不満を並べ立てるぐらいの元気とエネギーがあるのなら、自分はどうしたらそこに近づけるのかを考えて、行動した方が効率がいいのが当たり前。
「不満がある」 のは「満足できる何かがある」 ということなんです!
いきなりですが、問題です。
出かけに、靴紐が切れてしまいました。
あなたなら、どう思いますか。
A 出かけに紐が切れるなんて不吉だ。
B 紐が切れたから、すぐ取り替えよう。
C 出かけで良かった。 外出先で切れたら大変だった。今日は何かラッキー!
答えは C です。
A と答えた人、 Bと答えた人が間違っている、ということではありません。
どっちを選ぼうと、それはあなたの自由です。
でも、今日は何か嫌なことが起きそうな気がする、って思っていたら、元気な声で挨拶することができますか?
朝の挨拶って、重要です。
たった一言、
「おはよう! みんな、今日も元気でやっていこうね」
これだけで、何だか足元が軽くなります。
不吉なことが起きるんじゃないかって、重たい気分でいたら、こうは行きませんよね。
だから、 A とは答えたくない。
でも、
「紐が切れたから、すぐ取り替えよう」
だけじゃあ、今日の楽しみがない。
今日の自分は、昨日の自分とは違います。
新しい一日が始まるんだもの、今日はどんな楽しいことが起こるのかなって考えた方が、嬉しくなくないですか?
だから、B とは 答えたくない。
C と答えたいんです。
「正しい、正しくない」ではありません。
「何が正しいか」 を考えれば、楽しく過ごす知恵は、おのずと出てくるはず。
どれが正しくて、正しくないのか、と考えるから知恵が出てこなくなってしまう。
知恵の出ないもの同士が集まって、
「正しい、正しくない」とやるから、
言い争いになってしまうのです。
喧嘩になったら、もう、正しいもクソもない。
相手がへこむまで、自分の主義主張を押し通そうとするだけです。
それで、人が傷ついて、あなたに何か得なことはありますか?
自分の楽しいが求めるままに生きる、ということは、真剣に努力する、という条件付き。
でも、それは代償ではなくて、それ自体、とっても楽しいこと。
私は、これで生きた方が楽しいから、これを追求する。
あなたは、別のことの方が楽しいから、それをやる。
それだけのこと。
自分が楽しいと思うことを、他人にもやってもらおうとするから、甘えが出て、不満が出る。
会社でミスったことを社長に叱られたのを、今朝、出かけに切れた靴紐のせいにして不満をぶつけたって、何も始まりません。
「今の自分の心はこんなに暗いのに、何で空ばかり晴れ上がる」
なんて、悪態ついても、しょうがない。
空はただ、あなたの頭の上にあるだけ。
何も悪いことなんてしていません。
空に向かって唾を吐いたって、その唾は自分に降りかかるだけ。
あなたは、それで気分爽快ですか?
人のあげ足取りばっかりやって、現実が変わったことがありますか?
私には全然ありませんでした。
現実が変わってきたのは、私が否定的な考え方を改めるようになってから。
「どうせ自分は頭が悪いから、商売なんてできないんだ」
と、言っていた時期は、周囲に対してイライラばかりしてました。
「一生懸命スタッフを育てようとしているのに、どうしてうちの社員は長く働き続けてくれないのかしら」
と、言っているうちは、すぐ仕事をやめてしまう人もたくさんいました。
でも、両親がいてくれたおかげで、私は「働き者」 という素晴らしいものを頂いたと感謝した時、私は両親のことがもっと大好きになれました。
やめていくスタッフは、自分が出していた以前の波動で呼び寄せた人だから、やめていくのは当然で、人は育ちたい人が自然と育つと考えたら、いつしかスタッフは1人増え、2人増え••••••と大勢になりました。
何も、生きていくことは難しいことではないのです。
不満だ、と思っていることは、あなたが満足できる何かがあるということ。
だったら、不満を並べ立てるぐらいの元気とエネルギーがあるのなら、自分はどうしたらそこに近づけるのかを考えて、行動した方が効率がいいのが当たり前。
今を変えようと思ったら、まず、否定的な考え方をした時と、肯定的な考え方をした時とでは、どっちが自分のエネルギーを高めてくれるかを、よく検討してみてください。
そうしたら、目標地点に最短距離で到達できるはず。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
お世話になっております。
Youtubeのチャンネル登録よろしくお願いします。
我が儘勝手で申し開きもございません。
上記の赤色のボタンを押してくださいね。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。