苦しまない道に進む。
楽しい方を選ぶ。
自分に我慢させない。
魂が生き通しなのは、学び続けるため
この世で、年月を経ると肉体は衰えるし、不慮の事故や、思いがけない病で、誰もが必ず死を迎えます。
だけど、魂まで死んでしまうことはないんだよね。
肉体が死ぬ時には、魂は体から抜け出し、あの世に帰ります。
で、時が来たら、再び神様から新しい肉体をもらい、そこにポンと入る。
そして私たちはまた、この世で肉体を持って生きるわけです。
これを、「生き通し」と言うんだけど。
私たちの人生って、修行の時間なんです。
この世界に生まれてくるのは、様々な体験を体験を通じて学びを深め、試練を乗り越えることで魂を磨くためなんだよね。
魂を磨くというのは、偉大な親である神様に近づくことを意味します。
人は皆、自分の本質である、愛と光を追い求めます。
究極的な、愛と光の存在になる。
それが、魂の第一目的なの。
だけど、人は神様になることはできません。
どこまで行っても、修行が終わることはない。
永遠に学び続けるのが、私たちの魂です。
そんなわけで、人の魂は、何度も生まれ変わりながら成長するわけです。
なぜ、魂は永遠なのか。
それは、1回や2回生まれたぐらいでは、わずかな成長しかできないからです。
実際、人が亡くなる時って、ほとんどの人が「もっと生きたかった」「あれもやればよかった、これもしたかった」と思うんだよ。
未熟ゆえに、やり残したこと、思う通りに生きられなかった場面がいっぱいあるからです。
なのに、肉体の死とともに問答無用で魂まで消えてしまったのでは、そこで成長も終わりでしょ?
そんな魂ばかりじゃ、この世界には未熟な魂しか存在できないことになります。
いつまでたっても、進化のない世界でつまらない。
それに、私たちの魂は、もともと神様の分け御霊です。
神様にしてみれば、可愛い我が子なんだよ。
しかも人間の魂は、親である自分を目標にして上を目指そうとする健気な存在なんだよね。
余計に可愛いじゃない。
そんな大事な我が子を、消滅させるなんてことは神様がやるはずもない。
何度だって人生をやり直せるようにしてくれているし、その中で、ゆっくり学びを深められるようにしてくれている。
魂が生き通しなのは、神様の愛に他ならないんだ。

我慢は修行でも愛でもないからね
修行と言うと、普通は苦しいもの、辛抱するもの、みたいなイメージがあると思います。
多くの人は、我慢が修行だと認識しているんだけど、実はその真逆です。
苦しまない道に進む。
楽しい方を選ぶ。
自分に我慢させない。
これが、修行の本質なのです。
これで言うとね、今あなたの人生が辛いのだとしたら、それは間違った修行をしているのが原因です。
間違ったことをがんばっても、幸せが見えてこないのは当たり前だよ。
例えば、夫婦も長いこと一緒にいると、色々あるものです。
どんな相手と結婚しても、そこには修行が待っています。
お茶を淹れてあげたのに、当たり前のごとく受け取り、黙って飲むとか。
そんな人もいると思うんだけど、これ、放置してちゃダメなんです。
「家の亭主は、何かしてあげてもありがとうの一言もない」とかって文句を言いながら、実際にはそれを許している人がいますけど、だから旦那は気づけないんだよ。
人間は、魔法使いではありません。
黙ってて、勝手にお茶が出てくるなんてことはありえないんだよね。
ここは、念じただけでお茶が出てくる世界じゃない。
それを、してもらって当たり前に思い、感謝もない。
そんなんじゃ、あまりにも愛がないよな。
神の道から外れまくっているんです。
それがわからないでいると、運気が落ちて悪いことばかり起きるようになります。
また、旦那の無関心、間違った考えをゆるしている方にも、悪影響がある。
してあげたのにお礼もないとかって、イライラしたりぼやいたりすれば、イライラ波動、文庫波動になるでしょ?
こういう夫婦は、家の中でお互いに運気の下げ合いっこをしてるんだよね。
いいかい。
ありえないことが起きたら、ありがたいんです。
ありがたいとは、「有り難い(あることが難しい)」と書くでしょ?
自然に起きるはずもないことをしてもらったら、ありがとうを言うのが道理なの。
これを言えるようになることが、修行なんだよね。
で、自分で気づけない人には、そばにいる人が「こういう時は、ありがとういうものですよ」って教えてあげなきゃいけない。
それが、一緒にいる人にとっての修行なの。
だいたい、家で奥さんにも感謝できないようじゃ、仕事先で言えるわけがない。
そんなんで出世も何もあったもんじゃないよな。
本人のためにも、間違いを許しちゃダメなんです。
感謝がないことに苛立ちながらも許してると、人生はねじ曲がります。
やるべき修行に目を向けず、我慢ばかりしてると苦しくなる。
波動だって落ちる。
いいことなんて一つもないんだよ。
修行とは、我慢や辛抱をすることではありません。
それを修行だと勘違いしちゃうと、修行ではなく、修羅の道が始まっちゃうの。
行き着くところは、恨みの世界なんです。
間違いを見逃すことは、愛ではありません。
許さないことが、自分にとっても、相手にとっても愛であり、それが正しい神の道ですよ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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