コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斎藤一人さん 滅私奉公みたいな愛は長続きしない

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だんだん違和感を抱くようになるんです。

「私はこっちがいいのに」「今日は疲れてるから早く帰りたいのに」って、合わせることが辛くなってくる。

 


滅私奉公みたいな愛は長続きしない


時々、なんでも相手の言う通りにするのが愛だと思ってる人がいるんだよね。

もちろん、それで気分がいいんだったら何も問題ないの。

世界は広いから、ひょっとしたらそういう人がいるかもしれない。

うまくいってるのなら、「それで正解」という合図だからね。

でもたいていは、人の言いなりになってばかりだとうまくいかないと思います。

相手に合わせようと思うと、やっぱり自分に我慢させることが多くなるから苦しくなるんです。


彼氏ができたばかりだと、最初は「これが愛なんだ」って彼氏に合わせることが楽しいかもわかんない。

でもね、だんだん違和感を抱くようになるんです。

「私はこっちがいいのに」「今日は疲れてるから早く帰りたいのに」って、合わせることが辛くなってくる。

いつもあなたが合わせていると、相手もそれが当然の感覚になっちゃって、要求がエスカレートしてくることもあるだろうしね。
結局、滅私奉公みたいな愛は長続きしないんだよ。

いずれ問題が起きて、さらにしんどい思いをすることになるの。


ただ、そういう経験をすることも学びだからね。

痛い目にあいながら、少しずつ本当の愛に気がつくの。

苦労することで、間違っていることに気づく。

これじゃだめなんだな、うまくいかない時はやり方を変えなきゃいけないんだなっていうのは、自分で経験しながら気づくしかないんです。

あと、そもそも人の言うことばっかり聞いていると、自分を成長させようとする気持ちが希薄になりやすいと思うよ。

物事を自分で選択してないから、ちょっとうまくいかなくなると、相手のせいにするんだよね。

「あの人のせいで失敗した」「言う通りにしたら損をした」って。

自分で決めたことで失敗したのなら「まだまだ私は未熟だなぁ。次は改善して、うまくいくようにがんばろう」って前向きに受け止められることでも、人に言われて決めたことだと、いちいち人を恨んだり責めたりすることになる。

それってすごく疲れるよ。

気分も沈むよね。

ということは、やっぱりその道は不正解ってことなんだ。



愛の押し売りに屈してはいけません


世間には、「あなたのためを思って」と言っては、束縛や押し付け、おせっかい、口出しと言った「愛の押し売り」をしてくる人がいます。

それはやっぱり、その人が未熟だからです。

まだまだ登らなきゃいけない階段がたくさんあるからだよ。

でもね、愛の押し売りをする人に「それは間違ってるからやめたほうがいいですよ」みたいなお説教はしなくてもいい。

相手が盛大に勘違いしている時には、何を言ってもあまり伝わらないだろうし、多分あなたが嫌われて終わるだけだと思います。


だからって、別にその人を見捨てるわけじゃないよ。

あなたがお説教しなくても、いずれ自分で気づく時が来るから大丈夫なの。

あのね、愛の押し売りなんてしていたら、当たり前だけど誰ともうまくいかないんです。

人に不快な思いをさせて、良い関係が築けるわけがないよね。

そうすると、いつも人間関係でもめることになって辛い。

対人問題で苦労することになる。

それでやっと気づけるんだよ。

自分が愛だと思い込んでいたことは、実は本当の愛ではなかったんじゃないか。

ひょっとして、自分は愛の押し売りをしていたのかなって。


だからあなたはただ、愛の押し売りに屈しなければいい。

愛の押し売りをされた時は、徹底的に拒否しなきゃいけないし、嫌なものは嫌だと言えばいい。

それが相手への愛だし、もちろん自分への愛でもあるよね。

で、あからさまに拒否すると角が立つっていうのなら、「馬耳東風(人の意見に耳を貸さず聞き流すこと)」という言葉もあるように、右から左に聞き流しな。

「あ~、そうなんですか」って笑顔だけ返して、実際は言うことを聞かなきゃいいの。

そのうちに、相手も「教えがいのない人だなぁ」「この人に何を言っても無駄だ」と感じるようになるから。

暖簾に腕押しで、相手もくたびれちゃってお節介してこなくなると思いますよ。



魂には「修行のとき」「学びが実るとき」がある


最近、神様からこんなお知らせがあって。


「人間は振り子みたいなもの」

どういう意味かと言うと、振り子って右へ行ったり左へ行ったり、同じ幅だけ入れるでしょ?

揺れた振り子が、あっち行ったまま戻ってこないことはない。

左に触れたら必ず右に振れるし、行った振り子は必ず戻ってくる。

つまり、どんな人の魂も「修行のとき」「学びが実るとき」があるよ、ってことなんです。


例えば、SNSやなんかで人の悪口を書いたり、やたらと攻撃したりする人がいるでしょ?

そういう人を見て、みんな「あんなことをする人が理解できない」「嫌な人間はずっと変わらないだろうな」みたいなことを言うんだけど、そうじゃないんです。

今世では理解に苦しむ言動していても、時間が経って来世や再来世になれば、真逆の感覚を持ってるようになるんだよね。

今は振り子が向こうへ行っているから、人の悪口ばかりかもしれない。

でもね、いずれ振り子がこちらに戻ってきたら、今度は人のことをうんと褒められるようになる。

優しさの塊みたいな人になる。


振り幅の大きい人は、それこそ同じ魂とは思えないくらい変わるから大丈夫なの。


じゃあ、次に振り子が向こうへ行ったら、また悪い人間になるんですかって、それもまた違うよ。

人の魂は絶えず成長し続けているから、振り子が同じ場所で行ったり来たりしているように見えても、実際には階段を一段ずつ昇っている。

だから次にまた振り子が向こうへ行った時は、以前のような嫌な奴に戻るわけではないんだ。

もちろん、人間は未熟だから失敗はするよ。

だけど学んで成長している分、魂のステージは上がるし、以前と同じような失敗はしないよね。


人は皆、この世で魂の修行をしています。

地球上にいる誰もが修行の途中だし、それぞれの魂レベルが違っても、みんなここで学びを深めています。

そして間違いなく、それぞれのペースで少しずつ上に上がっている。

今世、愛のない嫌な表現や、悪意の表現しかできない人は、そうすることでどうなるかという修行をしているんだよね。

愛がないとみんなに嫌われて、自分が苦しい思いをする事で愛を学ぶの。

そしてそれを経ると、今度は実りの時を迎える。

魂の修行って、時間をかけて自分で学ぶしかないんです。

そう思って、自分に対しても他の人に対しても、未熟さを許すことだよ。

それもまた私たちに必要な学びだから。

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