なぜ、人の悪口を言ってはいけないのかと言うと、
人は『自分』を知るために生まれてきたから。
- 「あの人はこうだから」と、いつも他人のことを言っているのは、もしかしたら、「自分を見たくない」のかもわかんないよね
- 自分はなぜ怒っているんだろう、何が嫌なんだろう、自分は何を恐れているんだろうって、自分を見つめていく
「あの人はこうだから」と、いつも他人のことを言っているのは、もしかしたら、「自分を見たくない」のかもわかんないよね
一人さんが人の悪口を言っているのを、私は一度も見たことがありません。
その理由を、ある時本人に尋ねたところ、一人さんは「他人のことを言うほど、俺は立派な人間じゃないから」と言ったそうです。
私は納得いかなかったので、問い詰めました。
すると、一人さんは教えてくれたんです、人の悪口を言ってはいけない理由を。
人は自分を知るために生まれてきたのに、人の悪口をばかり言っていると、自分を見つめることができなくなるからというのが、その理由でした。
これはどういうことなの、もう少し詳しくお話ししましょうね。
人が生まれてくる目的は、一人さん曰く、「自分を知る」ためなんだそうです自分を知るためなんだそうです。
ちなみに自分を知るとは、例えば、誰かの振る舞いにイラッとした時に「あ、今は自分は腹を立てているんだな」って、自分のありのままを受け止めます。
それが「自分を知る」ことの第一歩なのです。
自分はなぜ怒っているんだろう、何が嫌なんだろう、自分は何を恐れているんだろうって、自分を見つめていく
例えば、誰かの振る舞いにイラっとしたら「自分は腹を立てている」とありのままの自分を受け止めます。
そして、何に腹を立てているのか自分自身に聞いてみましょう。
聞いてみた結果、例えば、「あの人の要領の良さが気に入らない」ということであれば、さらに「あの人が要領がいいことで、自分にどんな不利益があったんだろう?」と自分に聞く。
さらに「そのことで自分はなぜ怒っているんだろう」と自分に聞く。
またさらに、「本当は何に対して怒っているの? 何を恐れているの?」と尋ねます。
そのように自分を見つめて見つめて見つめていくと、最終的にはものすごく安らいで気持ちになります。
これを「大安心の境地」と言います。
大安寺の境地に至ることは簡単なことではありませんが、自分を見つめるうちに、「あの人が要領よく振る舞っていることで、自分が不利益を被ったわけではない。なのにイラッとするのは、自分が勝手に、要領の良くない自分とあの人を比べているからだ。
比べるのはやめよう?」などと客観的に判断することが身についていくのです。
人のこと、とやかく言えるほど
立派な人間って、
どれくらいいるんだろうね。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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