心の豊かさと人を信じる力
億万長者の秘密
よく知られていることですが、斎藤一人さんは中学校しか出ていません。
また、銀座まるかんのお仕事の前身となる健康食品の仕事を始める時も、7000円のもとでから始められたそうです。
一人さんは学歴もなく、お金もない中から仕事を始め、一代でお金持ちになられた、すごい人です!!
さらにそのお弟子さんさんたちはどうかと言うと、一人さんと出会った頃のお弟子さんたちは指圧学校の学生だったり、喫茶店を営んでいたり、サラリーマンだったりと様々ですが、誰一人として最高所から成功していた人はいません。
よく、「お弟子さんたちは1人さんと出会ったから成功できたんでしょ」という人がいますが、私から言わせると、決してそうではありません。
なぜかと言うと、一人さんである遠藤忠夫社長、枡岡はなゑ社長、千葉純一社長と私は、ほぼ同時期に、はなゑ社長が営んでいた伝説の喫茶店、「十夢想家(トムソウヤ)」でひとりさんと出会い、話を一緒に聞いていたからです。
もしひとりさんと出会っただけで成功するのなら、私もそこから成功していたはずです。
しかし実際の私は、その後も成功とはほど遠く、貧しい人生を送っていました。
では一人さんやお弟子さん達が成功したのには、何か秘密があったのでしょうか。
私はこれを考える時に、一人さんに会って、お弟子さんたちにもあって、その時の私になかったものについて考えます。
それは、心の豊かさと人を信じる力です。
一人さんと出会った頃の私は、金銭的にも貧しかったのですが、それ以上に心が貧しく、否定的でした。
だから、一人さんの話を聞いてもそれを信じるどころか、
「この人、何言ってんの?」って感じでした。
これに対してひとりさんは、トムソーヤに来た人、誰に対しても分け隔てなく、一生懸命にお金をお話をしたり、相談に乗ってあげたりしていました。
もちろん、それに対して何の見返りを求めるわけでもありません。
ただひたすら相手を信じて話すのです。
そしてお弟さんたちは全く無名の一人さんのことを信じ、一人さんから教わったことを忠実に実践していました。
お弟子さんたちにも人を信じる心の豊かさがあったのです。
さらに、お弟子さんたちは、東京の学校に通うために新潟から一人出てきた私の面倒を見てくれたり、本当に可愛がってくれていたのです。
このように一人さんもお弟子さん達も、今のような大成功をする前から、とても心が豊かだったのです。
心の豊かさと貧しさ。
それはどこから来るのでしょうか。
そのことをお話しするために、少し私の生い立ちを紹介させてください。

私の生い立ち
私が生まれ育ったのは、苗場スキー場がある新潟県南魚沼郡湯沢町というところです。
苗場には何軒かの大きな家があり、そこからの分家の人たちが多く住むのが、湯沢町でした。
苗場スキー場ができたことをきっかけに、多くの家では旅館を経営するようになりました。
時期もちょうど高度成長期であり、お客さんは黙っていても来てくれる時代で、お金持ちはどんどんお金持ちになる。
そんな感じでした。
父の生家の本家にあたる本家も苗場にあり、祖父の兄がついでいました。
本家は非常に大きく裕福な家ですが、祖父は父が6歳の時に亡くなったので、本家から分けてもらった土地に祖母と父と弟、妹の4人で住んでいました。
父は成績が良かったらしいのですが、家族を支えるために高校進学を諦め、中学を卒業して働きに出ました。
その姿は、まさに努力と根性の人です。
母は会津の出身で、母は母親(祖母)を2歳の時に亡くしていました。
母の家も大家族で貧しかったため、中学を卒業すると働きに出て、苗場で父と知り合い、結婚したのです。
母も顔晴り屋(一人さん仲間では、「頑張る」を「顔晴る」と書きます)さんです。
お互いに「貧乏」「努力」「根性」が身についた両親でした。
私が生まれた頃、父は苗場スキー場に勤めていて、祖母と母は自宅の1階で食堂を営んでいました。
それが道路の拡張に伴って家を取り壊さなければいけなくなり、家を取り壊さなければいけなくなり、どうせならということで、我が家も旅館に建て替えることになりました。
私が小学校1年生の年です時です。
「旅館経営」というと聞こえは良いですが、予想の旅館と比べると建物も小さく、建てる時の資金を全て銀行から借りていたため、お客さんは来てくれるものの、銀行への返済額が大きく、我が家は貧しいままでした。
毎年お正月が過ぎると銀行の人が集金にやってきて、私たち子供の落とし玉まで返財のために渡してしまう。
学校の給食代が払えない時もありました。
都会の小学校と違って小さな村の分校でしたから、私の同級生は7人で、そのうち男子は2人でした。
いつも一緒に遊んでいたのですが、彼らの家はお金持ちで家が大きく、車も大きな外社でした。
仲良しでしたが、いつも彼らと自分を比較し、劣等感に浸っていました。
その負のエネルギーは下級生に向けられ、私はいじめっ子になってしまいました。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
お世話になっております。
Youtubeのチャンネル登録よろしくお願いします。
我が儘勝手で申し開きもございません。
上記の赤色のボタンを押してくださいね。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。

