コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斎藤一人さん 『ギフト』

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大切な人が光の国に逝く時は、必ず『ギフト』を置いて行ってくれるんです。

 


『ギフト』


ひとりさんは昔、こんなことを言っていました。

「親が光の国へ旅立つ時は、我が子に『大切な何か』を置いていくんだよ。


遺産とか、形見の品物とか、そういう、形あるものだけじゃなく、形のない大切な何かも置いて行ってくれるんです。

例えば、お酒の飲み過ぎで体を壊してしまったんだとしたら、お酒はほどほどに楽しんだ方がいいという教えだったりさ。

それから、その家ならではの『家庭の味』というのもそうだよね。

あるいはまた、悲しくて泣いた時、母親が背中をさすってくれた、暖かい手の感触だとか、目を閉じると頭に浮かぶ笑顔、思い出、いろんなものを置いていってくれるんだよ」


思えば、私の兄も、私にたくさんの『ギフト』を置いて行ってくれました。

その中で、かけがえのない『ギフト』が2つあるんです。

1つは、家族。

つまり、兄の子供たち、そして、その子供たちです。

そして、もう一つ、兄がくれた『ギフト』が、

「愛で人生は輝く」

ということでした。


ある日、兄が入所する施設に、姪っ子が生まれたばかりの赤ちゃんを兄に見せようとやってきました。

その時、兄は、こう言ったそうです。

「元気な赤ちゃんが生まれてよかったな。俺も安心したよ」

そして、子供たちが帰ったと、施設の職員さんに、

「私の人生は最高だ」

そう言って、翌日、兄は光の国に旅立ちました。


私の兄がそうであったように、兄と子供たちの間に、いろんなことがありました。

兄としては信念を持って、今世、与えられた『お役目』を果たしていたのだろうと、今の私は思っているのですが、ただ、家族を顧みないところが、兄にはあったんです。

私も、兄の子供たち、私にとっては姪っ子、甥っ子から相談されて、

「兄貴、自分の家族を大事にしなよ」なんて意見したこともありました。

でも兄は、自分が「こう」と思ったら猪突猛進、周りの声は聞こえないのです。

これは、柴村家の人間の特徴でもあるんですが(もちろん、私もそうです。笑)


そんな兄が、ここ数年、人が変わったんです。

きっかけは『がん』でした。

子供たちは、兄が入所する施設を訪ね、笑顔と優しい言葉で接する。

兄の方も、子供たちの優しさを素直に受け止め、

「みんな、来てくれてありがとう、感謝してるよ」

と、感謝の言葉で『愛』を返す。

そして、やがて兄の口から、こんな言葉が出るようになったのです。

「幸せだ、俺は体はこんな風になってしまったけれど、生きてて良かった、幸せだよ」


振り返ると、兄が『いのち』を燃やして私に見せてくれたことは、

「人はいくつになっても変われる」

ということ、それも、いい風に変われる、ということでした。

そして、いい風に変えたのは何だったのかと言うと、「愛」です。

人生は「愛」で輝くのです。


兄からもらった『ギフト』を大切に、これからも続く生き通しの旅路をより一層、楽しみたいと思う私です。

最愛の母が残してくれた『言葉のないメッセージ』


ありがなくなるとうんと前、母が亡くなった直後のことです。

で母が入所していた施設の職員さんから、1枚の写真を見せてもらったことがあります。

それは、母が光の国に旅立つ少し前に、母のお世話をしてくれていたヘルパーさんが撮った写真でした。


車椅子に乗って庭園に出た母は、両手をふわぁーっと広げていて、近くの森に住む鳥たちでしょうか、母の方や手のひらに鳥たちが遊んでいました。

その鳥たちを見る母の目は、小さな『いのち』をそっと見守るような、優しい目をしていました。

降り注ぐ陽の光は、柔らかで暖かく、母は、穏やかで満ち足りた表情をしていました。


そんな母の表情に私は驚いて、

「えっ、母さんって、こんな表情をするんだ」

つい、そう言ってしまったんです。

それくらい、娘の私が惚れ惚れするくらい、幸せそうな表情していました。


子供の頃、病気の親の世話をするために、小学校高学年ぐらいから学校に行けなくなってしまった母。
2度の結婚を経験し、二度とも夫を早くになくした母。

二人目の夫(私の父)が光の国に行った後、母は女手一つで兄と私を育てながら、村でただ一つのお店を営んでいました。

店自体は繁盛していたのですが、年中無休で朝から晩まで働いているのに、月末には支払いが滞ってしまいます。

そのことで私に心配をかけまいと、母は隠れて取引先に頭を下げ、その後は、何事もなかったかのように、「あっはは、おっほほ」と明るく笑っていた母。

それでも母は、自分が幼い頃、寂しい思いをしたせいか、貧しくても家族が一致団結して暮らしていることに幸せを感じて、私によく、

「お母さんは、恵美子がいてくれたら、それでいいんだ」

母はよく、そんなことを言っていました。


ところが、兄が進学のために家を出て、私は18の時に上京して、指圧の専門学校で学び、そのまま東京で指圧師として働き始めました。

そして、紆余曲折を経て、私は銀座もあるから柴村グループの拠点を帯広から大阪に移すことになりました。

私はさらに豊かになり、母に贅沢をさせてあげられるようになったのですが、あの写真で見たような顔をしている母を見たことがありませんでした。


母が光の国に旅立ち、施設の職員さんから、あの写真を見せてもらった私は、
「母さんの、あの表情はどこから出ているんだろう?」と考えていました。

施設の職員さんが、よくしてくださったということもあるでしょう。

でも、それだけじゃない、いろいろな要因があると思います。

その中で、一番の理由は、母はそこで新しい幸せを手に入れたんです、きっと。


私は心のどこかで、母に対して「一緒にいてやれなくて、ごめんね」と思っていたのですが、施設の職員さんの話によると、母は施設での生活、出会いを楽しんでいたそうです。

そして、「私のことは気にしないで、恵美子は恵美子で幸せになればいい」と、私の幸せを願っていたとのことでした。

私は、自分の勝手な思い込みで母を見ていたんですね。

「私がいなくちゃ、幸せになれない」なんて。

母はそんな人では決してないのに。


私は「もっと人生を楽しもう」と思いました。

それが母の願いだから。

そう思った瞬間、私の心の中に涼やかな風が吹いたのを感じました。

そして、「今、神様がマルをくれたんだな」って、私は思いました。

 

斎藤一人さんの話を纏めました。

 

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