腕相撲は、相手の手をグッと握った時に、だいたい勝負はついてるの。
試合開始のゴングと同時に、力の加減で相手の力量がわかるんだよね。
対話というのは腕相撲みたいなもの
会話の中で、やたらに「でも」「だって」を言う人がいます。
言葉そのものには何の意味もないように思うかもしれないけれど、こういうのが多い人は、損しちゃう可能性が高いんだよね。
なぜかと言うと、「でも」「だって」の後には、言い訳とか、相手の話を否定するような内容がくっつくことが多いでしょ?
それって印象が良くない。
人によっては、「でも」「だって」を聞いた瞬間に、「否定の言葉が来る」って身構えたり、反射的にもやっとしたりすることもあるんじゃないかな。
もちろん、北新中本の楽しい日常会話で「でもさ〜」とか、そういう軽いノリは別だよ。
「でも」「だって」の全部がだめだと言っているわけではありません。
ただ、一人さんがこういう言葉を頻繁に使うかと言うと、それはないんです。
もし使うような場面になっても、ひとりさんは大抵「それはそうだね。あと、こんな話もあって・・・・・・」のように、まず相手の話を肯定する言葉を使うの。
この言い方だと、「でも」「だって」に比べてずいぶん印象がいいと思います。
こういうのも、私はいちいち意識的にやっているわけではありません。
ところが、なぜか「でも」「だって」という言葉が出てこない。
それはやっぱり、私の愛がそうさせているんだと思います。
愛があると、細かいことをいちいち気にしなくても、適切な言葉選びができるんだ。
一方、あなたの話を聞いた人が「でも」「だって」を連発することもあるだろう。
それをどういうわけかって言うと、ごめんなさいだけど、あなたの話が面白くないから。
楽しい話をすれば、相手はあなたの話に聞き入るはずなの。
聞く体制になったら、「でも」「だって」が出てくる隙がないんだよね。
だから魅力を磨きな。
愛を出して、いいムードを作るしかない。
対話というのは腕相撲みたいなものなんです。
腕相撲は、相手の手をグッと握った時に、だいたい勝負はついてるの。
試合開始のゴングと同時に、力の加減で相手の力量がわかるんだよね。
会話もそんな感じで、初めにちょっと言葉を交わせば、「でも」「だって」のような否定を意味する表現がやたら返ってきたりするんだよね。
一人さんは、誰かと言い合いになることが全くありません。
否定されたこともない。
子供の時から、ずっとそうなんです。
愛があれば、相手は全面的に聞く体制になるものだし、「あなたといると楽しい」「あなたは最高に話す上手だね」と言ってもらえる。
もう、会話でモヤモヤすることはなくなるんだ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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