俺のことを知らない人も、見たことがない人も、縁があるから、ここで出会ったんだよな。
「袖すりあうも多生の縁」と言って、遠い過去からの縁で知り合った人が多いんだよ
ことわざに「袖すりあうも多生の縁」というのがあります。
「多生」とは、今世の人生が終わっても、人間の魂は姿かたちを変えて何度も生まれてくることなんだそうです。
つまり「多生の縁」とは、何度も生まれ変わりを繰り返す中で生まれたご縁(繋がり、または、関わり)のことを言います。
そして「袖すりあうも多生の縁」とは、道ですれ違った時に少し肩が触れた程度の関わりしかない人でも、あるが遠い昔にご縁があったかもしれませんよ、ということを言ってるのです。
そういう目で、会う人、会う人を見ていると不思議な気持ちになります。
私が出会う人は皆、何かのご縁があった人たちなのです。
自分は一人で生きているのではないのだなと思います。
逆を言えば、皆さんは色おかげで私が存在しています。
皆さんは私にとって、とても大切な存在なのです。
「視野が広い」とか「狭い」とかって言うじゃない?
今世だけ見ていたら、そんなに広くないかもしれないよ
もちろん『縁が深い人』ではあるのですが、皆さん「あの人、何だかなぁ・・・・・・」と思っている人、「何で、あの人はこうなんだろう」と思っている、その人も『縁が深い人』かもしれません。
もし、そういう人との間で、今何かわだかまりがあったり、何か問題やトラブルが起きていたりするなら、何代か前の人生で、その人との間で起きた問題が解決できていないのかもしれません。
一人さんはこう言います。
「今起きている問題を解決しようと思ったら、どういうわけでその問題が起きたのかを見て、解決策を考えるじゃない?
その時に今世のことだけ見ていたのでは、なかなか解決できないことがあるんだよ。
そういう時は『前世からの課題』を持ち越している可能性が高いよね」
肉体は滅んでも、魂は永遠不滅だと、
一人さんは思っている人なんだよね。
前世で関わりがあるから
今世で出会うんだよ。
そして今世やりなこうしたことはリベンジで
来世またやるようになっているんだよ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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