怒ると血圧あがりますよ!!
怒りの深層心理
会社、家族、友人などの人間関係で様々な人と人間は同じ空気を吸いながら生きていく社会的動物です、 その中で嫉妬というものがあります。
嫉妬というのは要するに怒りです、 認めてもらいたい、しかし認めてもらえない 、その状況に 不平不満があり怒りがあるのです 、評判の良い同僚や成績の良い友人や さらに広げていけば世間一般で活躍する 有名人にも矛先が向けられます 、承認欲の不満が 怒りに変わり,関係のない第三者に向けられているんです。
それが嫉妬という精神状態です、 ただの八つ当たりにしか過ぎません 、
その怒りには相手は全く関係ないのです。
嫉妬する理由
会社の同僚や学校の同級生と比べてみて 、自分の方が優れているはずなのに、全く評価されていない 、自分自身が有能であるという思い込みだけで、何の関係もない周囲の人に嫉妬するんです、周りが評価されているというだけで自分自身は全く関係ないのにも関わらず、怒りの矛先を同僚や同級生に向けられるのです、いわゆる第三者です。
完璧主義
人間は社会的動物ですからどのような環境でもいろんな人と接します、そしてもちろん色んな話し方をする人もいます、それゆえにそれを受け入れることが出来ずに、怒りの感情が湧いてくるのです、つまり自分の固定観念以外は寄せ付けないということです。
第三者的に眺める
自分が絶対的に正しいという完璧主義が、 色々な人の話し方に対して、状況にも よりますがその時に腹を立てる感情を第三者的にあるがままに冷静に眺めてみるのです 。
お釈迦様は今も時代の最先端ですね!!
アドラー心理学では 「承認欲を否定しなさい」という立場を取ります、自己重要感の低さ、コンプレックス、自己嫌悪 を克服するために 、「認められたい」という欲求を持つべきではないという考え ています。
しかし2500年前のお釈迦様は 承認欲を否定しません、なぜなら 承認欲を否定すれば 抑圧や不平不満という問題を生む恐れがあるのです、承認欲は仕事や学業の モチベーションになることもあるからです、お釈迦様は誰もが持っている承認欲を否定せずにどうすれば良いと考えたのでしょうか。
あるものはあると考える
お釈迦様は承認欲を「否定せずに、理解する」という立場に立ちます。
つまりアドラーとは正反対の立場というか全く関係のない立ち位置を取ります。
「理解する」とは「ある」ものは「ある」と、第三者的に認識することです。
「自分の心には怒りに通じる嫉妬がある、この承認欲が自分を八つ当たりに向かわせているのだ」と理解します。
これが自分を第三者的に眺められるようになるんです、 「会社や学業で承認されてもそれが一体どうしたんだ」とスマートに思考することも出来ます。
「最初に理解する」 というお釈迦様の考えは 、問題を解決する上でかなり効果があります、「理解する」という考えは「建設的に物事を考える」 ことが出来るからです、 するとその問題の正体も鮮明に見えてくるからです。
認められたい
- 自分の価値を確かめたくて周りと比較してしまいます。
- 自分 が有能で 、優れていると思い込んでいます。
- 妥協が全くできない、完璧主義者になってしまいます。
状況に不平不満があり、その怒りの矛先を関係のない第三者に向けます。
どんな問題も怒りという承認欲から来ています、 その問題の正体を理解することでお釈迦様は 問題の原因まで理解して そこから抜け出して楽になる組み立てをしました。
承認欲の不満が 関係のない第三者に怒りを向けられ、 それは全く関係ないということを突き止めました。
まとめ
「ある」ものは「ある」つまり自分の感情受け入れて原因を理解した上で色んな人と接して、その人達を受け入れるのです、
天上天下唯我独尊というのは自分自身を一番に尊重するので、色んな人に対しても寛容であり、どんな状況にでも、しなやかに対応出来るのです、この哲学が信念になれば、色んな人に対しても、楽な気持ちで赤ん坊と接するような感覚で楽しく人生を送れます。
自分を尊重して下さい!!
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。