こんにちは、アシスタントのメロンです。他人の顔色を伺ってしまって、本音を表現できません。
こんにちは、Greenです。今回は他人の顔色を伺ってしまう人は、一度真剣に自分の本音をチェックしてみましょう。そういうことをテーマにしてお話ししてみたいなと思っています。
恋愛とまではいきませんが、少し悩ましいお話になると思います。
心にグサグサとくる方は、心が落ち着いている時に記事を読まれることをお勧めします。
浮気に関することとか、不倫に関することとか、そういう悩み事を抱えている方もいらっしゃると思います。
特に信頼しているパートナーの方に、浮気されてしまったとか、不倫していました。
不倫は危険なだけです。
経験があるんですか?
.......
その言葉は渡辺淳一氏の言葉です。
そういう方はやはり傷つくんですね。
その時に大きく分けて、三つの方向性があるんです。
三つのタイプ
一つ目は浮気したパートナー、不倫したパートナーとかに対して、ものすごく怒りをぶつけていくタイプですね。
二つ目のタイプというのは、裏切られたという悲しみに打ちひしがれて、自分のこういうところがダメなんだ。
自分を責めるとか、悲嘆にくれるパターンですね。
三つ目のパターンは、怒りもしなければ悲しみもないんです。
だからといって、その人のことを愛していないわけではないんです。
愛していたり、信頼していたりもするんです。
だからといって、怒りもしなければ悲しみもしないんです。
ただ二人の関係性をこれから真剣に考えていこうとするパターンです。
大きく分けるとこの三つのパターンですね。
共感
一つ目の怒りたくなる気持ち、二つ目の悲しみに打ちひしがれる気持ちというのは、結構共感できませんか?
私はすごく共感できます。
これは実際に自分が浮気された経験が無かったにしても、なんとなく世間一般的に、自分の奥さんや旦那さんが浮気をしていたということを知った時に、やはり怒ったり悲しくなったりするのは普通なのではないですか?
私は、なんとなく共感できると思うんです。
建前
3番目のタイプで、旦那のことは愛しています。
怒りもなければ悲しみもないです。
そういうことを言ってくる人の気持ちは、私は若い頃は分かりませんでした。
全く理解ができなくて、どうしてもっと怒らないんだろう。
そんな風によく不思議に思っていました。
私は不思議なことは聞かないといけないので、聞きたくなるだけなんですが、聞くわけなんですね。
「本当の本音で旦那さんのことを信頼していますか?」と私は尋ねるんです。
「はい、信頼しています」と答えるんですね。
やはり怒るわけでもなし、悲しみにくれることもないんです。
そこで私は質問を続けるんですが、その人達の答えは、自分をコケにしたわけでもないし、自分の事を傷つけたくてとか、自分のことが大嫌いで、そういう理由で浮気をしているわけではないと答えるんです。
そういう理由で浮気でも不倫をしたわけではないんですね。
たまたま職場にそういう人がいて、そういう関係になったんです。
我慢すればいいんでしょうけれども、たまたまそういう風になっただけなんです。
別に私を攻撃したわけではないので、別に怒ることでもないですし、悲しいわけでもないんです。
淡々とまではいきませんが、それに近い感じですね。
浮気した人もちゃんと謝ってきますし、お互いにもう1回やり直したいんです。
しかし前と同じ関係性に戻るということは、できなかったりするんです。
なのでこういう事実があったということを踏まえて、次はどんな関係性になれば、私たちはより幸せになれるのでしょうかということです。
あの時ああいう体験があったけれども、あの体験があったからこそ、今のハッピーな状態になれたよね。
そういう風に持って行くのにはどうすれば良いのでしょうか?
そういうことで、これが成熟した大人の考え方なのかということで、私自身、目から鱗が落ちたんです。
私はそういう話を聞いた経験があるんですね。
私たちは自分の素直な感情を、表現しているつもりなんです。
そういうつもりではいるんですが、案外、嘘というか建前の感情なんですね。
どういうことかといえば、こういう場面では、普通はこうするよね。
他人軸
そういう暗黙の了解というか、マナーというか、そういうものに自分の感情が支配されてるんです。
無自覚にコントロールされてると言ってもいいかもしれません。
そういうことは結構あると思うんですね。
例えば卒業式とかお葬式というのは、普通は泣きますよね。
仕事の業務命令は、普通は我慢しますね。
仕事というのは、普通辛くて苦しいものですね。
運転中に急に横入りされれば、普通が怒りますね。
そういうのは思いませんか?
私自身は思っています。
でも本当に卒業式で泣くとか、運転中に横入りされると怒るとか、それは本当に自分の感情なんですか?
そういうことはチェックしていません。
本当に自分は悲しくて泣いているのだろうか?
そういうことはいちいちチェックしていません。
昔、斉藤由貴さんが、タイトルは忘れましたが、卒業式で泣かないと冷たい人と言われそうみたいな歌があったんです。
こういう場面で泣くという感情表現をしないと、周りの人から冷たい人と思われたくないから、とりあえず泣いとけば良いかみたいな感じです。
本音の抑圧
そんなふうにしてた建前で、自分の本音の感情をごまかしてしまうんです。
もっといえば本音を抑圧しているんです。
そういう癖がついていませんかということです。
私自身、母を若くしてなくしているんですね。
その時私は、所構わず泣いていたんですね。
パオ~ン!!
私は象ではありません。話を進めていきます。
怒りみたいなものもありました。
もっとさせてあげたいことがたくさんあったんです。
後悔が出てきてしまって、心の中がめちゃくちゃになって、泣きわめいた時期も少しありました。
お葬式が終わって、遺骨を実家に持って帰ってきて、亡くなった母の写真とか、仏壇で線香をあげながら、何を思ったかというと、母を若くして亡くしたのだから、泣いた方が良いと思ったんです。
そういうことを心のどこかで思いながら、ただただ泣いて悲しいふり、そうではなくて、悲しいのは事実なんですね。
でも演じていたところが、私も中にはあるんですね。
ということにふっと気づいたんです。
一人になって落ち着いてから、ふっと気付いたんです。
自分で自分にがっかりした記憶があるんですね。
自分軸
気づいて冷静になって思うと、確かに物体としては母はなくなってしまったんですが、実家に帰ると、なんとなく母が台所にいる感じがするんですね。
リビングで読書している母を感じたりするんです。
物体としてはなくなっているんですが、心の中ではいつも感じているんです。
そういうことを感じると、心が温かくなっていくんです。
仏壇にある写真を見ながら、子供の大学入試がうまくいったよという相談をするわけなんです。
話しかけているんです。
そういうことができるようになってから、いろんな感謝できる思い出が心の中から湧いてきて、今では本当に感謝の気持ちしかないんですね。
しかし初めは、悲しい思いをすれば、泣いて、泣いて忘れるのが普通なんです。
なぜかわからないんですが、そういう思いに囚われていたんです。
だから、とりあえず泣いておこう。そういう行動をとっていたんです。
グルルー!!
それは、狼です。
しかし忘れる必要は全くないんです。
忘れるどころか、もっと徹底的に思い出して、掘り下げて思い出して、あの時はありがたかったなとか、あの時は助けてもらったとか、そういう風に心が温かくなるようなエピソードを、徹底的に掘り下げていく方が、良いのではないかと思っています。
話があちこちに行ってますね。
何が言いたかったのかというと、私たちはうっかりすると、これが自分の感情だ。この怒りは正しいんだ。
これが本当の自分なんだと思いがちなんです。
実は社会の一般常識とか、親から教わった一般常識にとらわれていて、あたかも自分の本音かのように、感情を外に表現しているんです。
そういうことは結構あるのではないでしょうか。
建前の感情を外に出しているということは、その一方で何が起きているかと言うと、同時に本音を抑圧しているということが起きているんです。
どこかのタイミングで、抑圧されている感情が爆発してしまうんです。
抑圧し続けることによって、どんどん自分に自信がなくなってくるんです。
色々な面倒くさい生み出さなくてもいいような問題を、作り出していくのではないかと思っています。
なので激しく感情が動いた時、怒りでもいいし、悲しみでもいいし嫉妬でもいいし、何でもいいんです。
激しく自分の感情が動いた時というのは、ちょっと難しいかと思うんですが、本当にあの時の感情というのは、自分の本音なのかな?
是非一度冷静になって、チェックされると良いと思います。
建前の感情で、納得しているふりをするんです。
そうするとずっ~と抑圧したままになるんです。
そういう風にならないために、自分の感情を一度チェックされるのがいいですね。
少し面倒くさいですね。
最後に
自分の感情は、これは正しいんだと自動的に思いますから、自分のいま感じている感情を、もう一度疑いの眼差しで見てみるんです。
少し練習というか、チャレンジして見られると、なんとなくコツが分かると思います。
今回は何かと他人の顔色を伺ってしまう人というのは、他人様のルールに縛られていて、自分の感情を抑圧してしまって、建前だけでしていませんかということです。
一度自分の本年度の感情というのに向き合って、本当はどういう風に自分は感じているのかということにを、しっかりと掘り下げて向き合ってみて欲しいんです。
そういうことを改めて始めて見られると、他人にどう思われようと、自分はこうなんだよね。
これで、私も素直な自分、ありのままの自分として生きる方向に、舵を切ることができるのではないかと思っています。
いかがでしたでしょうか、今回も長くなってしまいましたが、最後までお読みいただいてありがとうございます。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。