コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斉藤一人さん 努力が必要な人間関係なら、続けない方がいい

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人間関係を長続きさせるために努力が必要なんだとしたら、それは本当の関係ではないんだから、やめてしまった方がいい。

 

 

 

信頼できる友人の選び方


「私には友達がいないんです」

「親友と呼べる人がいません」

という悩みをよく聞きます。

でも私は必ずしも友達がいないのをいけないこととは思っていないんです。

世の中にはいない方がいい友達だっている。

友達がいるかいないかじゃなくて、どんな友達がいるのか、を考えた方がいいんですよ。


親友と言える人は人生に一人か二人で十分


ろくでもない亭主とか、ろくでもない上司ならいなくていいのと同じで、いない方がいい。


いなければ0で済むけれども、ろくでもない友達がいると0じゃなくてマイナスになります。

だからいい友達がいないんなら、無理して作る必要はないんです。


一人きりで寂しいんなら本を読めばいい。

本はとても役に立ちます。

本を書くような人は成功者か、いっぱしの意見を持っている人です。

その人が心血を注いだものが一冊の本になっています。

一日一冊読んだら、一年で365冊読める。

そうすると素晴らしい人間になれます。

素晴らしい人間になれば、素晴らしいことが起きてくるんです。

今、信頼できる友人がいないなら、今の段階ではあなたに友人はいらないということ。

自分を磨いた方が良い時期なんです。

優しい人や親切な人はいくらでもいる。

そういう人の中で親友と言える人が一生に一人か二人見つかれば、それで十分だと思います。


努力が必要な関係なら、続けない方がいい


人間関係の続け方についても触れておきます。

いい友人関係なら、放っておいてもその関係は続きます。

人間関係を長続きさせるために努力が必要なんだとしたら、それは本当の関係ではないんだから、やめてしまった方がいい。

ありがたいことに、私は幼いときからいつも人に囲まれて育ってきました。

学校に行っていた時も、トイレに行くときくらいしか一人になったことがないんです。

多分、私が楽しいことしか話さなかったからだと思います。

相手が楽しくなる話、特になる話をしていれば、その人と離れたくなくなりますよね。

「この人間関係を長く続けたい。この人と長く友達でいたい」

と思ったら、その人が楽しくなる話、その人が良くなる話をすればいいんです。

私はをお弟子さんに会うと、必ず最初に言う言葉が決まっています。


「今日、何かいいことがあったかい?」


いつも楽しい話が聞きたくてたまりません。

そして私自身は何が起きても楽しい。

仕事も楽しいし、人生も楽しい。

風邪を引いても楽しいし、雨が降っても楽しい。

私をよく知らない人は、

「斎藤一人さんはお金持ちになったから楽しいんですよ」

と言いますが、お金持ちになったから楽しいんじゃないんですよ。

楽しいからお金持ちになったんです。

順番が逆ですね。

私はお金持ちになる前からずっと楽しかった。

例えば身近な人に不幸があったとしても、普通の人は死んだら人生が終わりだと思っているけれど、私は何回でも生まれ変わると信じているので、そんなに悲しくはない。

村芝居みたいなもんで、今世は親子として出会ったけど、次に生まれ変わったら兄弟になっていたり、結婚相手だったり、面白いんです。

そう思っている私は、人が亡くなっても、また会えると思っているのでそんなに悲しまなくて済みます。

それから自分の人生の舵は自分で握っていると思っているから、人生をどうにでもできるのも楽しい。


私は人生を映画だと思っているんです。

自分が監督で自分が主役。

喜劇にするか、悲劇にするか。

どんな映画、つまり人生にするか、私の自由だと思っているから楽しくてたまりません。


思い通りにならないことが起きたら、

「どうしたら思い通りになるのか」

と考えるのが楽しい。

私という存在自体が楽しいんです。

だから悪い方角もクソもない。

西に行こうが東に行こうが、私がいるところが楽しい。

北海道が楽しいんじゃなくて、北海道に私がいるから楽しいんです。

そうやって楽しく生きていれば、友達ができないとか、人間関係が続かない、という悩みが起きるのが不思議になります。

 

親子関係を修復するには


子供の時は親が絶対的な存在です。

その関係を抜け出せないでいると、今度は自分が社会に出た時、親に代わる存在として、絶対的な上司があらわれるんです。

親=上司なんですね。

だから嫌な上司に対応するためには、嫌な親をどうにかしないといけません。

 

 

 


親に逆らえない人は、社会に出ると逆らえない上司があらわれれる


なぜ上司と親をセットにしたのかと言うと、両方とも根は同じだからなんです。

どういうことか、簡単に説明しましょう。

親に嫌われると子供は生きていけなくなります。

生きていけなくなると、どうなるのかと言うと、


一つ目は、いい子になって親に合わせようとする。

二つ目は、反抗する。

三つ目は、引きこもる。


要するに、自分が生きていけないという危機的な状況から抜け出すために、三つのパターンのどれかを選んで適応しようとします。

3パターンのうち、反抗して親を全面否定し、自立するのが本来のあり方です。

反抗できれば、ちゃんとした大人になれます。

でもそれ以外の二つのパターンだと、親離れできなくて、なかなか厄介です。

引きこもってしまうと、社会に出て行くことができず、いつまでも親に依存するしかなくなります。

一番多いのは、いい子になって親に合わせてしまうパターンです。

親の機嫌を取ってしまうパターンと言ってもいいでしょう。

これも困りますね。

このいい子パターンの場合、親の方もそれを利用して、子供が良い成績を取ったら褒めてやる。

無条件に愛するんじゃなくて、条件をつけて愛するようになります。

そうすると、子供の方は褒められないと相手にされないと思ってしまうので、社会に出ても、上司の顔色を伺い、一生懸命いい子になろうとするんです。

それだけじゃなくて、同僚の顔色を伺い、嫌な人間の顔色まで伺って、いい子になろうとする。

その方が上司に褒められると思うからです。

子供の時は親に絶対的に従い、社会人になったら、上司に絶対的に従う。

これが、良い子をやって生きてきた人の、親=上司という仕組みです。


でも、「そういう生き方は間違っていますよ」というサインを神様はちゃんと送ってくれているんです。

そのサインが、自分の周りに嫌な人間しか集まってこなくなることです。

いい人間は見事にみんないなくなりますよ。

なぜかっていうと、その人の心の中に憎しみがあるからなんです。

本当はやりたいことがあるのに我慢して生きてきた。

いつも誰かの機嫌を取って生きてきた。

笑顔を見せているけど、本当の笑顔じゃない。

どこかにトゲがあるんです。

それが染み出てきちゃうから、いい人がみんな逃げてしまう。


あなたはもう大人なんだから、親の機嫌を取らなくても生きていけるんです。

人の機嫌じゃなくて、自分の機嫌を取って生きればいいんです。

大人になっても、子供の時のサングラスをずっと外さないでいるから、おかしなことになるんです。

もういい加減、そのサングラス、とったらどうですか?

 

 

 

 


親の呪縛から抜け出すには、「クソババア」と100回言おう


「私は小さい時からずっと親の言うことを聞いて生きてきた」

という人でも大丈夫です。

今から親離れできる魔法の言葉があります。


それは「クソババア」です。


父親が強権的だった人は、「くそじじい」でもいい。

「クソババア」「くそじじい」を100回言うこと。

面と向かって言うと角が立つので、心の中で言えばいいでしょう。

親が亡くなっていても構いません。

「クソババア」「くそじじい」は目の前の自分の親に言っているだけではないんですから。

親が自分に絶対的な権力をふるうのは、親自身がその親に同じ事をされて育ってきたからです。

その親はまたその親からされてきて・・・・・・、と連綿と続く先祖代々の鎖に「待った」をかけるのが、この言葉です。

これが自分の独立宣言だと思えばいい。

社会人なら、本当は嫌な上司に向かって「このクソ上司」と言いたいところです。

でもそんなことを言ったら大変です。

だからまずは言いやすい親で練習してみてください。

いい子で生きてきた人は、なかなか親の呪縛から抜け出せません。

でも親だって未熟なんだから、絶対的に正しいわけじゃない。
それを、「クソババア」「くそじじい」で体感するわけです。

私の場合は、幼稚園に行く頃には、親の言うことは間違っていると見抜いていました。

私はいたずらをすると、よく親から、

「お前はうちの子じゃなくて、本当は橋の下から拾ってきたんだ」

と怒られました。

でも幼い私はこう思った。

「うちは7人も子供がいるのに、わざわざ子供を拾ってくるわけはない」

そして親は嘘をついているんだと、すぐにわかりました。

親の言うことは絶対的に思えますが、冷静になってみれば、子供でも間違いに気付きます。

私のお弟子さんも子供の頃、

「ご飯を食べて、すぐ寝転がると牛になるよ」

と脅されていたそうです。

でも、

「隣のおじさんは牛になってないんじゃん」

とすぐに気づいて、それからはいくら親に言われても「おかしいことはおかしい」と言えるようになったと言っていました。


親の言うことは何でも聞かなければいけない、というのは間違いです。


それが正しい時代もありましたが、魂も進化します。

今の時代は親から言われた通りに生きていると、自分が壊れてしまうこともあるんです。

万一、自分が強権的な親の元で生まれたとしても、自分自身が親になった時、そうならないようにすればいいんです。

 

追伸 「このクソババア!」と心の中で叫ぶ

 

この前、しんちゃんがね、一緒にドライブしてくれたの。

お弟子さんの宇野信行社長ね。

しんちゃんは1年に1回ぐらい胃が痛くなっちゃうことがあるんだけど、その旅の途中でも、すごく胃が痛くなっちゃったの。

そこで病院に行ったんだけど、どこも悪いところは見つからないんです。

いろんな検査をしても言い足り痕跡すらないんだけど、それでも当人はすごく痛がっちゃうの。

それで「なんでそんなことが丸いね起きちゃうんですか?」っていうと、しんちゃんは「いい人」をやり過ぎなんです。

みんなから好かれようとしちゃだめなの。

それでね、そういう人って反抗期がなかったんだよ。

ちゃんとした反抗期を経験してないから、嫌なことでもなんでも、自分の中にしまいこんでしまう癖がついちゃったんだよね。

だからこういう人は、「このくそばばあ!」って心の中で何回も唱えると、親の価値観から抜けられるようになるんです。

それで、育ちがいい人は「このクソババア」とか言えないから、「このうんこおばあさま!」って言えばいいの。

でも、両方とも「この」はつけないとダメだからね。

「このうんこおばあさま!」と何回か心の中で言うと、今までせき止めていた感情の壁が崩れるんです。

これって、心理学的にも全くそうなんだよ。

要するに、お父さんかお母さんの「よく育てよう」という期待に応えられなかったんだよね。

それを「自分が悪いんだ」と思って、自分を傷つけちゃうんです。

それで自分に価値観がなくなってくると、「いい人」を価値観にしようとするんだよ。

そうすると、自分のことを嫌ってる人、妬んでる人、おかしな人にまで好かれようとするんです。

その原因は全て親なの。

親の過剰な期待に応えようとしたんだよ。

途中で反抗期があった人はいいの。

私なんか、生まれた時から反抗期なんだよ。

ず~っと。

さわやかだよ。

でも反抗期がなかった人は、そのことで自分を傷つけちゃうんです。

自分の価値観が低い人って、親の期待に応えられなかったの。

それと「いい子」をやり過ぎちゃったの。

だからそれをやめればいいんだよ。

それでね、みんな、一人さんを選んだっていうだけで価値があるの。

すごい人なんだよ。

 

 

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斉藤一人さんのお話を纏めました。

 

皆様、いつもご精読ありがとう御座います。

 

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