コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斉藤一人さん 三車火宅

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時には、嘘をつくのが「宝」になることもあります

 

三車火宅

〘名〙 (「火宅」は三界のたとえ) 仏語。「法華経‐譬喩品」に説くたとえ。ある長者が、火の燃えさかる家から三人の子どもを助け出すために、それぞれが好む羊車、鹿車、牛車を与えようと約束し、逃げ出して来たあとにそれぞれに大白牛車を与えた、という。羊、鹿、牛の三車、すなわち声聞、縁覚、菩薩の三乗の教えによって、火につつまれる家にも等しい三界から、仏が衆生を導き出そうとしたことをいう。
※虎明本狂言・牛博労(室町末‐近世初)「法花経には、三じゃくゎたくのたとへをあげられて候」

 

 


この間、「一人さん会」(全国の銀座まるかん共通の勉強会です)を行った時の事です。

隣の会場では、どこかの商工会議所の方達が会議を開いていたようでした。

私が部屋の外に出ると、その団体から怒った顔の一人の男性が近づいてきて、こう話しかけられました。

「オタク、斎藤一人さんのところだよね? あのさ、笑顔がない人に『素敵な笑顔ですね』とか、美味しくもないラーメンを『美味しい』っていうのは、嘘だよね」

内心、「これは面倒だぞ」って思いました。

最初から、喧嘩腰でかかってくる人に懇切丁寧にお話ししてても、お互いの花が疲れてしおれるだけです。

だから、できれば、それはしたくないのです。

でも、その時は、何故か頭にぽんと、ある考えが浮かんだので、男性にこう返してみました。

「小さい頃、嘘をついて親にこっぴどく叱られたことがあるんですね?」

すると、その男性が、一瞬、「うっ?」と、うろたえたのが分かったんです。

「大昔にも、嘘をついた人がいたんですよ」

そう言ってから、私はひとりさんに聞いたお釈迦様の話をしました。

ある長者の屋敷が火事になりましたが、3人の子供達には家事の恐ろしさがわからないので、いくら「火事だ」と叫んでも、家の中で遊びふけっています。

そこで、父親である長者は、3人がとても欲しがっている「羊の車と鹿の車と牛の車が、門の外にあるぞ」と呼びかけたのです。

すると、子供達は、おもちゃを放り投げて外に出てきました。

これは、お釈迦様がした「三車火宅」と呼ばれる例え話です。

「人が本当の事を言って、人が不幸になるなら、その本当は本当にあらず。

そういう時には、嘘をつけ。

嘘も方便、ところによって宝になる」

一人さんはそう教えてくれました。

私が話し終わると、男性は最初にやって来た時よりも、もっと怖い顔をして帰っていきました。

きっと、あの男性の中には、「いかなる場合も、嘘をついてはいけない」という「恥の縛り」があるのだろうと思います。

多くの人は、「箸を正しく持てないと恥ずかしい」「靴を揃えないのは恥ずかしい」など、色々な事を「恥」という縛りにしています。

嘘もそうなのでしょう。

がんじがらめなんです。

しかし、この世には「真っ白な嘘」と「真っ赤な嘘」があります。

真っ白な嘘とは、相手の心を和ませて、お互いを豊かにするものです。

私たちが、笑顔がない人に「素敵な笑顔ですね」って言ったり、普通の味のラーメンに「美味しかったですよ」と言ったりするのは、言われた人を幸せにするからです。

言われて笑顔になる相手を見たら、言った人も幸せになります。

お互いに花を咲かせるというのは、そういうことなんですね。

それに対して真っ赤な嘘は、自分の利益を守るためにだけ作るもので、「周りがどうなろうと知らないよ」という身勝手さに満ちています。

真っ白な嘘と真っ赤な嘘は、全く似て非なるものだと、私は思います。


私たちは、周りの空気を読むのが上手になりすぎているのかもしれません。

コンサート会場で、ものすごく感動しても、周りの人に合わせて、声援を送るのをためらってしまった経験がある人もいるのではないでしょうか。

そんな風に、一つ一つ、自分で手を縛り、足を縛り、肩に荷物を背負うと、好きなように歩けなくなってしまいます。

まず、「嘘も使い方によって、宝になる」と知ってもらえると、縛りを解く役に立つのではないでしょうか。

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たとえ家族でも、「こうした方が良い」と言い過ぎるのは、エゴです


結婚をすると思う、子供を持つとも考えたことがなかった私は、四十歳で父親になりました。

うちに経理として勤めてくれた妻と出会って、子供を授かったことをきっかけに入籍しました。

長女が生まれた時、真っ先に「一人さんに名付け親になってもらおう」と思ったんです。

今、私が幸せなのは、すべて一人さんのおかげです。

だから、これから人生を歩み始める我が子に一人さんから名前をいただけたら、それ以上に、嬉しくて心強いことはありません。

一人さんに電話をかけてお願いすると、「のぶちゃん、分かったよ」って言ってくれた後、こう聞かれました。

「のぶちゃんが気に入る名前と、その子が幸せな人生を歩む名前と、どっちがいい?」


私は、「後者でお願いします」と、即答しました。

そして、長女が頂いた名前が「ポピー」です。

ちょうど、私が一人さんに電話をかけた時、一人さんはドライブ中で、目の前が一面ポピー畑だったんだそうです。

たくさんのポピーが、すくっと空を見上げて咲き誇り、風に揺れるその光景が、とても美しかったと聞きました。

「ポピーは一輪挿しにしても、春の訪れをつけるような温かさがあって、みんなが癒され、みんなに愛される。
そんな女性がいたら、素敵だよね素敵だよね」

一人さんが、そんな意味を込めてつけてくれた名前です。

長男は、「遊気(ゆうき)」と言います。

「これからの時代は、遊ぶように楽しく元気に仕事をすると成功する。

何事に関しても、楽しく遊びの気持ちを持って生きることが大切だよ」

そんな意味を込めていただきました。

次男は、「ココア」です。

「ココアって飲み物は、甘くて、あったかくて、誰もは一口飲むとホッとしちゃう。

そういう人がいたら、みんなが安心できるね」


今、3人の子供達は、高校生、中学生と小学生です。

私は、「子供たちが花を咲かせるために、親として、自分にはどんなことができるだろう?」ということは考えません。

子供には、子供の修行があります。

奥さんの事は大好きだし、子供達はこの上なく可愛い存在です。

でも、家族でも、みんな別の魂で、違う学び思っていますから、「そっちは危ないよ」「こうした方がいいよ」って言い過ぎるのは私のエゴなんです。

私があまりにも子供に注意をしないので、奥さんが怒って、よく夫婦ゲンカになりますけれども・・・・・・。

お小言役を妻に一任しているみたいになってるところは、申し訳ないなあって思います。


でも、先日、中学生の長男を叱りました。

大型ショッピングモールの駐車場で花火をやった友達と一緒にいて、厳重注意されたんですね。

注意されたから叱った訳じゃなくて、長男が、「僕はフードコートで寝ていただけで、自分は関係ない」と言ったからです。

「やったかやってないかは、関係ないだろ。

お前の仲間なんだから、二度と『自分は関係ない』って言うなよ」

そう叱ったわけです。

私は、悪い行動をして失敗することよりも、その場にいたのに、「自分は関係ない」っていうほうが嫌いです。


うちの親父は寡黙でしたが、そのあたりの線引きは、やはり激しかったです。

私が高校生の時です。

タバコを吸っているところおまわりさんに見つかって、派出所に連れて行かれたことがありました。

制服でタバコを吸う度胸があったくせに、いざお巡りさんが現れたら私と友達は顔面蒼白です。

交番から電話を受けた親父は、こう言い放ちました。

「忙しくて行けないんです。

2~3日、留置所に入れておいてください」

当時は、おまわりさんも粋で、「大した親父だね。もうやるなよ」って苦笑いで帰してくれましたけれど、「二度とやるまい」と心に誓いました。


人は、「これをやってはいけない」って、心に刻み付けたい生き物なんです。

魂に、ニュアンスとして刻みたいんです。

これは、ちっちゃな子供でも一緒です。

死ぬときには、生きている間にした経験、思い、魂に刻んだにニュアンスしか持っていけません。

それは、その人の財産です。

だから、命に関わることじゃなければ、「魂に刻みなさい」と、見守っていてあげればいいんじゃないでしょうか。

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家族は同じ教室の「仲間」、兄弟は席の近い「友達」


「のぶちゃん、子供ってね、小さい大人なんだよ」

一人さんから、そう教わったことがあります。

子供が小さくて、頼りなくて、可愛らしい存在である。

だから、何もわかっていないと、大人は思い込んでいるところがあります。

だけど、赤ちゃんだって大人の会話をちゃんと聞いていて、言葉の詳細はわからなくても、雰囲気を全て記憶しています。

お金のことで両親がいつも喧嘩をしていると、家の中に不穏な波動が漂います。

赤ちゃんは、「お金」という言葉と、嫌な波動を一緒に記憶して、お金に嫌悪感を持つようになり、やがて、成長した時に稼げない子になってしまうんです。

大人が不用意なことを言ったり、行ったりするのは、子供の真っ白なキャンパスに、汚い色の絵の具を垂らしてしまうのと同じ。

親は、つい子供を助けようとしがちですが、自分の花の絵を描くのは我が子にやらせて、「いい絵だね、素敵な花だよ」って言ってあげるだけで十分なんですね。

自分のキャンパスに自分で花の絵を描くという宿題ができない限り、また同じ問題が起きます。

「次は大丈夫ですからね、お任せください」って神様に言って生まれ変わっても、やっぱり、また同じところでつまずいちゃうんです。

大人も子供も、みんな、そんな風に徐々に学んでいる魂です。


我が家の子供達3人を見ていて、つくづく思うのですが、同じ親から生まれて、同じ家で育っても、全くタイプが違います。

考えてみたら、私と兄貴と妹も性格が違います。

どうしてかと言うと、魂が違って、学びも違うからですね。
だから、一緒に学ぶ仲間がいると面白いんです。

兄弟の学び方を見て、自分の学びになることもあります。

小学校のクラスで席が近くになったように、後ろにいる、前にいる、隣にいる。

兄弟って、そんな関係だと思うんです。

家族は、今世で同じ教室になった仲間で、その中でも席が最も近かったのが兄弟。

教科書を忘れたら見せあいっこしたり、答えを教えてあげたり、時々、ちょっかいを出したり。

我が家の三人兄弟も、一緒に、のびのび学んでいってくれたら、それでいいと思います。


私は、両親から「働き者」という言葉を学びました。

季節によって分け方の3時ぐらいに起きて、前夜に選定して水に浸けておいた大豆を、ゆでて、すりつぶして・・。

暑い日も、寒い日も、まだ空が真っ暗なうちから、文句も言わずに仕事をしていました。

お豆腐って、作りたては素手で触ると火傷するくらい熱いんですが、それを水に滑り込ませて、キンキンになるくらい冷やします。

水に手を入れると、今度は打って変わって、凍えるほど冷たいんです。

店の外に、焼き豆腐などを入れる大きなアルミの入れ物があったのですが、冬場はそこに氷が張るんです。

それを、カンカンと割るのが日課でした。

そういう仕事を毎日続けて、自分の洋服は一枚も買わない親に、私は育ててもらいました。

昭和30年代、40年代の親はどこの家庭も働き者だったのです。

その背中を見ているだけで、十分、勉強になりました。

私も、自分の花を咲かせる背中を、子供達3人に見せていけたらいいなと思っています。

 

 

ひとりさんの詩


お日様は

いつもニコニコ笑ってます

お日様に照らされると

ひまわりも たんぽぽも

楽しそうに笑い出します

眠っていた鳥たちも

歌い出します

明るいってすごいな          ひとり


世の中を明るく見る人は、お日さまと同じなんだよ

天照大神のすごいパワーが体中から溢れ出ちゃうんだね。

あったかくて明るい波動には、人をほっとさせる力があるから、お日さまになった人の周りには、「日向ぼっこをしたいなぁ」って、皆が集まってくるようになるんだよ。

「お代なんていらないよ。

好きなだけ、日向ぼっこをしてしていってね」

そう言ってニコニコしている人ほど、魅力的なものはないよね。

 

追伸 「正しい」と思い込んでいることが、実は「失敗」の原因になっている!!

 

さて、神と約束して決めてきた「修行」を、私はどうしたら乗り越えられるでしょうか?

そのコツを教えましょう。

それは、「失敗したことを改良する」。

このことに尽きるのです。

やってきた「修行」に対して、何度も何度もトラブルを起こして苦しんでいる人は、実は過去にも「似たような失敗」をやっていることが多々あります。

そして、本人は「失敗」と思っていないのが、この話のポイントです。

例えば、「お金の事」で悩んでいる人で、こんな人はいませんか?

「ちょっとお金が入ってくるとパーッと使ってしまう」というクセのある人です。

こういう人は、「私のものを買ったのではありません。

人の物を買ってあげたんです」と言い訳をしますが、誰のものかどうかは問題ではないのです。

この人は「お金の修行」の最中であり、ちょっとお金が入ってきたのは、神がこの人に「お試し試験を出している」ということです。

そのことに気づかずに、パーッと使っていると、またお金のことで困るような問題が必ず起きてきます。

これは神が、「もうちょっと、この修行が必要だな」と判断したに過ぎません。

この人が、「お金が入ってきたら、しっかり貯金する」という行動を取るまで、この修行は永遠と続きます。

また、「人間関係」で悩んでいる人で、こんな人はいませんか?

「夫の実家に帰ると、お姑さんが、私に意地悪をするんです」という人です。

この人は、「私は全力でお姑さんに尽くしているのに、こんな酷い事ってありますか?」と言いますが、全力で尽くしているかどうかは問題ではないのです。

この人は「人間関係の修行」の最中であり、お姑さんが出てきたのは、神がこの人に「お試し試験を出している」ということです。

そのことに気づかずに、夫の実家にのこのこ帰っていると、この人とお姑さんの確執はずっと続きます。

なぜなら、お姑さんは、お嫁さんに帰ってきて欲しくないのです。

可愛い息子と孫にだけ、帰ってきてほしい。

そんなお姑さんの気持ちを温かく汲み取って、夫と息子だけを実家に帰し、お嫁さんは会いに行かなければいいのです。

この話をすると、「そんなことはできません」という人がいますが、なぜ、できないのでしょう。

だって、今までお嫁さんが夫の実家に行くことで、散々失敗してきたのです。

失敗は、改良するより方法はありません。

上手に改良するためには「知恵」が必要です。

そのために、お釈迦様だって、「嘘も方便」ということわざを授けてくれたのです。

うまい言い訳を使って、行かないようにすればいい。

仮病を使うのだって手です。

お姑さんとの間で、これ以上、「怒りの波動」を出し合う前に、会わない方法を考える。

この決断が「正解」であり、実は、この答えを出すことを、神は待っているのです。
また、お嫁さんと合わないことで、お姑さんに心の余裕が生まれ、久しぶりに会った時には、お嫁さんに優しくしてくれるかもしれません。

お嫁さんが、「夫の実家に行かない」という決断をするまで、この修行は永遠と続くでしょう。

このように、何度も起きているトラブルには、「その人が失敗を改良していない」という理由がちゃんと存在します。

しかも、「その人が正しいと思い込んでいること」が、実は失敗であり、改良の余地があるのです。

神は、「改良しない人間」を嫌います。

とにかく、うまくいかないことを、二度も三度もやるのはだめなのです。

何度も起きるトラブルがあったら、それは、あなたが何かを「改良する時」です。

何があなたの「失敗」であり、どうすれば改良できるのかを、もう一度よく考えてみてくださいね。

 

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斎藤一人さんの話を纏めました。

 

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