「世の中が不公平なのは当たり前なんだよ。
車だって、ベンツがあれば、トラック だってあるし、バイクもある。
それぞれ違うだけなんだ」
「世の中が不公平なのは当たり前だよ」━━━ ここからが本当のスタート!
私には2人の息子がいます。
2人の息子を産み、育てて、気づいたことがあります。
子育ては「子育ち」。
子供が自分の足で歩けるようになったら、
親が「この子はできる」と信じてあげれば、子供は、自分の底力で育っていきます。
また、子育ては同時に「親育ち」でもあります。
初めて、子供が生まれた時は、ただ、無我夢中。
わからないことだらけだから、とりあえず、その時の自分が持っているもの。
自分の経験だけで、育てるのです。
精一杯だから、ついつい、叱ってしまうこともあります。
でも、2番目の子供は、上の子供が、怒られている姿を見ているから、最初から、怒られる可能性があることはしません。
それに親の方も「子供にこうすれば、こうなる」というのが分かってきて、多少は「親育ち」 しているから、2番目の子供には、口出ししなくて済むことが多い。
ところが、この「親育ち」のプロセスが 子供の目には「不公平」に見えてしまうこともあるようです。
私もそうでした。
ガミガミ育てられて育った私。
一方の妹は、私のように怒られもせず、自分の自由な選択が許されている。
でも、いろんな経験をしてくると「結局、大した問題じゃなかったな」と振り返ることができるものです。
だから子供に「不公平だ」と言われても、決して「困る」ことはありません。
ただ「世の中が不公平なんだ」ということがわかるまで、一生懸命に公平さを探してしまうから「困って」しまうだけのことです。
そのことがわかるまで、修行が続くだけのことです。
子供もそのことを学んでいるだけのことなのです。
うちの2人の息子もその修行の機会をいただきました。
ましてや家が商売をしていたから、長男は私と同様、 将来の後継者「商売人になるのなら、職場を見せないと商売の感覚が身につかない」というので、
幼い頃から社長室に小さな机を置いて父から「働かざる者食うべからず。 お前の仕事は勉強だ」 と言われて育った長男。
一方の次男は「可愛い孫」として扱われる。
小さな頃から、祖父、両親と一緒に家の商売を手伝う長男に対して、自由奔放な次男。
長男は、何時間も手伝いをやって、そのご褒美に自分の欲しいものを買ってもらうのに、次男は「お母さん買って」 の一言で欲しいものが手に入る。
長男の心の中では「俺はこんなに一生懸命やってやっと買ってもらえるのに二郎は、買ってで、買ってもらえるんだ」という不公平が募り、次男は次男で「兄ちゃんはいつもお母さんと一緒でいいな」という不公平感が募る。
男の子同士だけに不公平感と不公平感 のぶつかり合いが、兄弟喧嘩に発展することは日常茶飯事。
喧嘩をさせてみて、初めて相手の痛みがわかると思ったから、兄弟喧嘩を止めようとはしませんでした。
でも、私だって人の親です。
子供たちが喧嘩になって嬉しいと思えるわけがありません。
でも、一人さんから「世の中が不公平なのは当たり前なんだよ。 車だって、ベンツがあれば、トラックだってあるし、バイクもある。 それぞれ違うだけなんだ」ということを教わって、息子たちも喧嘩をしながら、
お互いに勉強しているうちに、それがわかるようになって、互いに「喧嘩はすべきでない」という風に決着をつけたようです。
親が口出しをしなくても、子供は世の中の「不公平さ」を乗り越えられます。
ただ一つだけ注意したいのは、世の中不公平だけど、それぞれ違って当たり前だけれども、違うものを2つ並べて比較したりしないことです。
「○○ ちゃんはできるのに何であんたはできないの」と言ってしまったら、子供は永遠に「不公平さ」を求め続けてしまいます。
子供が親の愛をわかって、自分の命に恥じない人生を送るためにはそれぞれの違いを理解してあげる。
1個の人格として認めてあげることが必要です。
そうすれば、子育てはとっても楽しい経験です。
親が楽しめば、子供も楽しみながら「子育ち」 していきます。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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