自己決定性
過去の体験や取り巻く環境に左右されるかどうかは自分次第であり、人は自身の運命を切り開く力があるというものです。 つまり、人はどのような状況であろうが行動を選択することができ、自由意志に従って行動できるのです。
自己決定性がない場合
今、自分自身の所得、 学歴、自己決定性、 健康、人間関係を自分自身で決めたものであれば人は納得いくと思いますが、いろんな事情があり自分で決められなかったことが多くあると思います。今現在も自分で決められない境遇に居てる方もたくさんおられると思います 。
しかしながら 責任はどんなことでも自分に来ます、たとえそれが親の決めたことがあっても自分の責任になります。
自分自身の問題として捕らえられない方もたくさんいてると思います。
親の決めたことでも最終的には自分が 強要されてレールの上に乗せられたということですね。
人生は自分自身で決めれると思ってるような考え方は少し偏ってると思います。
しかしながら自分の人生なのですから、自分のことは自分で決めれる環境に身を置いてください、
決めることの出来ない環境であるならば、その場所からまず逃げてください。
自分で自分のことが決められるのが人にとって一番幸せなことかもしれないですね。
進路の選択 2万人の調査結果
自己決定性の取り入れることの出来る環境に自分をおいて下さいね!!
健康、人間関係に次ぐ3位に自己決定は入りました。
つまり学歴や所得よりも上に来るということです。
アドラーが最終決定権は自分自身にあると言っていますが
その決定権が親が持ってる人や周りの環境に支配されてる人がいます。
アドラーの心理学は幸せを前提としたものであり、
すべての事柄には当てはまりません、 それゆえに自己決定性が 学歴や所得より上に来るのです。
自己決定性のない人は不自由さがあり自己矛盾があり葛藤があり耐え難いものがあるでしょう。
私も知りませんがアドラーは世間のことを知らなすぎますね!!
アドラーの心理学がどうしてこれほど評価されているのか私には理解できません。
親の勧めるレールに乗ってきましたが、本当はサラリーマンではなくて 自分の好きな選択をししたくて も
- 仕方なくサラリーマンを選んだことに対する後悔があるのかもしれません。
- サラリーマンになりたかったけれど、親の仕事の跡継ぎになったことは間違ってたのではないだろうか。
- 親の勧めた人と結婚したけれど、これで良かったのだろうか。
なんとなく決めてしまった人生の分岐点
自分にはサラリーマンの方があっていたのではないかという後悔もあるかもしれません。
親の進めた人と結婚したけれども本当は好きな人と結婚する方が良かったという経緯があるのかもしれません。
自分には自己決定権があったけれども 分岐点で思慮分別なくなんとなく道を決めたのかもしれません。
親に勧められた人と結婚した時はそれで良かったと思ったかもしれませんが自分で決めていないことに悔いがあるのかもしれません
自分の気持ちと向き合おうとせずに 自分自身で物事を決めないと 後々になって
この人生で良かったのかと 自問自答する日々がくるように思えます。
進学、就職、結婚 、離婚 など様々なこと
信頼できる友人や専門家に聞くこともいいとは思いますが
話は聞くだけ聞いてみて 最終的に決めるのは自分自身であるということです。
上記のような進学などの大切なことでもなんとなく決めてしまうということが あるのでしょう。
色々な人に相談しながらその中で自分が本当に何をしたいかというのが明確になってくるかもしれません。
試行錯誤の繰り返し
人生の方向性をわかってる人などほとんどいません、 ただその道を進んでいて間違っていればすぐに引き返すのがいいでしょう、そしてまた 違う道を進んでいくのです、それがあっていればその道を進めばいいですし、あっていなければ引き戻してくるのがいいでしょう。人生はその繰り返しだと思います。
間違ってると思った時点ですぐ引き返してくるのがポイントになると思います。
まとめ
そして人生の黄昏時になって、本当に自分のしたいことが見つかった時にこれがしたかったんだ と実感できた時に人が初めて自己決定性を手に入れるのです。
学歴や所得より自己決定が上位に来るということは 自分のしたいことが見つかり心の底から幸福感を味わった時に人生の醍醐味があるのでしょう。
自分の決めたこの結果は後悔は残りませんね!!
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。