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斉藤一人さん しっかり世の中を見て行こうよ

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20年経って、こんなはずじゃなかったと言われないように、しっかり世の中を見て行こうよ。

 

 

有名進学中学に合格


私は希望の進学校を目指し、合格しました。

いわゆる有名校でしたから、近所でもちょっとした話題になり、「あんた、すごい学校に入ったんだってね」「偉いね」、露呈しそうやった時サクラになってくれたおばちゃん達が、今回も派手に喜んでくれました。

一人さんにも報告に行きました。

「かんちゃん、頭良かったんだな」

ニコニコと祝福してくれました。

商人になる気なら、そこは得な学校とは言えなかったのですが、一人さんは何も言いませんでした。

いい学校に入るというのは、悪くない気分でした。


しかし、合格してよかったと思ったのは、ほんの一瞬でした。

授業が始まって初めて、私は自分のとんでもない弱点に気付いたのです。

そこは中・高を一貫教育の男子校でしたが、入りさえすればあとは楽、というところではありませんでした。

同級生はみんな本当に頭が良く、頭がいいくせにまだ勉強するのです。

だからこそ、猛烈な自信家が揃いでした。

中学1年生の教室で、大学は東大じゃなければ負けだね、みたいな会話が平気で飛び交うのです。

将来は「医者か弁護士」は当たり前のことで、外交官試験がどう思う、官僚がどうの。

祖父が聞いたら涙を流して喜びそうな、できるご学友の集まりでした。

参りました。

私は、学校の勉強が苦手だったのです。

「円」がつく数字には強いんですが、なんとかの定理とか法則とか、この図形や法則が何の役に立つんだろう!?

そう思い始めると、もう頭の中に入っていきません。

物を売る時、お客様を貯める効果的な方法を三つあげよ、何ていう問題はどの授業にも出てこないのです。

最年少の露天商が現場で覚えた知恵は、そこでは役に立ちませんでした。

好きになれたのは国語だけ。

授業が苦痛になって言ったのです。

バラ色のエリート路線には、スタート早々から暗雲が垂れ込めていました。

 

代理店


一方、母は快晴でした。

にっこりと、心置きなく勉強しなさいと言った意味は、すぐにわかりました。

商売を始めてわずか数ヶ月で、深く静かな週末起業は隠しようもないほどに繁盛していたのです。

玄関に小さな本棚を置いて商品を並べ、電話を一本引いた小さな店も構えました。

私のライトバンの店といい勝負です。

ところが、母の初めての店はイカやタコとは売れ行きのスケールが違いました。

電話はひっきりなしになり、新しいボールが山と届き、玄関はすぐに通れなくなりました。

当時、祖父にはバレバレでしたが、あまりの売り上げに、祖父も無下には反対できなくなっていたのです。


母は生き生きしていました。

もともと社交的な性格です。

人と話をし、商いをするのは天職のような人です。

それに魚より健康食品の方が、母にとってはずっと身近で売りやすい商品でした。

傍で見ていても、実に楽しそうでした。

知り合いのおばさんたちと世間話をするだけで、私にはそうとしか見えなかったのですが、どんどん売っていくのです。

物が売れる快感を、私は思い出していました。

露天商で四年間、売りまくったのに。

あの時の楽しさ、興奮に比べたら、学校生活は惨めなものでした。

たった数日の冬の露店活動も、中学生になると勉強があるから中止になってしまいました。

正直言って、私は母が妬ましかったのです。


魚屋を続けながら、母は健康食品販売の実績を積み上げていきました。

そして、魚屋よりはるかに多額の売り上げをコンスタントにあげるようになった時、母は祖父を説得し、魚屋をたたみました。

「まるかん」の代理店としてやっていく決意をしたのです。


医者の時代は終わってるかもしれないな


中学2年生の頃だったと思います。

何を相談するつもりもなかったのですが、一人さんの話を聞きたくて、私は例の喫茶店に行きました。

「一人さん、いる!?」

「いるよ」

いつもの笑顔が返ってきました。

私が、学校がつまらないと言うと、

「かんちゃんは、将来、何になるか決めたのかい」

と聞くのです。

「おじいさんは、医者か弁護士になれって言ってるけど・・・・・」

「ふ~ん、で、かんちゃんはどっちになりたいんだい?」

そう言われると、困ってしまいました。

じいさんの期待には逆らえない気がしただけで、どっちだっていいのです。

私は見栄っ張りですから、今の成績は沈没状態で、どっちだって無理、とは言えません。

医者通いには慣れていましたから、弁護士より医者の方が、まあ、わかったような気になって「医者かな」と答えました。

すると一人さんは、

「そうか、医者か。

でもさ、かんちゃんが大人になる頃には、医者の時代は終わってるかもしれないな」

というのでした。

いわゆる「三高」がもてはやされた時代です。

女性の理想の結婚相手は、背が高く、高学歴で、高収入。

身長は別として、他の2高の最たるものが医者でした。

でも、一人さんは商売としてみた時、医者には将来性がないと言ったのです。

元を取るには時間と金がかかりすぎるからと。


しっかり世の中を見て行こうよ


「医者はインターンとかやらないといけないだろ。

独り立ちするのは、今から15年とか20年後だよな。

その頃には病人も年寄りも増えていくんだろうけど、医者の数だって増えていくと思うんだよ。

それに今、アメリカじゃあサプリメントという健康補助食品が流行っていて、日本にも押し寄せてくるだろうからね。

かんちゃんが大人になった頃には、もう医者はあんまり流行ってないかもしれないな」

この時の話から、10数年経ちました。

医者あまりの時代と言われ、サプリ全盛の現在を、一人さんは予見していたのです。


「だから医者になるなって言うんじゃないんだよ。

医者になるとかんちゃんが決めたのなら、本当に人に喜ばれる医者になって欲しいんだよ。

そのためには準備をしていかないといけないよってことなんだ。

20年経って、こんなはずじゃなかったと言われないように、しっかり世の中を見て行こうよ。

先を見て行こうよ。

かんちゃんが大人になる時代のことも、考えて行きなさいよってことさ」


私にとっての先は、もうありませんでした。

希望の中学に合格する、それが先であり、さらに先など考えたこともありませんでした。

いい学校に入りさえすれば、勉強はなんとなくてきていくもので、なんとなくインテリ路線が開けて、なんとなくじいさんが期待するドクターになれる、はず。

なんとなくそう思っていただけです。

中学生ぐらいはみんなそうさ、と同情してくれる方がいるかもしれません。。

でも、ひとりさんは中学校で学業に見切りをつけ、社会に飛び出して行った人です。

中学生の時に、将来がすでに一本の道として見えていました。

私は一人さんに教わった商いの楽しさを、自分の将来に結びつけてはいませんでした。

商売は面白いけれど、将来は別。

そのためにはいい学校だ。

祖父の言い草を自分の意思だと錯覚していました。

でも、肝心のその学校で、私は落ちこぼれようとしていました。

2年生になって、さすがに自分でも医者か弁護士は無理だなと思い、3年生になると建築史家薬剤師はどうだろうかと方向を変え、でも理数系はダメだから、弁護士なら丸暗記でいけるだろうか、しまいには教師なら祖父は妥協してくれるんじゃないだろうか、と情けない進路変更の言い訳を頭の中でぐるぐる回していました。

そんな愚痴を聞いてくれる友達もなく、一日の大半を過ごす学校で、私は誰とも会話できなくなっていきました。

斉藤一人さんのお話を纏めました。

 

皆様、いつもご精読ありがとう御座います。

 

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