人間、誰にでも間違いはあるからな。
だけど親は、「間違った」とは思わない、すごい、喜ぶんだよな。
間違っていい成績をとったのに、親は本気で期待する
自信を失ってる人たちが、本当にすごく、多いんだけど、その人たちに共通しているのが、
「自分は親の期待に応えられなかった」
ということなのね。
例えば、間違って、良い成績やなんか取っちゃった、と。
いやね。
人間、誰にでも間違いはあるからな。
だけど親は、「間違った」とは思わない、すごい、喜ぶんだよな。
そうすると、子供は嬉しくて、「またがんばろう」ってなる。
当然だよ、子供は、、親の喜ぶ顔を見たいんだもん。
ただ問題は、間違っていい成績をとっちゃった。
そしたら、その後に、ペケだらけの試験の紙を親に見せた時に、親はすごいガッカリした顔をする。
そんなこと、されるたびに、子供は、だんだん、だんだん、落ち込んできちゃう。
そういう人がある程度の年齢になってくると、ある日、とんでもないことを考え出すんだよ。
自分が出来もしないことを、「よし、やるぞ!」って。
それによって、自信をつけたい、というのか、他人に「すごい!」と思われたいのか。
ところが、例えば、「英語を喋れるようになろう」と思って、英会話を習ったり、するんだけど。
本当に必要があってやってるわけじゃないから、できないんだよな。
たとえ、できたとしても、今時英会話が出来たって、珍しがられないだろ。
だから結局、そこでまた自信をなくして、落ち込むんだよ。
あと、「今年は日記を書こう」とか言う人もいる。
この場合も、元々、日記を書きたくて書くわけじゃない。
自分に自信を取り戻したくて、やってることだから当然、日記も続かなくて、落ち込むんだけど。
問題は、あなたを落ち込ませた、それ、本当にあなたに必要だったんですか?
人って、大外、普通に生きて、普通の人生を送るようになってて。
学校ってのは、毎日、違う内容を、やらせるんだよね。
だけど会社ってさ、毎日、ほぼ同じことしてるんだよ。
だから、あなたが生きていくには、会社でできる程度のことで十分なの。
たいがいの人は、真面目に働いて、笑顔で働いてりゃ十分、間に合うんだよ。
普通、学校では、それぞれ個性も定めも違う、いろんな生徒がごちゃ混ぜ状態でいるから、先生はまんべんなく、当たりさわりのない程度に教えるんだよ。
だけど、授業で教えることのほとんどは、社会に出ると必要ない。
必要のないことは、人は受け付けないようにできてるの。
それを、いろんなことができない自分を「駄目だ」と思っちゃうけど、実は、駄目だと思ってる部分って、自分の人生には、いらないんだよ。
わかる?
自分に必要のないことで、落ち込んでる事が多いんだよ、って言いたいの。
「方程式とかができなかった」とか、「いい学校に入れなかった」って。
「いい学校に入れない」とかっていうのは、令和、方程式だとか、歴史だとかが出来なかったんだけど。
事実上、社会へ出て、あなたのできなかった方程式を使ったことが一回でもありますか?
1回も使ったことがないんだよね。
社会に出てから、「鎌倉幕府は何年に出来ましたか?」とか、聞かれることも、全くないよね。
だから、あなたは、全く必要のないことのために落ち込んでる。
それって絶対、おかしいんだよ。
自分の記憶の中を旅する「自分探しの旅」
ゴキブリがチョロチョロ、目の前に出てきた時に、
「ギャー!」
って、大騒ぎして、パニックに陥っちゃう人がいる。
涼しい顔して軽くぽんって、ゴキブリたたき殺しちゃう人もいる。
それから、学生時代、成績の悪さは同じでも、自信なくして暗く生きてる人がいれば、俺みたく自信満々で生きてる人もいるんだよね。
同じ現象が出た時に、こうも真逆の反応が出るのはなぜだろうって言った時、「ギャーの法則」というのがあって。
ゴキブリを見た時に「ギャー!」っていう人の場合、元々、親やなんかが「ギャー!」って言ってたんだよ。
ちっちゃい子からしたら、大人というのは絶対的存在。
その大人が「ギャー!」って叫んだら、子供の脳に「ゴキブリは怖いものなんだ」とインプットされちゃうの。
それが、ずっと、現在にまで持ち越しちゃう。
一方、ポンと叩き殺しちゃうような人の場合、ゴキブリが出ても、家族は「なんだ、ただの虫じゃねえか」って、スリッパで一発スコーン! みたいな。
そういう家で育った子って、大人になっても、ゴキブリが出たって、なんのことはないんだよ。
わかるかな?
過去の影響ってあるんだよ、過去に経験をしたことが現在を作ってる。
だから、「学校の勉強が出来なかった自分は落伍者だ」とか、
「お金がない家の子は駄目なんだ」とか、
子供の時に親とかに言われたんだよな。
だけど、それを言った親自身も、小さい時に、その親から言われてきたの。
負の遺産、みたいなものが、代々、その家に受け継がれてきて。
しかも、そういう家庭が付き合う人達って、類友の法則で、似た者同士付き合うんだよな。
その結果、あなたは否定的な意見をずっと聞かされて、何て言うの?
古漬け見たく、否定漬けにされて、それが間違ってても、あなたの常識として当たり前になっちゃってるんだよ。
だから、自分が否定的になっちゃった時ね、
消極的になったり、落ち込んだり、悲しくなっちゃった時に、
「この思いは、どこから来てるんだろう」
1回、過去に戻って考えてみる。
だから、一人さんの自分探しの旅とは、自分の記憶の中を旅するの。
自信を失う前の自分、否定漬けにされる前の自分、こだわりだとか、心配性だとか、そういう性質を持つ前の自分に会いに行く。
わかるかい?
だから、否定漬けにされる前の自分が本当の自分。
この、自分本来の姿に一回、帰ってみようよ、っていう。
それと同時に、過去に自分が失敗したこと、恥ずかしく思った出来事、自信を失ったことや傷ついたこととか、思い出すといい気持ちがしないような過去を一個一個、良い事にひっくり返しちゃうの。
オセロで黒いコマを白に変えるために、変えちゃうんだよ。
俺たち歴史上の人物じゃないんだからさ、過去はどうにでも変えちゃって
過去は変えられないけど、未来はどうにでもなるという話、聞いたことあるだろ?
でも、どうにもならないよ。
あなたの、その嫌な過去を変えないで、未来は幸せ、って無理。
なぜなら、あなたは子供の時から、ずっと否定漬け、貧乏漬けにされてきて、不幸グセがついちゃってるから。
そういう人は、今日も、明日も明後日も、ずっと不幸なんだよ。
俺は「過去はどうにでもなる」って言うんだよ。
過去って、自分の頭の中にある思い出だからな。
思い出ってのは、どうでも、自分の好きなように書き換えられるんだよ。
俺達、歴史上の人物じゃないんだから、そんな、歴史の教科書に載っかってるわけじゃないからね。
変えちゃっても全然問題ないの。
これ、例え話なんだけど、俺ね、同級生に会うたびに、
「中学校の頃は、俺も生徒会長で大変だったよ」
とかって、ずっと、言ってたのよ。
もちろん、ロクに学校にも行かなかった俺が生徒会長、、やってたわけないじゃん。
だから、冗談で言ってたんだよ。
そしたら、何十年と言い続けてたら、この前、友達が俺に言うんだよな。
「そういや、斉藤、お前は生徒会長だったもんな」って。
いちいち覚えてないんだよ。
中学校の頃を思い出を楽しく変えたって、向こうは、わかんない。
だから、みんなもさ、過去のマイナスの場面、場面に戻った時に。
小学校の時にこんな失敗をした、おねしょした、色んなことがあったと思うんだよ、な。
だけど、事実上、そのこと、誰も覚えてないの。
だから、それを楽しい思い出に変えちゃって。
過去を変える、というのは、みっちゃんが何年か前に、パーティーで乾杯の音頭をとることになったんだけど、アがっちゃって、コップを持ってないのに、
「かんぱーい」
っていっちゃったんだよね。
その時のことを思い出すと、みっちゃんは、
「今も、顔から火が出るくらい恥ずかしい」
って言ってたんだよ。
で、その時、一人さんは「みっちゃん、それはやめな」って。
「それを言うなら、腹がよじれるぐらい笑っちゃう、って言ってごらん」って。
みっちゃんが、それを言ったら、その過去は、本当に笑える楽しい思い出に変わっちゃったんだよね。
そうやって、みんなも、オセロみたいに黒を、くるっ、くるって、白に変えていけばいい。
過去に、いじめられてた記憶もあるだろうけど、その時、あなたは自殺しなかったんだよな。
だから、普通だったら、自殺してもおかしくないのに、自分は死なないでここまでこれてる、って凄いよ。
何て強いんだろう、って。
しかも、その後、あなたは他人をいじめなかったんだよな。
世の中に、下には下がある、って言うだろ。
あなたより弱い子がいたはずなんだよ。
だけど、あなたは、弱い者いじめをしなかった。
優しいんだよ、あなた。
自殺もしなかったんだよ。
そしたら、「俺って、強くて優しいから、今があるんだな」って、その記憶をプラス、プラスにひっくり返す。
追伸 仕事とは人生の花道
私は尋ねました。
「逆境の時って、泣き言とか、悪口とか、一言も言っちゃいけないんですからね」
「1回は言ってもいいよ。
『俺は一生懸命やったのに、あいつが・・・・・・』って、いいよ、1回は聞いてやるよ。
でも、何回も言ってたら・・・・・・」
「聞かされてる人は「もう、いいよ」ってなります」
「だから、そんなことをするより、「この前は泣き言言っちゃったけど、今は、一生懸命、返り咲いた時のために勉強しているんですよ」とか、言えばいいんだよな」
「そんなセリフを言える人、かっこいいですよね。
俺だったら、『この人は、すごいな』と感心しますよ」
「だよな」
ひとりさんはそう言うと、コップの水を一口飲み、そして、
「ただ、感心させるようなことは、なかなか言えないもんだろ。
だから、天に神という審査員がいると思うんだ。
その点の神様が100点をあげたくなっちゃうような答えってなんだろうか。
俺は、いつも考えるんだよね」
「天の神様から100点をもらうか。
俺に、そんな答えが出せますかね」
すると、ひとりさんは「満点は取れないよ。人間って、完璧じゃないからな」
「じゃあ、100点あげたくなっちゃうような答えっていうのは何ですか?」
質問すると、ひとりさんは、
「100点あげたくなっちゃうような答えは何だろうって考えても、満点は出ないよ。
だけど、0点は絶対ないんだよ。
最低でも10点とか、20点とか。
だけど、それが、やがては30点になり、40点の答えを出せるようになって、次は50点、その次は60点、だんだん上がっていくものなの。
それで、どんどん、人は幸せになっていく。
わかるかな」
「なんとなくですけど、分かります。
俺も、最初、この仕事がうまくいかなかったとき、自分の逆境嘆きました。
だけど、嘆いている時は、全然、うまくいかなくて。
その時、一人さんの本と出会って、24時間笑顔で居るようにしたら、運勢が好転していきましたから」
私がそう言うと、ひとりさんは「そうそう」と頷き、そして、こう言いました。
ともかく、逆境を嘆いたり、恨んだりしちゃいけない。
そして、逆境というのは、上にいる、絶対なる人が自分を試そうとしているんだと。
そしたら、俺なんかの場合、「神様、あなたは、俺が泣き言を言うと思ってるかもしれないけど、その手は食いませんよ」って。
それで、「こういう答えを出しますけど、神様、どうでしょう」って、対話するんだよ。
なんか、怪しい話になってきたんだけど。
でも、代々続いているような家ってね、家訓の中に必ず「神仏を敬え」前っていうのが入っているんだよね。
神仏を敬うって、神にすがって生きろということじゃないんだよ。
どんなに成功しても、この世の中には、絶対、お前なんかに勝てないものがあるんだと言ってるんだよ。
そうやって言わないと、人間って傲慢になってダメなんだよ。
傲慢にならないために、「絶対なる神」というものがいて、それを「敬」えっていうね。
その絶対なる神に「ひとりちゃん、今の答えよかったよ」って、言ってもらえるような生き方を見せたいと思って、やってるんだよね、俺は。
だから、神様にお願いするんじゃなくて、神様が「ひとりちゃん、よくやったね」って喜んでるような生き方だな。
そうすると、よく客観的に自分を見るって言うよな。
「外から自分を見る」って言い方があるけど、それって人間目線なんだよ。
だけど、天の神様が喜ぶことってなんだろうって言った時、人は天の目線でモノを見て考えるんだよ。
これが実にいいんだよ。
いろんな気づきをもらえて、面白いぐらいに、商売でも何でもうまくいくの。
不況が来ようが、どんな問題が出てこようが、飛行機が空気抵抗で上に上がっていくように、逆境を利用して伸びていけるんだよ。
これが、なんだよ災い転じて福となすなんだよ。
いいかい、もう一度言うよ、天がくれた試練に対して、嘆いたりしちゃだめ。
天を恨まなくても、自分の運命を恨んだりしても駄目。
天を恨んでるのと同じことだよ。
だから、天を恨む人は逆境から抜け出せないんだよ。
逆境で潰れる人の特徴なんだよ。
潰れない人は、逆境の時に天を恨まない、時を恨まない。
逆境を利用して上に伸びるんだよ。
熱く語っていた一人さんが、一転、穏やかな口調で、
「いろんなことを一気に喋っちゃったけど、自分が使えそうだと思ったことを使いな。
それで、一歩一歩、自分の歩幅で歩いて行けばいい。
人と自分を比べないこと。
焦って、駆け出しちゃいけないよ。
だけど、止まっちゃいけない。
プロ中のプロを目指して、1歩ずつ、足を出していきな」
「はい」
「仕事とは、自分探しの旅」
「自分探しの旅って何ですか?」
「人ってさ、自分がわからない、自分の実力が分からないの。
やってみて、初めて自分の実力がわかる。
そこで改良して、改良して、やっていくうちに、商人の腕は上がっていくもんなの。
商人でも、サラリーマンでも、どんな仕事をしてる人でも仕事の腕を上げて、人生の花道にしていくものなんだよ」
ひとりさんはニコッと笑い、「じゃあ、そろそろ出るか」
「はい、ありがとうございました」
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
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