あなたは、考えてみたことある?
みんな、びっくりするけど、俺が見たところ、10%もないね。
ほとんどの人は、自分が思ってることの数パーセントも、自分じゃないんだよね
いっとき、自分探しの旅というのが、流行ったけど。
「青森に行った」とかさ。
「九州に行った」 とか。
いろんなことが、あるんだけど。
自分のルーツを探る自分探しの旅っていうのもあるんだよな。
自分のおじいちゃんが出たところとか、先祖が出たところとかな。
そういう、ルーツ探しと、一人さんのいう自分探しの旅とはまた別の話なんだよね。
じゃあ、一人さん自分探しの旅って、どういうのですか?って言うと、自分の記憶の中を旅する。
そして、「本当の自分って、どんな人なんだろう」って。
今までいろんな人を見てきて、俺が思うのは、
「あなたは、本当にあなたですか?」ってことなんだけど。
俺と相対している、この人は、「自分はこういう人間だ」と思ってるけど、それは本当の自分なんだろうか?
要は、「あなたが思ってる、あなたは、本当のあなたじゃないよ」って、一人さんは言いたいわけだよな。
いや、その人が幸せなら、いいんだよ。
幸せなら、俺は別に、そのままでいいんだよ。
だけど、つまんなさそうな顔してたり、どっか陰があるとか、不幸そうにしてると、
「あなたは本当にあなたですか?」
という質問を俺は、することがあるのね。
そうすると、みんな、きょとんとした顔するんだけど。
みんな、「私はこう思ってます」とかって、いうだろ。
「自分の意見はこうだ」って。
果たして、自分が思ってることの何パーセントが本当の自分の判断なんだろう。
あなたは、考えてみたことある?
みんな、びっくりするけど、俺が見たところ、10%もないね。
だから、「自分は引っ込み思案なんだ」とかっていうのは、親とか親戚に、ちっちゃいときから、そう言われてて、自分がそう思い込んじゃった、とかな。
「ウチはお金がないから駄目なのよ」とか。
こんな貧乏くさいことを、周りの大人たちが言ったり、焼き鳥してるのを、そばで見てるうちに貧乏漬けにされちゃったりね。
それから、「いい学校に行けない人は落ちこぼれだ」とか、「英語ができなかったら、出世できない、万年平社員だ」とかって。
親とか、学校の先生、世間が、何百、何千と、そういうこと言ってて。
それを聞いているうちに、「自分は落ちこぼれだ」「落伍者だ」と思い込んじゃってて。
あなたに洗脳みたいなことをした、親や学校の先生やなんかを非難しろ、悪者だからやっつけろって、言ってるんじゃないの。
俺が、一人さんが問題にしてるのは、例えば、こういうことなんだよ。
クラス会やなんかに行った時、成績が一番だった子が、一番出世してますか?って言うと、そんなこと、明らかにないの。
明らかに「無い」にも関わらず、未だに、
「自分は学校時代に勉強ができなくって・・・・・」
とかって、昔を引きずって自信なくして、落ち込んだり、してるんだよな。
間違っていい成績をとったのに、親は本気で期待する
自信を失ってる人たちが、本当にすごく、多いんだけど、その人たちに共通しているのが、
「自分は親の期待に応えられなかった」
ということなのね。
例えば、間違って、良い成績やなんか取っちゃった、と。
いやね。
人間、誰にでも間違いはあるからな。
だけど親は、「間違った」とは思わない、すごい、喜ぶんだよな。
そうすると、子供は嬉しくて、「またがんばろう」ってなる。
当然だよ、子供は、親の喜ぶ顔を見たいんだもん。
ただ問題は、間違っていい成績をとっちゃった。
そしたら、その後に、ペケだらけの試験の紙を親に見せた時に、親はすごいガッカリした顔をする。
そんなこと、されるたびに、子供は、だんだん、だんだん、落ち込んできちゃう。
そういう人がある程度の年齢になってくると、ある日、とんでもないことを考え出すんだよ。
自分が出来もしないことを、「よし、やるぞ!」って。
それによって、自信をつけたい、というのか、他人に「すごい!」と思われたいのか。
ところが、例えば、「英語を喋れるようになろう」と思って、英会話を習ったり、するんだけど。
本当に必要があってやってるわけじゃないから、できないんだよな。
たとえ、できたとしても、今時英会話が出来たって、珍しがられないだろ。
だから結局、そこでまた自信をなくして、落ち込むんだよ。
あと、「今年は日記を書こう」とか言う人もいる。
この場合も、元々、日記を書きたくて書くわけじゃない。
自分に自信を取り戻したくて、やってることだから当然、日記も続かなくて、落ち込むんだけど。
問題は、あなたを落ち込ませた、それ、本当にあなたに必要だったんですか?
人って、大外、普通に生きて、普通の人生を送るようになってて。
学校ってのは、毎日、違う内容を、やらせるんだよね。
だけど会社ってさ、毎日、ほぼ同じことしてるんだよ。
だから、あなたが生きていくには、会社でできる程度のことで十分なの。
たいがいの人は、真面目に働いて、笑顔で働いてりゃ十分、間に合うんだよ。
普通、学校では、それぞれ個性も定めも違う、いろんな生徒がごちゃ混ぜ状態でいるから、先生はまんべんなく、当たりさわりのない程度に教えるんだよ。
だけど、授業で教えることのほとんどは、社会に出ると必要ない。
必要のないことは、人は受け付けないようにできてるの。
それを、いろんなことができない自分を「駄目だ」と思っちゃうけど、実は、駄目だと思ってる部分って、自分の人生には、いらないんだよ。
わかる?
自分に必要のないことで、落ち込んでる事が多いんだよ、って言いたいの。
「方程式とかができなかった」とか、「いい学校に入れなかった」って。
「いい学校に入れない」とかっていうのは、令和、方程式だとか、歴史だとかが出来なかったんだけど。
事実上、社会へ出て、あなたのできなかった方程式を使ったことが一回でもありますか?
1回も使ったことがないんだよね。
社会に出てから、「鎌倉幕府は何年に出来ましたか?」とか、聞かれることも、全くないよね。
だから、あなたは、全く必要のないことのために落ち込んでる。
それって絶対、おかしいんだよ。
自分の記憶の中を旅する「自分探しの旅」
ゴキブリがチョロチョロ、目の前に出てきた時に、
「ギャー!」
って、大騒ぎして、パニックに陥っちゃう人がいる。
涼しい顔して軽くぽんって、ゴキブリたたき殺しちゃう人もいる。
それから、学生時代、成績の悪さは同じでも、自信なくして暗く生きてる人がいれば、俺みたく自信満々で生きてる人もいるんだよね。
同じ現象が出た時に、こうも真逆の反応が出るのはなぜだろうって言った時、「ギャーの法則」というのがあって。
ゴキブリを見た時に「ギャー!」っていう人の場合、元々、親やなんかが「ギャー!」って言ってたんだよ。
ちっちゃい子からしたら、大人というのは絶対的存在。
その大人が「ギャー!」って叫んだら、子供の脳に「ゴキブリは怖いものなんだ」とインプットされちゃうの。
それが、ずっと、現在にまで持ち越しちゃう。
一方、ポンと叩き殺しちゃうような人の場合、ゴキブリが出ても、家族は「なんだ、ただの虫じゃねえか」って、スリッパで一発スコーン!みたいな。
そういう家で育った子って、大人になっても、ゴキブリが出たって、なんのことはないんだよ。
わかるかな?
過去の影響ってあるんだよ、過去に経験をしたことが現在を作ってる。
だから、「学校の勉強が出来なかった自分は落伍者だ」とか、
「お金がない家の子は駄目なんだ」とか、
子供の時に親とかに言われたんだよな。
だけど、それを言った親自身も、小さい時に、その親から言われてきたの。
負の遺産、みたいなものが、代々、その家に受け継がれてきて。
しかも、そういう家庭が付き合う人達って、類友の法則で、似た者同士付き合うんだよな。
その結果、あなたは否定的な意見をずっと聞かされて、何て言うの?
古漬け見たく、否定漬けにされて、それが間違ってても、あなたの常識として当たり前になっちゃってるんだよ。
だから、自分が否定的になっちゃった時ね、
消極的になったり、落ち込んだり、悲しくなっちゃった時に、
「この思いは、どこから来てるんだろう」
1回、過去に戻って考えてみる。
だから、一人さんの自分探しの旅とは、自分の記憶の中を旅するの。
自信を失う前の自分、否定漬けにされる前の自分、こだわりだとか、心配性だとか、そういう性質を持つ前の自分に会いに行く。
わかるかい?
だから、否定漬けにされる前の自分が本当の自分。
この、自分本来の姿に一回、帰ってみようよ、っていう。
それと同時に、過去に自分が失敗したこと、恥ずかしく思った出来事、自信を失ったことや傷ついたこととか、思い出すといい気持ちがしないような過去を一個一個、良い事にひっくり返しちゃうの。
オセロで黒いコマを白に変えるために、変えちゃうんだよ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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