杉の子供は完璧に杉、ということが理解できないのは、多分、小さな芽では誰かの足に踏まれてしまう弱さがある、ということを心配しているのでしょう。
「杉の子供も完璧に杉」──要は子供を信じればいいのです!
長男は、中学の後半の頃から精神的な葛藤を迎え、学校に行かなくなりました。
本人は本人で、「学校に行かなければならない」と理解しているのですが、「与えられた環境を楽しまなければならないのは分かっている。でも、どうやっても自分は楽しめない」
というのです。
物心がつけば、いろんな壁にぶち当たって悩むのは、ごく自然なことです。
それは、体が大きくなって、それまで来ていた洋服がきついと感じるのと同じようなもの。
子供自身が解決できると信じていたから、私は敢えて何も言いませんでした。
しばらくは、毎朝、仕事に出かける時に、私の彼の間で、こんな会話が続きました。
「今日は学校に行くの?」
「家で寝てる」
「あ、そ。じゃあ、お母さんは『顔晴って』仕事してくるから、かんたも『顔晴って』寝てね」
そうやって放っておいたら、卒業ができなくなる寸前に来てしまいました。
でも、この時も私は、
「卒業できなくなるから学校に行きなさい」
とは言いませんでした。
学歴がなくても、働いて自分で食べて行く道はいくらでもあると思ったからです。
すると、そのうちに自分から学校に行くようになりました。
そして、この経験で、彼は「自由というものは、そんなに甘くない」ということを学んだようです。
一人さんが、
「杉の子供は、小さいけれども完璧に杉だ」
というように、子供も完璧に「人」なのです。
杉の子供は、ただ「小さい」というだけ。
何も、大人の杉でなければ、杉とは言えないわけではありません。
物事には、順番というものがあります。
芽が出て、茎が伸びて、葉が大きくなって、幹を太くして、大きな杉になるのです。
それぞれの段階で、大きさも、力も違いますが、杉の子供は謝ってミカンの木になるということはありません。
1つ、1つ、階段を上っていくだけ。
小さな芽は、大きな杉の木になるために発芽したのです。
杉の子供は完璧に杉、ということが理解できないのは、多分、小さな目では誰かの足に踏まれてしまう弱さがある、ということを心配しているのでしょう。
でも、だからと言って、次をビニールハウスの中で育てても、狭い中に閉じ込められていたのは、空を貫くような立派な杉にはなりません。
ましてや、小さいから早く伸びろと引っ張ってしまったら、杉の子供は死んでしまいます。
杉の子供は、大きな杉の木になる力を持って生まれます。
人の子供も、大人になって、自分の人生を生きる力を持って生まれます。
親は、子供の伸びる力、生きる力を信じていればいいのです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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