過去の記憶って、自分の思いが作っているんだよ。
過去は変えられる。その本当の意味とは?
なぜかいつも、周りから誤解されるという人がいます。
自分ではなぜ誤解されるのかわからないけど、誤解されてばかりで孤独だって言うの。
でもね、それには必ず理由があるはず。
一度や二度なら、何かの行き違いで誤解されることもあるだろうけど、度重なる場合は、やっぱり原因があるんだよ。
みんなが見て「これは黒だ」というものは、誰がどう見ても黒なの。
自分では白いつもりかもしれないけど、黒に見えるものがあるから、みんなが黒だと言うんです。
本当に白ければ、周りじゅうが黒だというわけがないよ。
自分で優しいつもりなのに、なぜか周りからいつもきつい人だと思われる。
だとしたらそれは間違いなく、あなたの言葉や表情がきついんです。
何かきついと感じる部分があるから、そう言われるの。
それで孤立して寂しいんだったら、周りのせいにしてないで、自分を変えるしかないよ。
今のあなたは周りの目にきつく映ってるわけだから、そこを変えない限り、どこまで行っても印象は良くなりません。
で、具体的に自分のどこがいけないのかを考え出すと難しい話になっちゃうし、ややこしいよね。
だからこそ、愛を出せばいいんです。
細かいことはいいから、とにかく笑顔で明るい言葉を使ってごらん。
愛が出てくると、人の嫌がることを自然に避けられるの。
自分でいちいち意識しなくても、孤立する原因がなくなるから、問題の根っこから解決するよね。
他にも、今の例は全く次元が違うように見えるかもしれないけど、例えばいじめにあったことで自分にも人にも強い不信感を抱き、それで孤独になっちゃった人とかも同じなんです。
もちろん、いじめにあうのは自分に理由があるっていう意味ではありません。
いじめは、加害者が100%悪い。
もし現在進行形であなたがいじめにあっているのなら、自分を守るために、今すぐ逃げなきゃダメだよ。
逃げるのは当たり前で、それは負けでも何でもないからね。
だけど、過去に受けたいじめのせいで今はもう孤独な世界にいる場合は、愛を思い出すしかないんです。
よく、「人生は何度でもやり直しできる」って言うでしょ?
あれはね、ちょっと正しくない。
人生は、やり直しなんてできないんだよ。
ただ、過去は変えられます。
何が違うんですかって言うと、起きた事実はどうやっても変えられないけど、思いを変えることで過去の記憶は変えられるという意味なんです。
過去の記憶って、自分の思いが作っているんだよ。
起きた事実は変えようがないけど、それを愛のある明るい記憶にするのか、それとも悲惨でくらい記憶のままで置いておくのか、そこの違いなの。
今孤独感でいっぱいなのは、過去にいじめられた記憶を、苦しいだけのものとして受け止めているからなんだよね。
いじめられて悔しい、いじめたやつが憎いっていう思いばかりにとらわれていると、自分の波動はますます苦しいものになるだけなの。
でもね、ちょっと別の場所に目を向けてみたらどうだろう。
いじめにあっていた当時は見えなかったかもしれないけど、もしかしたら、あなたの周りにはいい人もいたんじゃないかな?
その人たちの顔を思い出してみな。
そしたら、辛いだけだった過去の記憶に、愛の記憶が加わるよね。
100のうち、1個でも2個でも愛が入ってくると、記憶は全然違うものになっちゃう。
事実は変わらない。
だけど、どこを見るかで、過去はいくらでも変えられます。
これが一人さんの言う、「過去は変えられる」の本当の意味だよ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
お世話になっております。
Youtubeのチャンネル登録よろしくお願いします。
我が儘勝手で申し開きもございません。
上記の赤色のボタンを押してくださいね。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。