「貧(とん)」とは貪るような欲望のこと。
「瞋(じん)」とは激しい怒り。
「痴(ち)」とは愚痴、泣き言、悪口などです。
貪・瞋・癡(とん・じん・ち)
仏教用語。人間のもつ根元的な3つの悪徳のこと。自分の好むものをむさぼり求める貪欲,自分の嫌いなものを憎み嫌悪する瞋恚,ものごとに的確な判断が下せずに,迷い惑う愚痴の3つで,人を毒するから三毒,三不善根などとも呼ばれる。
一人さんが思う因果について
私たちは魂を成長させるために何度も生まれ変わるんだけど、その過程で私たちの魂は未熟だから、失敗をすることもあるんです。
その失敗の時に作ったのが「因果」と呼ばれるものです。
ただ因果は罪ではありません。
罪でもない。
だから反省すればいいんだよ。
罪を犯して逃げている途中に反省したからって許してもらえないのは、犯罪を行うのは罪だし、罪を受けるということが法律で決まっているからなんだよね。
でも因果は罪ではないから、反省すると消えて、それで魂の成長するんです。
それとよく勘違いされているのは、「親の因果が子に報い・・・・・・」とかって言うけど、親の因果が子供に出ることはありません。
ただ、よくおじいさんとかお父さんで人の事を息もできないほどやり込めたり、怒鳴ったりする人がいるでしょ。
するとその人の子供や孫に、小児喘息の子供が生まれたりすることがあります。
それで、こういう話をすると、おじいさんとかお父さんの因果が子や孫に出たと思う人がいるんだけど、そうじゃないんです。
実は、この小児喘息の子も、前世で同じように他人に対して息ができないほどやり込めたり、怒鳴ったりしていた事が多かったからなの。
その因果を解消するために、同じような環境を選んで生まれてきたんだよね。
だから親の因果が子に出たわけではないんです。
ただし、全てが因果ではありませんからね。
因果の場合、その人が前記したような話を聞くとすぐにピンと来るから、ピンとこないのはただの体の不調か病気なんです。
因果の主な原因とは?
私が作ったサプリメントで多くの人が健康になるのに、なぜか同じものを飲んでも私は健康になりません。
いろんなアレルギーがあったり、体のいろんなところが悪いのです。
だからある日、神様に「私の病が治るサプリを出してください」と頼んだの。
まず、お願いする時は自分の悪いところは反省しないと、その願い事はかなわないから、自分の何が悪くて病になっているかを考えてみたんです。
それでいくら考えても、これはやはり因果だとしか思えないんだよね。
因果を作るしゅな原因は「貧(とん)・瞋(じん)痴(ち)」の三つにあると言われています。
「貧(とん)」とは貪るような欲望のこと。
「瞋(じん)」とは激しい怒り。
「痴(ち)」とは愚痴、泣き言、悪口などです。
だけど私は愚痴も泣き言も人の悪口も一切、言いません。
激しい怒りと言っても、私はほとんど怒りません。
お弟子さん達に聞いてもらってもいいんだけど、今まで私がお弟子さんを怒った事って一度もないんです。
すると残りは貪欲だ気になるんだけど、私は自分が欲張りだとは思ってないんです。
特に欲しいものもないし、服とか食べ物とかでも、「これじゃなきゃ嫌だ」とか文句も言わないから、自分は欲のない人間だと思い込んでたの。
でも自分のやってることをよく考えてみたら、私は事業をやっていて、累計納税額が日本一なんです。
本も書いていますが、今まで書いた本の点数や発行部数は、本を書くことを専業にしている作家さんより多かったりするの。
さらに講演もやるんです。
それも日比谷公会堂がすぐに満席になってしまうぐらいの人気で、講演した模様を録音したCDは飛ぶように売れてるんです。
事業で成功して、個人の納税では一番になって、ベストセラーの本を何冊も出して、講演もやって、精神的指導者として全国に5万人以上いるって、これはやはりやりすぎです。
それに考えてみたら女性にはモテたいし、これだけ好き勝手に生きていながら、人から尊敬されたいと思うし、とにかく大変なんです。
そうやって考えていくと、私は普通の人間だと思っていましたが、普通のところなんて全然ないということに気づきました。
普通なのは普通のものを食べているだけで、これだけ大金持ちになっても定食屋で食事をしていること自体が普通じゃないんだよね。
テレビとかも出ないから普通の人だと自分で思っていたんだけど、テレビ局から何度も「出てください」って言われているの。
それで、普通の人はテレビに出たいと思うんだよね。
そう思わない私の方がやっぱり、普通じゃない。
それで、やっぱり自分も知らない間にやりすぎて、
「貪・瞋・痴」の貧をやっていたんだなと気付いて反省したんです。
すると神様が「これで治るよ」って教えてくれたことをやったら、何十年と苦しんできたアレルギー性の症状があっという間に治ったんですね。
健康になるためには食べる物と心が大切なんです。
それで食べ物なんかはいいサプリがあるからそういうのを取ればいいんだけど、心は考え方を改めないとダメなんです。
だから人は考え方を改めないで病気だけは治すことはできないんです。
「銀座まるかん」という会社が大会社にならないのは、健康になるために食べ物を変えるだけではなく、考え方まで教えているから時間がかかるの。
逆に言えば、そういう会社ってないから他の追随を許さず、これだけ不況だと言われる中でも利益を上げ続けていけるんだよね。
反対のことをやれば因果は消える
人は何度も生まれ変わって、その実態は霊魂であるということがわからないと、人がもし今世限りだとしたら、悪いことでも何をしてでも成功した方が得だってことになってしまいます。
人の本質は霊魂なんです。
その霊魂が汚れてしまってるんです。
「貪・瞋・痴」という垢で汚れてしまってるんだよ。
だからこれを落とさないとだめなの。
ではどうすればこの「貪・瞋・痴」の垢を落とせるかと言うと、例えば畑の下の土壌が酸性の時に石灰をまいてアルカリ性で中和するように、反対のものを使えばいいんです。
例えばあなたが欲張りすぎている人だとしたら、欲の反対は奉仕なの。
だから奉仕をすればマイナスの欲が中和されて消えちゃいます。
もし欲も何も悪いことがなくて奉仕してるんだとしたら、その分が得となって積まれていくんだよ。
瞋の激しい怒りに対しては「許し」しかないの。
自分を許し、人を許すの。
酸というのは「電気を出す」という意味。
お酢でもクエン酸でもピリッと来るのはそういうことなの。
その反対にアルカリとは電気を吸収するんです。
だから食べ物でも酸性のものとアルカリ性のものをバランスよく食べて、中和しないといけないんです。
それと同じで、私たちは因果を消そうとするよりも反対のことをしたほうが早く因果を消すことができるんです。
だから私が「人に親切にしなよ」っていうのも、人に親切にすると、今まで人に迷惑をかけてきたことを中和してくれるんだよ。
痴の愚痴・泣き言・悪口に関して言えば、そういうことを「愛しています・ついてる・嬉しい・楽しい・感謝してます・幸せ・ありがとう・許します」という天国言葉で中和するの。
私が「天国言葉をいいな」っていうのも、人は知らぬ間に愚痴や泣き言を言ってしまうからなんです。
因果の原因になるのは「貪・瞋・痴」なんだけど、この三つが何から出るかと言うと自我、つまり利己主義から出るんだよね。
自分が強すぎるから自分さえよければ他人の物を奪っても気にしないというふうになるの。
貪欲というのも、自分が強すぎるから他人に分け与えることができないの。
激しい怒りにしても、ちょっと何か言われただけで「ぶっ殺してやる」とかって激しい怒りを持つ人は、やはり自分が強すぎるから。
そういう人は、日頃から「許します」という言葉を使ってるだけでもいいんです。
実際に許せなくても、「許します」という言葉は使ってるだけで中和されてくるんだよ。
さらにそうやって言い続けていると、実際に許せるようになるの。
だからこの三つの原因に対して、三つの対処法をとればいいんです。
粗末にしたものが原因となる
因果とは、自分が粗末にしたもので困るようになっているんです。
例えば、これは私が思うことですが、前世で自殺なんかしちゃうと、今世で死にたくない時に死んじゃうの。
子供がまだ小さくて、これからという時に死んだりすると、そこで命の大切さを知るんだよ。
一例です。
今世でお金に困っている人は、前世でお金がある時に、お金を粗末に扱ったんだよ。
だから今世でお金の大切さを学んでいるの。
「彼氏ができないんです」っていう人がいると、その人はできないから欲しいんであって、彼氏がいたらまた粗末にするかもしれない。
だからできないことで学んでいるんだよね。
子供が欲しいのにできない人は、前世で子供を粗末にしたんだよ。
だから今世でそれを学んでいるの。
嫁とか姑とか、仲の悪い人は1000年くらいずっと仲が悪いの。
それを今、魂的に解決しに来てるんだよね。
それで今は自分がやられてるから相手が悪いって言うけど、前世が同じことを自分がやってたの。
それで今度はやられる立場になって、自分が過去に行ったことを学んでるんだよ。
だけど私はそれを、自分がやったことだから我慢しなさいって言ってるんじゃないからね。
我慢するとそこから恨みが出て、同じ事を延々と繰り返してしまいます。
いじめることも、いじめられることもいけないの。
でもこれは前世の因果だから。
相手を恨んでまた新たな因果を作るんじゃなく、「いけないこ」とに気づいて、やらないようにすればいいんです。
嫁と姑の問題であなたが嫁だとすれば、この因果を終わりにするためにまず会いに行かないとか、距離を取るようにすればいいの。
「親子だからそんなことできない」とか「行かないと何を言われるか分からない」って言う人がいるけれど、そういう人はまだ因果がわかってないんだよね。
「自分がやられたからやってる」では因果はいつまでたっても消えません。
私たちが前世からやってることをなぜ気づかないかと言うと、過去世のことは覚えてないんです。
だから、自分がやったことをやられてるとは思えないの。
それでなぜ覚えていないかというと、覚えてない必要があるから覚えてない。
例えば前世で憎み合ってる人同士が今世で会うと、今世でもいがみ合ってるのに、さらに前世のことも覚えてたら「前世でこんなことされた」とか「あんなことされた」と恨みが出て大変なことになっちゃうからね。
麻雀とかでも、ゲームが終わったら全部チャラにしてまた新しいゲームを始めるけど、それと同じで一旦ゼロにする必要があるんだよね。
私たちは魂が成長して、許し合えるようになるんだよ。
それでいきなり許せない場合は、距離を置けばいいの。
繰り返しますが、「私が昔やったことだから我慢しよう」とすると、我慢から恨みしか出ないの。
それで「私はこんなにやってるのに、あの人は・・・」と、
さらにその恨みが増すんだよね。
だからまず、距離を置けばいい。
「やったからやられてもしょうがない」では因果が巡るだけで解決しないんです。
それでやられてるほうも、やってるほうも、どちらかが気がついたら距離を置くようにするんです。
交通事故と同じで、どちらかが避ければお互いには衝突しないんです。
お互いに避けないからぶつかるんだよね。
定めは必ず変えられます
人の「さだめ」って、変えることができるんです。
マイナス100のパワーの定めを持っている人には、プラス100のパワーの意志があるの。
だからプラス・マイナスでゼロになって、定めを変えることができるんだよ。
それで、明るく人に親切にしていると、因果ってどんどん消えていくの。
因果とは罰じゃないんです。
因果が罰だとしたら、人は罰を受けるために生まれてきたことになるんだよ。
神は罰を与えないの。
罰が起こるんだとしたら、それは同じ目にあわないとわからない人に起こるの。
だからそれも学びなんだよね。
それで神は幸せをくれるんじゃないの。
幸せに変えられるものをくれるんだよね。
木でも、土壌に栄養分が豊富で雨も十分降っていると目をあまり伸ばさないの。
それでどんどん大きくなって嵐が来ると、根がしっかり大地に張れてないから倒れちゃうんだよ。
それと同じで、神は私たちを困らせようとはしてないの。
しっかりと根を張るための学びをくれているんだよ。
今、神は私たちにコロナをくれたんだけど、それに文句言っちゃいけないからね。
それよりもこんなコロナ渦の中で、どうやって利益を出すかを一生懸命考えるの。
ポーカーでも麻雀でも、来た手に文句を言ってたら勝てないんです。
自分に来た手でどうやって勝てるかを考えるんだよ。
神がもし、あなたにハンデを与えたのだとすれば、それはあなたが優秀だからなんだよ。
追伸 うつ病の原因は心にあるとは限らない
最近、「鬱」になる人が増加しています。
「うつ」のことを話題にすると、「ストレスの多い社会が悪い」とか、「性格的にストレスに弱いんだ」などと言われますが、一人さんは他の人とかなり違う意見を持っています。
「鬱」は、血液、要するに栄養に問題があるんだ、っていうのが俺の考え方なの。
今の日本人って、血を汚す食べ物をたくさんとって、血をきれいにする食べ物をとらない。
それから、野菜に含まれる鉄分とかのミネラルが農薬や化学肥料で減っているし、台所にも鉄製の鍋とかってないだろ。
そうすると、血から酸素とか栄養もらっている体の細胞が元気なくして、ストレスにも弱くなってしまう。
別に俺の意見はどうでもいいんだけど、だけど、体が元気で元気で仕方がない時に、家にじっと引きこもっていろと言われたって、そんなことできるんだろうか?
それから、悩み事があって「鬱」になって自殺すると言うけれど、悩み事があっても自殺する人と、しない人がいるんだよね。
それで、体に有り余るほどの元気がある時、果たして人は自殺なんかできるんだろうか?
かなり変わった意見ですよね。
精神医学的に正しくないと思う人もいて当然だと思います。
でも、これで驚いてはいけません。
「鬱」以外の病気についても、一人さんは世間とは異なる見解を持っています。
以前、私が一人さんに病気の原因を尋ねたとき、一人さんはこう言いました。
「この話は別に信じなくていいよ。
全員に当てはまるわけじゃないけれど、病気には因果というものが関係してることも時々あるんだよ」
ちなみに、因果というのは、原因があって結果が出るということですが、例えば、リュウマチについてはこんな因果があるといいます。
「誰かを恨んでいるか、逆に恨まれている。
その因果がリウマチという病気になって現れることもたまにある」
また、小児喘息については、
「親か、おじいさんで、人のこと怒鳴りつけてばかりいる。
人が息もできないぐらい怒鳴りつけているから、そのエネルギーが子供に出ることもたまにあるんだよ」
それから、癌については、
「がんは頑固な人がなることもある」
と、一人さんは言うのです。
その話を聞いて、私は何だか恐ろしくなったのですが、一人さんは、にっこり微笑んで、
「えみちゃん、怖がる必要はないよ。
全員に当てはまるわけじゃないって言ったでしょ。
それに、特別な事をする必要もないんだよ。
人には笑顔で優しく接するとか、普通にしていればいいんだよ。
後は、食事を工夫する程度だよ」
というので、ひとまず安心。
「どうして、一人さんはこのことを知っているんだろう」
という疑問が湧いてきました。
ですが、そのことを一人さんに尋ねても、
「えみちゃん、もうやめよう。
商人がこんなこと言っていると怪しまれる。
第一、因果じゃなく、本当に体自体の問題のこともあるんだよ」
と、ストップがかかってしまいます。
ところで、一人さんは、私の疑問には答えてくれませんでしたが、病気に因果が関係しているか否かを区別する方法だけは教えてくれました。
「因果の話を聞いて、『あっ、そういえば・・・・・・』
と、パッと思いつく場合は、因果があるんだけど、すぐ思いつかない場合は栄養のバランスの問題。
食事をちょっとだけ変えればいいんだよ」
本当に食事だけで解決できるのか・・・・・・。
私には何とも言えません。
ですが、栄養の取り方をちょっと変えることで、ちょっとした不調が病気に発展するのを未然に防いでくれたというケースをいくつも見ています。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
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