悟りというのは差を取るんです
悟り
悟りというと難しく感じますが、これが意外と簡単なんで、修行もいらなければ何もいらないです、お釈迦様も難行苦行をしたんですが、 日本のお釈迦様はふっくらしていますが、 ところがインドの方とか外国の方ではお釈迦様は 、修行中の仏陀はすごく痩せてるんですね、肋骨が出てるんですね、 それが難行苦行の時なんですが、最終的にお釈迦様は無駄であるとおっしゃいました、過激な修行は無駄であると言ったんです。
難行苦行した時に痩せ衰えて、お釈迦様は動けなくなったんですね、 その時に村の娘が牛乳で炊いたお粥を出してくれたんですね、 そしてそれを食べて、その娘の名前がスジャータなんです。 今の製品で食品はその名前から由来があるんですね、
修行中の人は昔は女の人に近づくのは良くなかったんですね、 だから女性から物を貰って食べるという行為は許されざる行為だったんですね。
お釈迦様はそれをもらって食べたんですね、 女性が好きだったのかも分かりません、 親しみが湧いてきますね。
悟りという字は心に五と書きます、 それが自分の口に向いてます、 悟りというのは自分のことが分かれば悟りなんですね、 自分というのは何だろうと追求していくと、 悟りに近づいてくるんですね。
これは字で書いてその通りなんですけども、 もう一つそれは言霊と言って、本当はことたまなんです、 言葉には意味があるんですね、神様がつけた意味があるんです。
差
悟るというのは悟りなんですね、 差を取るんですね、 悟るということはどういうことですかと問われれば、人間というのはいろんなことに差をつけるんですね、 女性だからどうだとか、男性だからどうだとか、 それから学歴がある人、学歴のない人、日本人も昔は、 日本人は優秀で他の国の人間は優秀でないと考えてたんです。
そういうこと言って差をつけたがるんですね、 差をつければつけるほど悟りからは遠のいていくんです、 今の日本人で外国人より自分たちが優秀であると思ってる人はあまりいてません。
今の若い人で男尊女卑とか思ってる人もあまりいませんね、 思うのは勝手ですから、しかしそういうのもなくなってきました、 だからだんだん悟りに近づいてくるんです。
最終的に一番に差が取れることがどういうことですかと言うと、 自分と神様は同じものなのである、この話は少し難しいんですけども 、キリストが言ったように貴方達は神の子なんだ、 神の子だということは神なんですね、蛙の子は蛙です。
神様の子は神なんですから、 立派な神様に育っていくんですね、 育つ過程に今、我々はあるんですね、 人間は背骨があるからしっかり立っていられるんですね、 他の動物はあまり直立では歩けません。人間だけが直立で歩けるんですね。
我は神なり愛と光なり
背骨が曲がるんですね、 体調が悪くなると背骨が曲がってくるんです、 何番目の背骨が曲がると胃が悪いとか、 肝臓が悪いとかの決まりがあるんですね。カイロで骨を矯正するんですね 、それをすると体の具合が非常に良くなるんです。
ひどくなってくると脊髄湾曲症といって、曲がってくるんですね、 色々あるんですけどこれは 奇跡的に治る方法があるんです、 それは誰がやっても治る方法があるんです。
「我は神なり愛と光なり」 その言葉を10回か20回言うんです。 その言葉言うと体から力が抜けるんです。 力が抜ければ筋肉の硬直が取れてまっすぐになる部分が出てくるんですね、 誰がやっても治るんですね。
自分が神なんだということを言えば体が柔らかくなるんですね、 ところが自分一人で頑張らなければいけないとか、 あんまりにも自分一人に頼りすぎていると 、自分が自分がというのは我なんですね 、我が我がの我が強くなってくると、脊髄に周りが出るんですね、 「我は神なり愛と光なり」と時々言うと、おまじないではないんですが、脊髄がまっすぐになるおまじないだと思って いればいいんです、その言葉をずっと言うんです。
そうすると不思議な現象が起きるんです,背骨が曲がっている人に我は神なり愛と光なりと言わしてみると楽になるんです、
だから何なんだと言われるとこれも困ります、誰がやっても出来るんです。
心地よい言葉は体を正常にするんです、 癒すんですね、癒す言葉があるんですね 、一番体が硬くなるのは何でも頑張らなければとか、 自分の力でとか、人に頼らずにとか、 そういう言葉を言えば言うほどに体が硬くなってくるんですね。
カイロ、 針、お灸もしたけれど治らなかった人が「我は神なり愛と光なり」という言葉で治るんですね、そういう不思議な現象があるんです。
しかしその時は頑張らなければという気持ちが強くて、 力を抜いて「我は神なり愛と光なり 」それを言っていて、自分がもし神だとすれば 、愛と光の人間ならばどういう生き方をするんだろう 、人に何をしゃべるのかとか考えているうちに治るんですね。
こんな簡単な方法はないですね、 我が神ならば人も神なんです、 みんな大切な人間なんです、 それは些細なことであの人高校中退とか、 それが一体どうしたんですかね。
誰でも高校に行けば偉いということはないです、誰でも大学に行けば偉いということはないです、 みんないろんな事情があるんですね、 道路工事してる人もいるし、家を作ってる人もいてます、ペンキ塗ってる人もいてます、いろんな人がいて成り立っているんです。
学校に行ってはいけないのではなくて、本当に行きたい人が行けばいいんです、 行きたくない人も行ってるんですね。
いろんなことで差をつける、差をつけてる人ほど苦しいんですね。 いろんな人間を見て差をつければつけるほど 、下の人間を見て差をつけて、その差のことばかりを考えているんですね、大概人間は下を見て生きていません。
自分より上を見て生きていますから、 もっと学歴の高い人、もっといい学校に行った人、 もっと金持ってる人、 もっと家柄のいい人、そんなことばかり考えてるんですね。
そんなことばかり考えているから、上がだんだん重くなってくるんですね、 重くなればなるほど背骨に負担がかかってくるんですね、 だから差を取るんです。
この差を取ればすごく幸せになれるんですね、 その中で自分が本当にしたいことは何だろう、 それを追求していけば本当に楽しいことがたくさん起きてきます。
何日間も座禅するとか、 食事しないで頑張るようなものではないんです、 それよりも人に優しく出来る気持ちがあればそれで十分なんです、 これが悟りの話です。
家族愛
兄弟で差をつける、 お兄ちゃんだから、同じ喧嘩をしていても お兄ちゃんなのにというのは、これって差ですね。
そういう差をつけてはいけないんです、 兄弟の問題もあるし、親子の問題もあるし、 親戚の問題もあるんですが いろんな形で差を取っていて、 もっと大きな愛で、昔は家族愛だったんですね。
アメリカに行くとマフィアというのがあって、 仲間内の結束はすごく強いんですね、 その代わりに仲間以外は殺してもいいと思ってる人もいてるんですね。
それがだんだん大きくなってきて、家族愛が 日本だと昔は豊臣家だとか なんとか家とか、 一つの集団 が一つの国みたいになるとその中は異常に仲がいいんですね、しかし 隣の国とは敵対するんですね、 昔は国粋主義という愛国主義があったんですね。
愛国というのは国を愛しているんですが、別に隣の国の人間を愛してるわけではないので、 結構、無茶苦茶なことをするんですね。 それと同じようにその差がだんだん無くなってきて、今は人類愛のようになってきているんですね。
宇宙愛
人類愛はもうすぐ終わるんですね、 人類ばかり愛しているとあまり木を切っていると おかしくなるんですね、 そうすると宇宙愛とか自然愛みたいにしないと人間だけが良いならば、生きている行ける時代ではなくなってきてるんですね。
ここんところ時代のテンポが速いんですが、 人類愛から自然愛、宇宙愛 にもう一つランクが上がる時代なんですね。
いくら便利だからといって、工場から排気ガスをたくさん出していると地球の温度が上がっていくんですね、 ここんとこ北の方で、海で温度が1度上がると プランクトンが出来ないんですね。
タラの稚魚なんかが餓死するんですね、 たった一度違うだけで、 暖かくなればプランクトンとなんかどんどん出来ると思うんですが、 寒いところにいるのはそれが良くているんですから 、温度が上がるとダメなんですね。
我々、今の時代はもう人類愛だけではいけないんですね、 プランクトンのことも考えて、結局は皆で助け合うんですね 、そういう宇宙 愛みたいなところに行くんですね、 それも一つの差なんですね。
ひとつの国よりも人類愛の方がいいんですが、 結局は人類だけを愛していても駄目なんですね、 いろんなものをトータル的に愛していく時代を作らないといけないんですね、だんだん、差が取れてるんですね。
ここんとこ車でも排気ガスを出さないようにしようとか、 工場でも出さないようにしようとか、 木はあんまり切っては駄目だよとか、 そういう風に言うようになってきていますね。
これはすごく差が取れてきてるんですね、 兄弟の話から人類の話まで行くのは少しおかしいんですが、 細かいところで、心の中にどっかで差をつけてないだろうか 、その差を取っていくんですね 、自分達の悟りの修行なんですね。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
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