周りが暗いから「嫌になっちゃう」ではなくて暗いから明かりをつけながら歩く。
そうすると「類は友を呼ぶ」と言って自分と同じ、明かりを灯しながら歩いている仲間が集まってくるんだよ。
その仲間とワイワイやりながら運命が変わるの。
この国に生まれて得した、このものがあって得した、この人と出会って得した、この自分に生まれて得した。
自分が住んでいる地域、都道府県、国、この地球を褒めてください。
「ここに生まれてよかった、得した、得した」と。
そうすると、地場の神様が喜んで、あなたにお礼をしてくれます。
自分の身の回りにあるものや人、一切合切褒めてください。
「このモノがあって、良かった、得した」と。
身の回りにあるモノを褒めると、モノから大切にされます。
「この人と出会って、よかった、得した」と周りの人を褒めると、周りの人が大切にしてくれます。
「この自分に生まれてよかった、得した、得した」と、自分を褒めてください。
私たちの命は神様の分け御霊、つまり、私たちは神様なのです。
そして、あなたをもっと幸せに豊かにしてくれるのは、あなたの神様です。
その神様を褒めると、一人さん曰く、お得な人生が始まります。
「悟りとは、オレの場合、一生懸命仕事をして、
やりたいことも全部やって人生を充実させること」
ひとりさんは、自分が知っている『いいこと』は惜しみなく教えてくれる師匠なんですが、「教えない『教え』」とでも言ったらいいのでしょうか、日常会話の中で、ぽつりと呟いた『一言』がだいぶ後になって、「あぁ、こういうことだったのか」とわかることが、私の場合、ものすごく多いんです。
「オレの、働く目的は『自由』なんだよな。
だから、自分が苦しくなるような働き方はやらないんだよ」
一人さんの、この言葉を後ろの席で聞いていた私は「ひとりさんらしいな」と思いました。
そして、「そういうことを、一人さんのように、さらっと言えるような人に、私はなりたい」そう思ったのはいつだったでしょうか。
月日は流れ、2020年春───。
新型コロナウイルス感染症の流行に伴って始まった自粛生活。
私は東京のマンションにこもり、リモートで仕事する傍ら、師匠の1人さんが今まで話してくれた言葉・音声を掘り起こして自分が歩いてきた道を振り返り『答え合わせを』していました。
「悟りとは、オレの場合、一生懸命仕事して───」という、あの、一人さんの言葉を見つけた私は「あっ、一人さんと同じだ」と思ってしまいました。
専門学校時代、一人さんと「心が豊かになる会」の活動───白光の誓いの実践───を始めてからずっと、仕事という方針を一生懸命行い、それに対する『神様からのご褒美』で、やりたいことを諦めることなく、全てさせていただいているのです。
このような生き方ができるようになるとは、以前の私は思っていませんでした。
本当に、ありがたいことだと思っています。
やりたいことを諦めたことがない私でも、「やりたいけれど、どうしようかな」と、ためらうことが過去に、何度かあったのです。
そんな時、私の背中を押してくれたのは、一人さんでした。
「やりたいことは、やっちゃいな。今すぐやっちゃいな」
いつも、一人さんは、そう言ってくれていたのです。
例えば、北海道で指圧治療院をやっていた、ある日のことです。
北海道に遊びに来た一人さんとおしゃべりしている時に、私は「今度、生まれてきた時は、ディナーショーをやりたいな」と言ったのです。
実は私、子供の頃から歌が大好きで、歌手になりたいと思っていました。
そして、ディナーショーをやるのが夢だったのです。
ただし、当時の私は「歌手ではない自分がディナーショーなんてできるわけがない」と思い込んでいました。
ところが、ひとりさんは「やっちゃいな。来世なんて言ってないで、今、やっちゃいな」というのです。
「えっ」と思ったのですが、1人さんの言葉が不思議なパワーとなって私を動かしました。
ディナーショー開催する場所も音響機材も何も準備していなかったのですが、私は「ディナーショーやります」と知り合いにお知らせしてしまったのです。
ところが、不思議なことに、知り合いのつてで場所や機材を貸してくれる方が現れ、『本格的なディナーショー』を開催できることになったのです。
正統派フレンチの専門店で、清掃の人々を前に歌を人ができた時は、本当に感無量でした。
また、東京でマンションを探している時に私は「大阪で自宅マンションを買っちゃったことだし、どうしようかな」と迷っていたのですが、一人さんにこんなことを言われるんです。
「『ふつう』はマンションを一戸買ったからしばらく質素に、と考えるようね。
ただ、オレの一番弟子は『ふつう』ではないんだよ。
わかるかい?
好きなことして生きるのは『わがまま』だと言われて嫌われる、そうやって言うけれど、自分の好きに生きて周りの人に愛さればいいんだよね。
そのためには、自分は神様の分け御霊、愛と光だということを忘れなきゃいいんだよね。
一番弟子の柴村恵美子なら大丈夫。
私は大丈夫! って言ってごらん」
そして、自分がやりたいこと、好きなことを全てやるように必要なお金は『奉仕』という愛を働かせることによって得られるということを教えてくれたのも、ひとりさんでした。
治療院で指圧師として働き出して間もない頃、患者さんとのコミュニケーションがうまくいかず、つい愚痴ってしまった私に、一人さんは「そんなこと言うもんじゃないよ、恵美子さん」と言って大切なことを教えてくれたんです。
「お金をいただく以上、お客様に喜ばれなきゃいけないんだよ。
それも、普通に喜ばれる程度ではなく、『また、あなたに会いたい』と思ってもらえるぐらいじゃなきゃいけない。
プロの中のプロにならなきゃいけないよ」
ひとりさんの、この言葉に「ハッ」として目が覚めた私は、その後、先輩たちの誠実を見学させてもらったり、地名の多い指圧師さんの施術を受けに行って勉強し、「お客様に『また会いたい』と思ってもらうために、自分は何ができるか」を考え、思いついたことを試して改良して、また試して改良するを繰り返し、様で指名ナンバーワン指圧師になったんです。
その後、ふるさとの北海道で指圧治療院を開業した時も、一人さんが私の治療院を訪ねてきた時に私に言ってくれた、
「この場所を100%活用しているかい?」
この一言がきっかけで、また私の意識がガラッと変わったんです。
「指圧師として技術を売る」という考え方から「技術はもちろん、この場所を使ってお客様を喜ばせることは何だろう、自分は何ができるだろう」に変わりました。
そうして私は起業家の道へ一歩、足を踏み入れて行ったわけです。
そこから『年商35億の社長』と呼ばれるようになるまでに10数年はかかったのですが、振り返ってみると、楽しいことしか思い浮かびません。
経営者の方達とお会いすると「社長は孤独だ」というお話を聞くこともあるのですが、私はありがたいことに「社長が孤独だと思ったことが一度もありません。
北海道で治療院を開業したばかりの頃、施術ベッドを買ったり内装工事をするのに、貯金を使い果たしてしまって、お財布に3000円しかなかったこともあるのですが、その時ですら、私は一人ではありませんでした。
師匠の一人さんがいて、仕事を応援してくれる家族と地元の友達がいました。
それだけではありません、お客様が自分の家族やお友達を連れてきてくれたり、助けてくれたんです。
その後、私は指圧師をやめ、一人さんの銀座まるかんの商品を販売する会社を立ち上げることになるのですが、その時に以前お客様だった方がスタッフとなり、今も私を支えてくれています。
こんな風に、いろんな方に愛されて立つ助けていただける人間になれたのは、一人さんの言葉、立ち居振る舞いを見ながら、
「人の幸せに貢献することを、一番身近な人から初めて周りに広げていく」
ということを覚えてこれからだと思っています。
そして、このことが私の運命を変えたのです。
かつて『気さくな指圧師の恵美ちゃん』と呼ばれていた私は『35億の社長』としてはもちろんのこと、40万部長の「引き寄せシリーズ」をはじめとする自己啓発書の著書であり講演家として、さらには一人さんの教えをラップにした「アキンド・ファイター」を歌う『謎のラッパー』として知られるようになったのです。
東京のマンションで自粛生活を送っている間、自分が歩いてきた道と、一人さんの言葉「ひとり言」がピタッと、面白いように一致するのを確認していた私の中で「一人さんの言葉を次の世代に残していきたい」という思いがどんどん、どんどん強くなっていきました。
「何かピンと来る言葉があったら、「もっと幸せ」「もっと豊か」な方へ向かっている、皆さんの背中を押す、そんな言葉があったら、是非、縁のある人にシェアしてください。
ちなみに、「自分が知った『いいこと』を自分の周りにいる人に伝える」ことを
『徳を積む』と言います。
自分が積んだ徳は、周りを回って、自分のところに戻ってきます。
これが、この世の中の成功法則だと、一人さんから教わりました。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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