有名になりたい、その思いを叶える過程で『我』は消えていく、って言うんだよ。
なぜかと言うと、自分のためだけを思って『有名になろう』とすると、貯金が減っていったり、人が離れたり、困ったことが起きてくるから。
そういう『仕掛け』を、神様が『生き通し』の中に仕込んでくるの。
だから『我』でやることはいつか限界が来るの。
その時に人は『愛』の出し方を覚え、魂が成長するの。
だから、そのままで大丈夫だ。
恵美子は恵美子らしく、一人さんは一人さんらしく、お互いが自分らしく生きること、それが「使命」なの」
そう言われたのに、うっかり立派なことを言ってしまうんです、私。
例えば、「努力が足りない、もっと努力しなきゃ」って自分自身に言ってしまったりするんです。
しかも、そういう時ほど、なぜかうまくいかない。
もう笑っちゃうほど、うまくいかない。
私はくたびれてベッドに倒れ込んでしまうんですが、この時、私は「あっ!!」て思い出すんです。
そういえば、昔、読んだ本の中に、リーダーが努力、と言い過ぎると、ついてこれなくなる人間が出てくると書いてあったな、とかって。
そして、私は「愛」を覚える。
自分が自分についていけなくなるほど、努力、努力って言いすぎるのは、もう、よそう。
人に対してもそうだって。
私は「斎藤一人さんの一番弟子」と言われるのですが、もしかしたら、弟子の中で、そういう経験が一番多いから「一番弟子」なのかもしれません。
でもね、そういう体験を交えながら「失敗は失敗ではなく、学びなんだ」ということを伝えると、皆さん、「自分も自分らしく生きよう」って、顔がイキイキ輝いてくるんです。
それを見ていると、私はすごく幸せな気持ちになるんです。
『一瞬のタイムスリップ』
昨日の自分に挑戦しながら走ってきて、ある時、ふと、『夢を描いていた頃の自分』が浮かぶ時があるんです。
世界中で猛威を振るった新型コロナが少し落ち着いてきた頃のことです。
私の公式YouTubeチャンネル「FUWAFWAチャンネル」の企画で、大阪の自宅マンションで私の暮らしぶりなどを撮影することになりました。
感染拡大防止のための自粛生活が始まってからの3年間は、東京の住まいでリモートワークをしていたので、大阪に行くのは久しぶり。
しかも、コロナ以前は、よく友人や、うちのスタッフたちと、わいわい飲んだり食べたりしていたほ北新地の飲食店での撮影も予定されていたので、私としては非常に楽しみにしていたんです。
撮影当日の朝に新幹線に乗り、お昼頃に大阪の自宅マンションに到着。
それから夜までずっと撮影して、夜は北新地の飲食店で撮影。
終わったのは11時ちょっと前だったでしょうか。
お店は出ると、あちらこちらから明るい笑い声が聞こえてきました。
昔のにぎわいが戻りつつあることを感じて、私は嬉しくなっちゃって。
それと同時に、昔、よく行ったお店の人たちのことが気になって、行きつけだったお店を訪ねてみたんです。
昔と同じ場所で頑張っているのを見た時は、胸に熱いものがこみ上げてきそうになりました。
撮影が終わっても数日、大阪に滞在。
大阪の事務所で、スタッフたちと対面でミーティングをしたりしていたのですが、『時間と空間』というのは不思議ですね。
久しぶりに大阪・梅田の街は歩いていた時に、ふと、「夢を持って北海道から大阪に出てきた頃の自分」のイメージが出てきたんです。
30代前半、師匠の一人さんから「大阪で花を咲かせてこい」と言われ、私はブランドもののスーツでビシッと決め、そして現金数百万円を入れたバッグを持ち、帯広から飛行機で大阪にやってきました。
伊丹空港を眼下に眺めながら「この大阪から『今ここ』から、一人でも多くの人を幸せにします!!」と心に誓って、大阪の地に降り立ったんです。
そして事務所を借りるのに、まずは大阪の一等地、梅田に向かいました。
持ってきた現金は、事務所を借りるための費用でした。
私としては大金です。
「これだけあれば、借りられるだろう」と思ったのですが。
「お客さんの予算に合う事務所は、ウチでは吸かっておりません」
不動産屋さんにそう言われました。
ショックでしたが、立ち直りが早い私です。
「探せば、掘り出し物があるかもしれない」
何軒も何件も不動産屋を回りました。
どこでも同じことを言われました。
パンプスを履いた足はむくんでパンパン、そろそろ我慢も限界です。
「このビルのオーナーは、きっと億万長者なんだろうな。
あのビルも、このビルも、みんなそう、オーナーは億万長者」
界隈を歩きながら見上げたビルは、私の目には、どれも輝いて見えました。
「こんなにお金持ちがいるということは、私ももっと豊かになれるんだよね。
だけど、今はお金がないから仕方がない、安いところを借りるしかない」
私は、中心地かから外れたところで事務所を借りることに決めました。
そして、梅田を去る時、私は心に誓いました。
「いつか、きっと、ここに事務所を構えてみせる!!」と。
一瞬のタイムスリップでしたが、あの時の自分の『熱』を、何十年もの時を経て、今の私が感じていました。
私は梅田の大通りに面したビルに入り、オフィスのドアを開くとスタッフたちにこう言いました。
「みんな、ご活躍さまよし、感謝してます」。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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