日本の神さまの中では、ちゃんと役割分担が決まっていて、神様たちはどっちが偉いか、白黒はっきりさせたりしないんです。
世界がびっくり仰天! 日本の神さま
私は旅が好きです。
観音参りをしたり、神社巡りをしたり、日々、楽しく旅をして過ごしています。
日本中、色んな所に出かけるんですけれど、
「ここは良い神社だな」
というところが、あるんです。
そういうところは、大概どこも、境内が掃き清められていて、しめ縄も綺麗、お榊もちゃんとしてあって、大事にされていることが見て取れます。
そのように大事にされている神社、たくさんの人がお参りに行ってきますし、神様の威力も強いのだそうです。
もう一度、言いますよ。
神様というのは、私たち人間の尊敬の念が集まれば集まるほど、力が増すんです。
分かりますか?
私たち人間は、天に祈ったり、神仏に手を合わせたりして、神様の力を借りて強くなります。
一方、神様は、私たち人間の尊敬の念を、畏敬の念をあびて強くなるのです。
要するに、人間と神様、どちらもいないといけないのです。
拍手と同じですね。
右手と左手、この二つがパンと合わさって、初めて拍手ができるんです。
片一方だけでは成り立たないんですよ。
このように、神様と人間がお互い助け合う関係にあるのは、日本独特です。
外国で、神様と言うと、ただ一つの絶対的な存在になるんです。
オールマイティ、なんでもできる、万能なんです。
そういう完璧な存在を「神さま」として崇めます。
それと比べると、日本の神様というのは非常にユニークですね。
日本の神様には、得手不得手があるんです。
「そんな、自分たちと変わらないようでは、神じゃない」
そう思った人もいるかもしれませんが、そこが実は違うんです。
日本の神様は得手不得手があるからこそ、自分に苦手なことは「あの人に頼むといいですよ、あちらへどうぞ」と言うんです。
もしくは、ひとつの神社の中に、もう一つ、別の神様が祀られているんです。
だから神様は自分の苦手なことについては「私は苦手だから、この人がいいよ」って。
日本の神様の中では、ちゃんと役割分担が決まっていて、神様たちはどっちが偉いか、白黒はっきりさせたりしないんです。
そういう神さまだから、日本では宗教戦争とか、なかなか起こりづらいのです。
「ウチが正しい」「いや、ウチが正しいんだ」という言い争いになってしまうのは、自分たちの神様がただ一つの絶対的なる存在だと思っているからじゃないかと思います。
創造と破壊、表裏一体
先日、日本の神さまのことで質問をもらったんです。
「『古事記』を読んでいると、神さまの中に、どうしようもない困ったちゃんみたいな人がいますね。とても神さまとも思えないんですけど」いう質問です。
確かに『古事記』なんかに書いてあることは、例えば、スサノオさんは田んぼをめちゃくちゃにしたり、いろんなものを「ぶっ壊したんだ」って書いてあったりするんですけど、それって嵐を表しているのです。
スサノオというのは、嵐の神さまなんです。
だから、例えば、そんなに台風が来ない地域に住んでいる人達は、「沖縄だとか、台風がたくさん来るところへは、大変だな」って思うじゃない?
でも、沖縄の人はそういう風に思っていないのです。
「台風が来ないと海の流れが滞り、海水が緩くなって、珊瑚が死んじゃうから、台風が来てくれないと逆に困るんだ」って、沖縄の人達は言うんです。
要は、スサノオのおかげで、沖縄のサンゴは守られているのです。
太陽の光が降り注ぐと、川や海から蒸気という気が昇っていきます。
それが雲になり、やがて雨となって大地を潤します。
海は、海水が蒸発して気が抜けるから、気がなくなっちゃう。
そうなった時、スサノオが出てきて嵐を起こして海をかき回すんです。
すると、気が抜けたところに気をまぜ、気が戻るようになってるの。
もし、スサノオがいなかったら、海から気が抜けっぱなしになっちゃう。
それから、スサノオの兄弟でアマテラスさんという神さまがいますね。
アマテラスさんは太陽、地上は遍く照らすのが仕事で、その恩恵を我々は頂いているんです。
でも、もし、太陽に照らされっぱなしだとしたら、地球はどうなっちゃうの?ていう話なんですよ。
そう、地球は干上がっちゃって駄目になっちゃう。
嵐が来ないと、地球の温度はどんどん上昇して私たちは生きてられない。
それと同時に、太陽も必要なんです。
太陽が照っていないと暗くて寒くて、命が絶えてしまいます。
だから、アマテラスさんとスサノオさんは、兄弟なんです。
二人セットで地球のバランスを保っているんです。
そのことを日本人は昔から知っていたって、これはすごいことだなあと、私は思うんだよね。
日本の神さまはものすごい
皆さんは、アマテラスさんという神様をご存知ですよね。
アマテラスさんは日本の神様の中では最高神とされています。
そのアマテラスさんが洞窟の中から出てこなくなっちゃった、というエピソードが『古事記』だとかに記録されています。
完璧でない私がこんなことを言うのもあれですが、洞窟の中に閉じこもったものは、すねちゃったのです。
神様が拗ねちゃうなんて、そんなのありですか?って、ありなんです。
だから、自分も、相手も、誰だって完璧なことはできないの。
何ができない、かにができない自分と同じように、他人にもできないことが色々あるんです。
完璧なことはできないけど、みんな、1人1人必ず人のお役に立てる良い物を持って生まれているんです。
だから、スサノオさんも『スサノオは周り中をぶっ壊すじゃないか』って言われちゃうけど、嵐を起こして気の抜けたところに気をまぜって戻してくれるでしょ。
スサノオさんはスサノオさんでいいものを持っているのです。
雷は「いなづま」とも言います。
稲の妻と書いて「稲妻」なんですけど、読んで字のごとく、「雷がどんどんなると稲の育ちが良い」とか、「雷の落ちた所はキノコがたくさん生える」とか、昔の人はよく言っていたのです。
最近、そういうことが科学的にも証明されてきて、人工的に雷よっピッピピッピってすると、椎茸とか、かいわれ大根とかの収穫量が増えることが分かってきたそうですよ。
昔の人は、科学は知らないけれど、自然と共に生きてる中で自分たちが雷の恩恵にあずかっていることをちゃんと理解していたんですね。
日本人はね、昔から、雷とか、嵐、火山とか、自然のもの、一つ一つを崇拝するんです。
山の神さま、風の神さま、海の神さま、神羅万象に神を見るんです。
このような見方を、人に対してもできるといいよね。
目の前に出てくる人、出てくる人、みんな神様だっていう見方を。
特に自分自身に対して、そういう見方ができると、すごくいいと思うのね。
いいところもあって、悪いところもある自分という存在が神さまぐらい、素晴らしいと思えたら、こんなに幸せなことはないよ。
こんな悪い所がある、あんな悪い所がある、そんなことばっかり自分自身に言っていると、自分のことが好きになれなくて、苦しくなってきちゃうからね。
木は長生きだけど、動けない
木は長生きをします。
屋久島なんかに行くと、樹齢何千年もの杉の木「屋久杉」というのがあります。
屋久杉まで行かなくても、木というのは動物と比べて長生きします。
なぜ、長生きするのかと言うと、木は動物のように動かないからなんです。
動くと気を使っちゃって、消耗するんです。
ですから、動物は動くので気を消耗し、早く死にます。
一方、木の方は動かない。
長生きの道を、とったんですね。
木は動物と比べたら長生きはできるけれど、動物たちのように飛んだり、はねたり、動くことができない。
それは、仕方のないことなんです。
みんな、それぞれいいとこもあれば、悪いところもあるの。
もちろん、一人さんにもあります。
どんなものにもいいところもあれば、悪いところもあるんです。
その中で各自、自分のいいところを活かして、生きるしかないんですよ。
はなゑちゃんにも良いところと悪いところがあるんです。
悪いところを直そうとしたら、はなゑちゃんじゃなくなってしまって、当人も苦しいし、周りも苦しいの。
それより、はなゑちゃんは、はなゑちゃんのいいところを活かしてお役に立つ。
私達全員、自分のいいところお役に立てていくしかないんです。
アマテラスさんや、スサノオさんもそうしてるようにね。
日本人は、昔から、そういう生き方をしてきたんです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
お世話になっております。
Youtubeのチャンネル登録よろしくお願いします。
我が儘勝手で申し開きもございません。
上記の赤色のボタンを押してくださいね。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。