逆上がりに挑戦して100回目に「できた!!」それまでの間、99回練習してただけなんです。
人生も逆上がりと一緒、失敗はありません
例えば、逆上がりに初めて挑戦する人がいるとします。
逆上がりの練習をして100回目に「できた!!」ということになったとします。
1回目から99回までは「練習をしていた」んですよね。
1回目で逆上がりにできちゃう、そういう人も稀にいるのかもしれないけど、大概の人は、何回か練習してできるようになるんですよね。
練習しながら「こうしたらうまくいかなかったから、今度はこうしてみよう」とか、「こうしたらもっと行けるかもしれない!!」とか、ちょっとずつ学んで行って、最終的に「できた!!」ということになる。
人生も逆上がりと一緒、失敗はありません。
私たちは、何かを学ぶために生まれてきているんです。
人間は、出会う人、起きる出来事から何かを学んで生きています。
それも、失敗しているように見える時こそ、何かを学んでいるんです。
だから、例えば、「自分は、昔、若気の至りで、深夜ブンブン爆音を鳴らしながら、バイクに乗っていました」という人がいるんだけど、その人は、ブンブン鳴らしながらバイクに乗ることで、何か学ぶことがあったんです。
知らない人は「あんなバカなことをして」とか思うのですが、その、バカなことから何かを学ぶ定めを持って生まれてきた人もいる。
確かに、ブンブン走ったことで、人様に迷惑をかけたこともあったでしょう。
ただ、「魂の成長」という観点から見ると、それは決して失敗ではなく、当人が成長するために必要な過程なんです。
そんな、バカなこともやりながら、人は学び、そして生きる。
だから、人間は生涯「学生」なんです。
と、私は思っていて、ずっと学生を続けているんです。
思ったように行かないと「仕方がない」って言うんです。
それは「今は仕方がないが、次は・・・・・・」という意味なんです。
日本でもそうなのですが、いろんな国に華僑(中国に生まれたのち、外国に移住した人、またはその子孫)の人たちがいて、活躍しているでしょ。
そんな華僑の人たちには、華僑の人ならではの、独特な捉え方のようなものがあって、それを調べると非常に面白いんですよ。
例えば、何かうまくいかない時に、華僑の人たちは「仕方がない」と言うんです。
それは、「まいった、お手上げだ」という意味ではないんですって。
うまくいかないのは何か理由がある、間違いがあるんだと。
だから、うまくいかないのは「仕方がない」と。
そのあと心の中でこういうの。
「今は」って。
つなげて言うと、「仕方がない、今は」ということらしいのね。
どういうことかというと、「今うまくいかないのは仕方がないよ。でも、次はきっと成功する」とか、「いつか、きっと」と思っているのです。
これは『今』だけ見て一喜一憂するのとは真逆の反応です。
ちょっと視野を広げて、長い目で見ているんです。
そして、「このまま同じ状態は続かない」そう思っているのです。
なぜ、華僑の「仕方がない」という話をしたのかと言うと、か『今ここ』1点しか見えていないと苦しくなることがあるんです。
例えば、「こうすれば、こうなる」と思って、やってみたら、思ったように行かなかった、とかね。
その時に「今のままが続いていく」ような気がしちゃうと、目の前が真っ黒になっちゃうんですよ。
でも、今のままが続くことは絶対にない。
なぜなら、私たちの中にある魂は、今より明るく、より豊かな方へ向かい続けるから。
何より、時間は無限にあります。
今世が無理でも『次』があるんです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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