辞めた会社の社長と、その後、どうなったかということについて報告しようと思うんです。
失業して学んだこと
Mちゃん
私は今年会社を辞めました。
その日は普通に会社に行ったのですが、社長と意見が折り合わず、そのまま帰ってきてしまって。
その後、「愛と光と忍耐」ということをお教えていただいて、その日のうちに言い始めました。
それからの一か月間、色々なことがあって、学ぶための一か月だったように思うのですが。
辞めた会社の社長と、その後、どうなったかということについて報告しようと思うんです。
会社を辞めたその日、社長から「書類を取りに来い」とか「あれを持ってこい」とか「必ず会社に来い」みたいなことを言われました。
その後、会社に行く日について社長とメールでやり取りしていて、社長からメールが来る度に私は「あぁ、嫌だな」という気持ちになっていたんです。
ところが、「私は愛と光と忍耐です」を言い始めてから、「これは悪いメールじゃないんだ」って。
「この人に悪気はない。単にそうしてほしいという気持ちで、言っているんだ「と捉えるようになって、以来、必ずメールの文章の最初に「感謝してます」と一言書き添えるようになりました。
そして、「この書類がこうなってるんですけれど、ご相談なんですが、この日には御社に行けますが、この日以降は郵送していただけないでしょうか」というような返信をして。
そしたら、どんどん、向こうのメールの内容が変わってきて。
最後の方になりますと、「こちらの方が書類を作るのに時間がかかってしまって申し訳ないので、こちらから送ります」と。
「返信用の、宅配便の送り状(着払い)を入れておきますから、そちらで送り返してもらえないか」というような返信に変わってきて。
そして、昨日の夜のことなんですけれど。
私の方から「返信しました」というメールを送りましたら、「お互い、それぞれの場所でがんばっていこうな」というメールが来まして。
メールのやり取りをしていく中で、社長の気持ちが変わっていくのを見て、「社長は、決して悪い人ではなかったな」って。
それを私が悪いふうにとっていたな、と。
そういうことが分かるようになって、ちょっと成長したかな?
斎藤一人さん
これからは、魅力の世界が来るんだけどさ。
魅力ってのは、魅力的なことを言ってるかどうかなんだよな。
だからって、いちいち「魅力とは・・・・・・」って考える必要はなくて。
だって、目の前のに起きることに対して、「愛と光」で答えを出すとしたらって考えたら、もう、その時点で既に人は魅力的なんだよね。
「私は愛と光と忍耐です」と言っているうちに、自然とそういうことがやれるようになるんでるんだよな。
「愛と光」で答えを出そうとすることが本当の魅力で、それは普遍の定理なんだけど。
ただ、同じ問題に対して、俺の「愛と光」と、みんなの「愛と光」とは、表現が違うんだよな。
表現は違っても、「愛と光」なら、どれも素敵な意見で、等しくいいことが起きる。
だって、「愛と光」で生きてたら、人に好かれるからな。
だけど、「愛と光」で生きるってのは、例えば、いつも人の悪口を言ってる奴がいるとすると、こういう人でも私が付き合ってやる、じゃあないの。
「お前、いつまでも人の悪口を言っていると、地獄に落ちるから、やめな」と言う。
これも「愛と光」なんだよ。
それから、相手のことを思ったら、「お前、何時まで、弱い者いじめをやってる気だ」って。
俺にやってるって事は、よその人にもやってんだよ。
「それ、やめな」って言うほうが、愛と光なんだよ。
だから、「愛と光」で生きるって、なんでも我慢しようとかっていうことではないんだ。
おかしなことをやってる奴がいたら、「お前、おかしなことをやめろ」って。
そういうことやってると、だんだん、だんだん、胸のスカッとさが違ってきて。
いや、それって大きいんだよ。
だから、「愛と光」も、必ず進歩するんだよ。
で、だんだん、スカッとする方が正しいんだよ。
わかるかい?
愛と光と忍耐ですって、相手が嫌なことをやってきた時に「笑顔でいるんだ」じゃないの。
「お前、やめろ」って。
「この前から見てると、ずっとやってるよな。そういうことやめな」って。
「俺も気分悪いけど、やってるおまえは地獄へ落ちるぞ」って。
そうすると、そいつはいなくなるか、変わるか、どっちかなんだよ。
いずれにしろ、誰かが言った方がいいんだよ。
「愛と光」で生きるって、叱ってやんなきゃいけないこともあんの。
だけど、愛で叱られた人は、恨まないよ。
不良の中学生でも、先生が愛の気持ちで、「お前、本当に今タバコ吸ってると、高校、受からないからやめろと」かって言うと、
タバコはやめないかも分からないけど、その先生の前では吸わなくなるんだよ。
「お前なんかいると、授業の邪魔だ」と思って言ってるのと、本気でその人を思って言ってるのとは違うんだよ。
人ってのはね、本能で感じるんだよ。
「この人、俺の事馬鹿にしてるな」とか「邪魔にしてるな」とか、それから、「愛で言ってくれてるんだな」ってわかるんだよ。
ごめんなさい、熱く語ってしまいました。
職場で、まさかの、神様のお試し。
笑顔で対応できるようになりました。
Tちゃん
私は元々、仕事が大好きで、楽しんでやる人だったんですね。
仕事は楽しいし、職場の人間関係もいいし、ずっとハッピー・ウェイを歩いていたのですが、去年から、神様のお試しが来たみたいで。
特に今年に入ってからは、、会社の組織変更があったり、仕事内容が変わったりして。
以前はお客さんといっぱい話をしたり、社内の人、社外の人問わず、一歳して会話することが多い仕事だったのが、今は注文書の入力を一人で黙々と、ずっとやってるんですね。
あまりにも性に合わない仕事をやってるせいもあって、ちょっと、気持ち的に曇ってしまって。
それと、私は派遣なのですが、派遣先の上司が指示を出すタイプではなくて、ちょっとモジモジした方で、見ていると、「今こういう状態だからこうした方がいいんじゃないですか」とか、ついつい、言いたくなっちゃう。
先取りして「こうした方がいいんじゃないですか」とか、どんどん言ってしまうんですが、本当は私は言いたくなくて、指示してもらいたい。
そういうなか、一人さんから教わった「私は愛と光と忍耐です」という言葉。
あれを1日100回言うことの他に、会社の机に「私は愛と光と忍耐です」と書いたものを、キーボードとパソコンの間において、常に目に触れるようにしたんですね。
あと、何年も前からデスクの上に鏡を置いて、時々、自分の顔をチェックして、笑顔で仕事ができてるかどうか見るんです。
今年に入ってからずっと「笑顔じゃないな」と思っていたのですが、「愛と光と忍耐」の紙を見ると我に返って、ちゃんと笑顔が出るようになってきました。
それから、職場で少しイラっとした時でも、後で紙を見て、気持ちを立て直します。
そうすると上司の前でもニコッとできるので、あちらもニコッとして、以前と比べてコミュニケーションがうまく図れるようになってきました。
また、どんな仕事でも修行だから、注文書の入力は孤独な作業だけど一生懸命頑張ろうと思って、今、できるようになったところです。
斎藤一人さん
仕事ってのは、派遣も何もないんだよ。
できる人がやるんだ。
それで、派遣の人だから、仕事ができないわけじゃないんです。
だから、できる人は、それを、教えてあげると。
ただし、教える時に気をつけなきゃいけないのは、言い方ね。
相手を馬鹿にしたような言い方をすると、向こうは頭にくるんで。
だけど、愛でやってあげているんだとしたら、「いい人が来て、助かってるんだよ」ってなるから。
それで、人間ってね、行動じゃないの。
思ってることがね、人ってね、なぜかわかるんだね。
「これ、俺のために行ってくれてるんだな」
って、相手の人が分かれば、揉め事って起きない。うん。
あなた、愛があるから、行った方がいいと思うよ。
なぜか、とっさに出た「今まで働かせてくれて、ありがとうございます」
Mちゃん
一人さんから教わった「私は愛と光と忍耐です」を一日100回言い出した、その日。
不思議なんですが、心が軽くなりました。
例えて言うならば、自分の心の中に、泥水の入ったコップがあって、その水の汚れが取れた感じ。
それから3週間ぐらい経った今、どんな状態かと言いますと、底にまだ、ちょっと汚れが残っているような、そんな感覚なんですけど、日々、それが変化するんですね。
自分が変な、悪い言葉を使ったりすると、黒くなっていったり、濁ったりすることもあるので、これを言い続けることは大事なんだなと思っています。
それと、実は僕、派遣で、とある工場で働いていたのですが、つい先日、派遣会社の人間に呼ばれまして。
生産量が思いっきり減っちゃったから、来月末で、派遣の中に解雇される人間がいる、と。
その中に僕も含まれていまして。
普通だったら、そこで怒っちゃうんです。
以前の僕もそうでした、やっぱり。
ところが、「今まで働かせてくれて、ありがとうございます」という言葉がとっさに出たんです。
なんでか知らないんですけど、出た。
「僕、4ヶ月間だったけど、ここで働けてありがたかったですよ」と。
なぜか分かりませんが、落ち着いてそれ、言えたんです。
言ったと同時に、「なんとかなるな!」って楽天的に、いい意味で楽天的になってる自分がいたんですね、その時。
その日から、今まで何かありましたか?
と聞かれたら、特別なことは何も。
派遣会社の方とも、いつも通り、「いや、どうも」って笑顔で挨拶してるし。
自分の中でも、何か劇的に変わった、というワケではないんです。
ただ、前向きになったんだろうと思います。
それと、前に言った通り、まだ水の濁りが残っているので、それをどうやって消していこうか、それが毎日の課題です。
これからも、言い続けていこうと思っています。
斎藤一人さん
バチカンって何も売ってないんだよ。
キリストって死んでから2000年経つ。
それでも、世界中から人が来るんだよ。
それって、何ですか?って言った時、キリストの言ったことが素敵だったんだよ。
だから、人間、素敵に生きた方がいいんだよ。
それって、誰だって、素敵に生きられるんだよ。
素敵とは、言ってることに「愛と光」があればいいの。
リストラされてな、辞めるということが決まったら、辞めるしかないんだよ。
だけど、その時に、仲間の悪口も言えるんだよ。
社長の悪口も言える。
でも、「お世話になりました」も言えるんだよな。
「みんな、仲良くしてくれてありがとね」とか。
「近所に来たら、遊びに来るからね」とか。
ところで、自分の言ってること、素敵ですか? って。
恨み言を言うほうが、いいんですか? って。
人があなたのためを思って、一冊の本を紹介してくれた、その時、「俺、本、読まない人なんだ」って言うのと、「俺、本、読まないけど、社長が言ってくれるんだから、俺、読むよ」って。
どっちの方が素敵ですか?
何かあった時に、あなたの言ってること、素敵ですか? って。
いつも本出して読まない人が、「悪かったよ」って。
「俺に、本読めって言ってくれるの、あなただけだから、読んでみるよ」って言った時、「こいつ、違うぞ、」と思うもんな。
わかるかい?
人間って、もっともっと、素敵になれるんだよ。
素敵になれば、人生、変わるんだよ。
追伸 自分を幸せにしてから人には親切にする
自分の足下を見て、まず自分が幸せになって、それから周りを幸せにして行くの。
特別な能力が欲しいというのは、人より得意なことをして有利に立ちたいっていう考えなんだよね。
それより人に親切にする方がいいんだよ。
滝に打たれて座禅を組んで、10年とか20年という歳月を費やして悟りを開きましたって、それで悟りを開いてどうするのって。
結局は人に親切にするしかないから。
悟った人間が怒った顔をしていることもないし、不親切なこともないの。
それだったら10年修行する暇があるなら、笑顔にして人に親切にしてればいいんだよね。
それを今いる会社でやればいいんだよ。
今いる職場でやればいいの。
そんな基本的なことが分かってから神を語ろうよ。
守護霊を語ろうよ。
私は今、ボランティアで「三身一体開運法」というのを教えてるんだけど、その三身が一体になるというのは、自分が神で真我が汚れているから、その汚れを取るための行いなんだよね。
「私は愛と光と忍耐です」って人に対して4回言うとして、10人にやると40回、100人にやると400回ということになるの。
それで現実に魂が綺麗になってくると起きる現象が違ってくるんです。
そういう体験をすると、オーラを大きくしたり、小さくしたり、相手に送ったものが見えるようになってきます。
不思議なことは不思議で終わらせたらダメなんだよ。
感じられないものが感じられるようになって、見えないものが見えるようになって、それが本当の神事になるんです。
理由もわかんないことをしているのが神事なんじゃないの。
私は自分のやっていることを一つも不思議なことだとは思ってないんです。
気だって感じられるようになるし、自分のオーラを小さくしたり大きくしたり、人のオーラだって見えるようになるんだよ。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お世話になっております。
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我が儘勝手で申し開きも御座いません。
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