コンクラーベ

斉藤一人さんです

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人の不幸は蜜の味

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こんにちは、アシスタントのメロンです。私は人の不幸を身近に感じると、ワクワクしてくるんです。

 

ワクワクするのは良いんですが、他に感じるものがないんんですか。

 

私がワクワクしないのは、人の幸せです。

 

幼少の頃に抑圧している何かがあるんですね。それとも変態かも知れませんね。

 

変態はGreenさんです。私のことをツールのように扱います。

 

いいえ、小道具として扱っています。

 

私のことを、もっとあがめ奉って、賞賛して下さいね。

 

嫌じゃ!!

 

ガオー!! このサディスト。

 

前オチしたでしょうか?

 

本題に入って欲しいですね。

 

こんにちは、Greenです。今回のテーマは悩ましいんですが、他人の幸せを不愉快に感じる人 、他人の不幸が 喜びに感じてしまう人 、そういうことについてお話ししてみたいなと思います。

 

 

ナルシシズム

 

私はこんなに家族のために頑張って仕事をしてきたのに、 どうして離婚話を相手から持ち出されなければならないんですか?

私がこんなに愛しているのに、尽くしているのに どうしてこんなひどい仕打ちを受けないのではないんですか?

私が LINE をして記録がついているのに、どうしてすぐに返事をしてくれないんですか?

自分の時間を犠牲にして、こんなに頑張って、頑張って会社に尽くしているのに、 どうして自分だけが出世が遅いんだ。

このような私は~しているのに、 どうして認めてくれないの!?

上記のような相手に対して攻撃的な感情を抱いてしまうんです。

こういう時、 その背景には、心の内側の深い部分に満たされない ナルシシズムみたいなものがあるんです。

それもかなり幼児的なナルシシズムなんですね。

ナルシシズムというのは自己愛とか自己陶酔とかですね。

まるで欲しいと思ったおもちゃを 親が買ってくれなくて、泣き叫んでいる駄々っ子と同じなんです。

 

そういう心の何か嫌味みたいな部分があるのではないかと思っています。

 

承認欲求

 

私たちというのは、自分を認めてもらいたいという承認欲求を持っています。

それと同じくらいに誰かの役に立ちたいんだ。

こういう貢献欲求みたいなものを持っていたりするんです。

なので誰かから評価されたいとか、 そういう思いとか、誰かのために頑張りたい。

これはごくごく普通の心理なわけです。

頑張るという行動のきっかけというか、モチベーションですね。

自分がやりたいからする。

誰かに認められたいからやる。

認められるためにはするしかない。

そういうのでは、 全く違う次元というか、 真逆の方向といっても良いんではないですか。

私はそういう風に思っているんです。

というのも誰かに認めてほしいという欲求の裏側には、 例えばですよ。

 

劣等感

 

頑張らないと自分は人から認めてもらえないんだ。

頑張らないと人から嫌われるんだ。

頑張ってない自分には価値がないんだ。

こうしたもともと低い自己価値 、自己肯定感が非常に低いんです。

言い換えるのであれば、 強烈な劣等感みたいなものを抱えているんです。

それは誰かから認められることで、 高めたいというような 渇きというか渇望感ですね。

そういうことがあったりするんですね。

ということは、ありのままの自分を認めていないんです。

このままの自分に強烈にダメ出しをしてるんです。

ありのままの自分をものすごく抑圧してるんです。

 

これは伝わりますでしょうか?

 

大丈夫でしょうか?

 

このありのままの自分を否定すればするほど、 過大評価した自分、 誰かに認められるために作り上げた自分、 そういう自分ばかりが大きくなってしまっているんです。

いつしかいびつな形で 、自分が特別な存在なんだと思い続けなければいけないんです。

思わなければならないという強迫的な観念が、形成されていったりするんです。

なので自分は特別な存在なんだ。

それを実感するために、 周りの人から常に自分が、特別され扱いされることが、必要となってくるんです。

 

ツール

 

極端にいえば、 病的な極端なナルシストにとって、身近な周りの人達というのは、 自分を崇め奉って賞賛するためのツールみたいなものです。

人ではなくてツールなんです。

ツールのように感じていたりするわけなんです。

これは結構悩ましいことではと思っていたりするんです。

本当にもっと悩ましいと思っていることは、 親がかなり病的なというか、神経的なナルシストであった場合、 悩ましいことが起きるんです。

 

渇望

 

なぜならばお子様を産んだ時に、自分の子供を愛するというよりも、 自分が愛されたいということに渇望しているんです。

渇ききっているんです。

なので子供のことを無視してしまったり、 自分より「可愛いね、可愛いね」と言って愛される自分の子供のことが、憎らしく思えてくるんです。

時には親自身が周りから同情という 注目を浴びるために、 わざと子供を病気にさせてしまったりするんです。

そんなところまで行ったりするんです。

人間関係がうまくいかない。

親子関係がうまくいかない。

友達関係がうまくいかない。

もっと言うとですね、他人の幸せを不快に感じてくるんです。

あるいは他人の不幸が、喜びに感じてしまうんです。

自分より注目を浴びている人を見ると、何かムカついてくるんです。

攻撃したくて仕方がないんです。

いつでも自分が注目を浴びたいんです。

注目を浴びれないと思うと 、逆にどこにも出歩かなくて、引きこもってしまうんです。

こうした時はもしかするとですよ。

かなり神経症的なナルシズムに陥っている可能性があるのではと思っています。

なので人間関係の悩みを抱えたりする場面があると思うんです。

自分のことを崇めたつってくれる人を求めてはいないでしょうか。

自分が世界の中心にいないと気が済まないと思っていないでしょうか。

こういう欲求を過剰に持ってないでしょうか。

そこはぜひ自分の心の内側を チェックされてみると良いのではないでしょうか。

私自身が過剰なナルシシズムに陥っているということに、長い間全く気づいていなかったんですね。

全く気付いていなかったので、 なので人間関係はずっ~とうまくいきませんでした。

 

ふと気づくと周りの人は自分の道具というかツールですね。私はそういう風に思っていたんです。

 

それで、私をツールのように扱うんですね。

 

本当に周りの人に失礼だと思います。

本当にそういう時期がかなり長い間あったんですね。

ということなんですが、オチがありませんね。

いつものように脈絡のない話になりました。

 

最後に

 

今回はテーマとしては他人の幸せを不愉快に感じる人、他人の不幸を喜びに感じてしまう人。

その背景には かなり病的な神経症的なナルシシズムがあるのではないかと思っています。

ということについてお話をしてみました。

是非、人間関係でうまくいっていない方は、自分はどういう思いで他の人と関係を持っているのだろうか。

 

そういうところをチェックされてみると良いのではないかと思っています。

 

いかがでしたでしょうか、最後まで読んで頂いて、有り難う御座いました。

 

皆様、いつもご精読ありがとう御座います。

 

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