コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斉藤一人さん 人は未熟だから成長し続けられる

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自分は未熟だと思っている限り、一生成長し続けることができる

 

人は未熟だから成長し続けられる


一人さんは、昔からよく、「未熟っていいよね」「未熟は楽しいよ」と言っていたのですが、最近、その言葉に一層厚みが増したと言うか、以前よりもっと未熟を好きになっているみたいなんですね。

一人さんは、未熟についてこんなふうに考えているそうです。


「昔は未熟だった。

今はもっと未熟。

未来はますます未熟。

僕はそう思っているんです。ずっと未熟なの。

だって、未熟はこれから成長できるという意味でしょ?

自分は未熟だと思っている限り、一生成長し続けることができるんだよね。

未熟だから成長できる。最高の言葉なんだ。

一人さんは未熟な方が楽しいと思っているし、未熟な自分が大好きだよ」


未熟という言葉には、どことなくを取っているような印象があるせいか、あまり好んで使わない人も多いと思います。

未熟は半人前のように感じるから、自分を未熟だと思いたくない。

未熟ているのは恥ずかしいことだと考えるのが、世間の常識かもしれません。


でも、例えば学生時代の友達と久しぶりに再会したりすると、

「あの頃は未熟で何も考えてなかったけど、すごく楽しかったね」

といった会話が弾むことがあるのではないでしょうか。

未熟だったから面白かったね、楽しかったねって、未熟を「良いこと」として捉えている。

一人さんは、そういう「楽しさ」に目を向けるんですよね。

世間の「当たり前」とは違った角度から未熟という言葉を受け止め、「未熟だからこそ楽しい」「未熟な人生って最高だよ」って言うのです。

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立派って、俺にとってはつまらないんだ


未熟な反対といえば、完熟です。

完熟って、例えばフルーツなんかだと1番熟して美味しいタイミングですが、逆に言うと、そこが成長のピーク。

ちょっと言い方は悪いけど、その先はもう成長できない「行き止まり」みたいな印象でしょう?

後は実が落ちて終わりって言うか。

もちろん食物においては、そこから次の代に子孫を残すという大事なお役目もあるわけで、完熟は子孫繁栄のために絶対に必要なステージです。

いつまでも未熟な食物じゃ、絶滅しちゃうから。

ただ、人間はそうじゃないんですよね。

人間の場合は、完熟を「立派」という言葉に置き換えた方が分かりやすいと思いますが、別に立派じゃなくても子孫は残せます。

むしろ、常識にとらわれず立派を目指さない生き方をしている親の方が、子孫(子供)にも都合が良いのではないでしょうか。

立派にこだわらない親の方が、子供はのびのびと自由に育ちますよね。

それなのに、なぜかみんな立派を目指して苦しむ。

一人さんは言います。


「俺は昔から立派が好きじゃないんだよね。

立派より未熟の方がはるかに好きだし、不届き不埒な人生が一番いいな。

立派な人生って、一人さんにとっては本当につまらない。

だって、立派でいようと思うと、自分を実力以上に見せなきゃいけないでしょ?

そんなのくたびれてしょうがないよね。

立派に生きること自体も疲れるけど、立派じゃないことがみんなにバレやしないかっていつもビクビクしなきゃいけないのも大変だよ。

そんな息を抜く暇もない人生なんて、苦しいだけです。


だったら、最初から俺は未熟ですと言ってるほうが気楽だよね。

未熟だと言いながら生きていれば、失敗したって周りも、本人が未熟だって言うんだからしょうがないと思ってくれるんじゃないかな。

それに、未熟と言いながらちょっと成功すると、なかなかやるなって思ってもらえたりしてトクだよ。

もちろん、世の中には立派なのが好きな人もいるから、そういう人立派に生きることで成功するし、幸せなんだよね。

ただ、少なくとも一人さんの場合はそうじゃない。

だから俺は、昔からずっと自分のことを未熟だと言い続けてきたし、今は昔以上に未熟だと思っています。

そしてこれからも、ますます未熟で生きていくよ」

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神様から見たら誰だって未熟なんです


若い時には、未熟であることを受け入れやすいと思います。

世間からも、「若者は未熟で当たり前だ」という前提で許されやすいですよね。

が、年をとった途端に、未熟に反発し始める。

大人になったら、もう未熟は許されない。

多くの人がそう思い込んでいて、大人になったら、「立場にふさわしい生き方をしなきゃ」「人に見られて恥ずかしくない振る舞いをしないと」って、急に立派を求め始めるわけです。

そんな、常識に縛られた大人に向けて、一人さんはこんなメッセージを発信しています。

「社会に出ると、どうしても年齢とともに立場を考えなきゃいけなくなったり、それなりの地位についたりすることもあるよね。

そうすると、真面目な人は、未熟じゃダメだって、無意識のうちに立派を背負っちゃうんです。

自分で自分の方に荷を乗せてしまう。

自分で自分を苦しめてしまうの。


でもね、そんなに力も必要はないよ。

人間ってみんな未熟なんだから。

未熟なのはあなただけじゃない。

あなたの同僚も、上司も、社長も、神様の目から見たらみんな未熟なんです。


こうして人間に生まれた時点で、俺たちは神様から命をもらっている。

神様にしてみれば、この世の人間は全員未熟なの。

完璧な存在がいるとしたら、それは神様だけです。

人間は未熟だからこそ、この世界に楽しく修行するために行ってきているんだよね。

完璧だったら、もう人間として生まれてくるはずがないんです。

人間の世界にいるって事は、それだけで未熟な証拠だよ。

もっと未熟でいいんだという気持ちを持ってごらん。

すごく心が楽になるから」

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未熟が明るい人生を引き寄せるよ


僕たちは、人間である限り完璧にはなれません。

つまり、立派を目指しても立派にはなれないし、そもそも立派になる必要はない。
だったら、いっそのこと「未熟でいい」と思った方が肩の力が抜けます。

未熟である限りずっと成長し続けると思えば楽しいし、人生だって格段に面白くなる。

そう考えると波動もよくなるから、むしろ「昔は未熟だった。今はもっと未熟、未来はますます未熟」のスタイルを貫いた方が人生も開かれるよってひとりさんは言います。

「立派を目指して肩の荷を下ろせないでいると、波動が重い方に傾いちゃうんです。

あれこれいっぱい荷物を背負うと、苦しいでしょ? 重くて疲れるよね。

真面目なのが悪いわけじゃないけど、あまりにも遊びがない人は、明るくて楽しい波動になりようがない。

立派すぎる人は、つまらない波動になっちゃうの。

で、その波動がますます苦しくてつまらない人生を引き寄せるんだよ。

わかるかい?


その点、自分は未熟だと思いながら生きていると、楽しい波動がじゃんじゃん出る。

未熟を受け入れるだけで人の心は軽くなるし、明るさを増すからね。

タツヤの講演会が面白いのだってさ、タツヤが不届き不埒な人生を楽しんでいるからだよ。

タツヤも、なんだかんだで一人さんに負けないくらいの不真面目ぶりでしょ?

だけど、そういうタツヤだから愛されるし、その楽しい波動が、みんなにまた会いたいと思わせて、講演会だってリピーターさんがどんどん増えていくの。

タツヤの未熟の波動は、すごい魅力なんだ。

もしタツヤが真面目でお堅い人間になっちゃうようなら、途端に講演会のつまらなくなっちゃうだろうね。

でもそれじゃあタツヤのファンも困っちゃうから、これからも精一杯不真面目に生きてもらわないと」


もちろんです!

僕は「斎藤一人 特別弟子」という素晴らしい肩書きを頂いていますので、その名に恥じないよう、不届き不埒な人生を全うします!

 

斎藤一人さんの話を纏めました。

 

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