人の地獄言葉が心に刺さるのは、それまで自分が地獄言葉を使って自ら傷つけたためにできた、「心のささくれ」が完全に治っていない証拠でもあります。
- 胡瓜草
- 「地獄言葉」は匂いと同じ。次第に、その不快さに慣れてしまいます
- 「好きなこと」を積み重ねると、「自分だけの花」が咲きます
- 「好きなことをやればいいんだよ。苦手なことは、やっちゃだめだよ」
- 追伸 「向いていない」はやりたくないだけ
胡瓜草
知っていますか
春に咲くきゅうり草の花を
誰も気づかないほど
小さな花ですが
精一杯大自然に感謝して
花を咲かせています
ひとり
胡瓜草を見ると元気が出ます。
小さな体で、がんばってるな。
すごいぞって、思わず笑顔になっちゃうの。
わずかに2~3 mm の花が、
雨や風にめげることなく、頑張らず、いじけず、咲き続けているんだよね。
そうだよなぁ、私も文句なんて言ってられるか。
そういう気持ちになるんだね。
この世は、とてもすごい花だらけ。
朝飯米の「いともたやすい」ことなんか、
一個もないってことに気づくと、
綺麗な花を見せてくれてありがとう、
私にも一つの花が咲いたよ、ありがとうって、
手を合わせたくなります。
「地獄言葉」は匂いと同じ。
次第に、その不快さに慣れてしまいます
「1日49回ずつ言ってごらん」
一人さんが教えてくれた「天国言葉」を繰り返すうちに、言い慣れてきて、意識をすれば日常会話の中でも使えるようになっていきました。
すると次第に、「愛してます」「ついてる」「嬉しい」「楽しい」「感謝してます」「幸せ」「ありがとう」「許します」。
この8つの言葉が、私の中にいっぱいに満たされていくのがわかりました。
しかし、それと同時に、人の「地獄言葉」が気になって、イライラするようになってしまったのです。
「十夢想家(トムソーヤ)」で一人さんに相談すると、
「のぶちゃん、家の中に地獄言葉の流れる時間があるだろう?」というではありませんか。
両親は愚痴ひとつこぼさない働き者ですから、私が「えっ、いつだろう?」と困惑すると、「テレビのニュースを流していないか?」と、一人さんが言います。
「大規模なテロがありました。
こんな重大事件や不慮の事故がありました。
今日も世界中でたくさんの人がお亡くなりになりました。
そんなニュースを聞きながら、ご飯を食べたって、ちっとも美味しくないよね」
一人さんにそう言われて、私はハッとしました。
うちは朝晩、 NHK を見るのが習慣で、 食事中は必ずニュースが流れていたんです。
親父の口癖は、「毎日、新聞くらい読んで、NEWS Cry は見とかないといかん」でした。
今となれば、「世界情勢や社会の事件を知らないからって、どうして豆腐屋が困るのさ」と言えるのですが、ニュースの流れる団らんは、物心がついた頃から宇ノ気にとって当たり前の光景だったのです。
私は、いつのまにか、「新聞を読まない、ニュースを見ないのは恥ずかしいことだ」と、刷り込まれていました。
特に新聞を読んだり、ニュースを見たりするのが「好きなこと」だったわけではなく、勝手に「やらないと恥」という枠組みに入れて、習慣にしていたんですね。
「のぶちゃんの中にどれだけの天国言葉の波動が満ちてきても、憂鬱な出来事、凄惨な事件のニュースが流れると、部屋の波動は地獄言葉にチューニングされちゃうんだよ。
地獄言葉って、『におい』と同じなの。
公衆トイレは、最初は臭いなって思っても、数分で臭いに慣れちゃう。
人間って、置かれた状況に適応しようとするんだよ。
だけど、自分が天国言葉の良い波動で満たされてくると、その不快な匂いにイライラするようになるんだ」
そういえば、一人さんは食事中に絶対、テレビをつけません。
私は新聞やニュースで見聞きする地獄言葉で、天国言葉の良い波動を打ち消して、「嫌な臭いにイライラする」という悪循環に陥っていたわけです。
また、人の地獄言葉が心に刺さるのは、それまで自分が地獄言葉を使って自ら傷つけたためにできた、「心のささくれ」が完全に治っていない証拠でもあります。
心のささくれが治って、天国言葉のいい波動画、ちょっとやそっとでは消えないくらい自分の中に充満すれば、誰かの地獄言葉を聞いても、イライラしなくなるんですね。
ただ、「ああ、言ってるな」と思うだけになります。
もしも、第三者の会話を聞いて、「嫌なことを言うな」と、ものすごく気分を害することがあったら、あなたの心のささくれに響いているというサインです。
これまで以上に天国言葉を自分と人にかけて、心のささくれを治してあげて行ってください。
私は、今では新聞も取っていないし、ニュースも見ません。
でも、困ったことは一つもありません。
無知だと思われたり、人前で格好悪い思いをしたりするんじゃないかと思えば、必ずその通りになります。
もちろん、私と違って「新聞やニュースが大好きだ」という人は、そのままご覧になってください。
明るいニュースだいい情報を多く取り込めば、問題はありません。
心のささくれが治ってくると、ぱっと愛のある言葉が出るようになります。
変な謙遜もしなくなります。
謙遜って、美徳じゃないんです。
例えば、AさんとBさんのこんな会話を見てみましょうか。
Aさん 「素敵なバッグですね」
Bさん 「いえいえ、 安物なのよ」
Aさん 「とってもいい旦那で、羨ましいです」
Bさん 「とんでもない、ちっともたいしたことないわよ」
一見、 B さんが謙虚な人に見えますが、もしもこの返事を、全然関係ない C さんがよくから勝手にしたとしたら、どう感じますか?
ものすごく失礼ですよね。
そういう失礼な言葉を、自分の大切な持ち物や家族に使ってはいけないんです。
褒められたら、「ありがとう」だけで十分なんですね。
それが分かってくると、人に何かを差し上げる時に、「つまらないものですが」と言う常套句ではなく、「お口に合うと嬉しいです。私が、一番好きなお菓子なんです」という言葉が、さらりと出てくるようになります。
「言葉が、現象を連れてくる」
天国言葉と地獄言葉を通じて、そのことが本当によくわかりました。
「好きなこと」を積み重ねると、「自分だけの花」が咲きます
一人さんという人を知れば知るほど、私の中にある思いが募ってきました。
「一人さんになりたい」
スターに憧れる思春期の少年のようですが、私は大真面目でした。
それで、ある時一人さん本人に尋ねてみたんです。
「一人さんみたいになりたいんですけど、どうすればなれますか?」
一人さんは、私の目をじっと見て、「のぶちゃん、ちょっと聞いて」と言いました。
「一人ひとり、自分の花があるから、のぶちゃんは私にはなれないよ。
私だって、のぶちゃんにはなれないの。
一人ひとりが、自分の花を咲かせればいいんだよ。
のぶちゃんはのぶちゃんの花を咲かせれば、のぶちゃんが、私よりずっと幸せになることだってできるんだ」
「では、その花を咲かせるために、私は何をすればいいんですか?」
「今日、何を食べたい?」
唐突な一人さんの質問に面食らいつつ、私は「カレーライス」と答えました。
すると、一人さんは、「私は牛丼が食べたい。ほら、違うだろ。
互いに自分の好きなものを言ったんだよな。
自分の花は、好きなことを積み重ねていくと咲くんだよ」って言うんです。
「そんなことでいいんですか?」
「それが大きな一歩なんだよ。
どんな花が咲くかは、お楽しみだね。
今好きなこと、今好きなもの、それを一つ一つ味っているうちに、ちゃんと自分の花が分かってくるんだ。
今日はカレーライス、明日はそば。
今日はドライブ、明日は読書。
その一歩一歩が、大輪の花に繋がっていくの」
一人さんが話すのを聞いて、私はとっても気持ちが楽になりました。
「好きなことをしていればいいんだ」って、妙に楽になっちゃったんです。
一人さんみたいなすごい人は、きっと私が想像もつかない大きな努力をしたり、犠牲を払ったりしてきたんじゃないかって、どこかで思い込んでいたんですね。
人は一生をかけて、「好きなこと」でつぼみを膨らませ、花を咲かせていきます。
あの日から、私は、ずっと好きなことをして、自分の花を育て続けています。
これは死ぬ瞬間まで続く、とても楽しい修行なんです。
そうは言っても、人は、好きなこと「だけ」をして生きていくことはできません。
以前、講演会に来てくれた若い男性がこんなことをおっしゃいました。
「僕は、好きなことだけをして生きていきたいんです」
だから、ポリシーに反する仕事や人付き合いをしないと言うのです。
一見、かっこいいですよね。
でも、「好きなことしかしない姿勢」のままでは、いずれ、その「好きなこと」も、うまくいかなくなってしまいます。
なぜなら、自分のやりたいことしかしない人は、神様からも、周りの人からも応援されなくなって、自力と他力が尽きてしまうからです。
もっと言うと、「自分が本当に好きなこと」をやるためなら、他の事だって苦痛でなくなってしまうものなんですね。
心から野球が好きで、本気で甲子園を目指している高校球児たちは、「ランニングや基礎運動は嫌だ」なんて言いません。
本当に好きだと思うことに対しては、「好きなことができるのなら、他の事もお安い御用です」と思えるものなんですね。
当時の私が一番好きだったのは、「一人さんに会うこと 」
一人さんに会えるのなら、徹夜明けの仕事も、全8巻の「坂の上の雲」を3回繰り返して読むことも、楽しくて仕方ありませんでした。
そんな「好きなもののためなら、他のことも苦もなくできるようになる」という話を「十夢想家」 でしていた時の事です。
「人って、『揺るぎない愛』のためにがんばるんだよ。
私は昔から女性が大好きで、嫌いになったことがただの一度もない。
これが、『揺るぎない愛』だね」
一人さんがすました顔で言うので、私は吹き出してしまいました。
「女性と美味しいものを食べて、いい車でドライブするためにはお金がいるよね。
だから、仕事をますますがんばれる。
まず、自分の好きなことをするためには何がいる?って考えて、そのために働くおって思ううちに、 だんだんそれがごちゃ混ぜになって言って、仕事や人生まで楽しくなってきちゃうんだね。
そう考えると、一番好きなものって、お金がかかるものがいいだろうな。
男性にとって女性というものは、一番好きで、この世で一番お金がかかるものだろ?
つまりさ、何が言いたいかって言うと、一人さんは好きな物のためにがんばってるんだから、のぶちゃんも一緒にがんばろうねってこと」
一人さんと私の好きなものはそれぞれで、嫌いなものもそれぞれだけれど、だからこそ、一人さんに褒めてもらえるような「自分の花」を咲かせることができるんだと、私は深く納得できました。
「人は人、自分は自分」
これがわからないと、自分の花は咲きません。
この言葉だけをパッと見ると、時に冷たく感じることもあります。
その理由は、子供の頃、おねだりを却下するお母さんから言われた「うちはうち、よそはよそ」という言葉の悲しい記憶が残っているからかもしれません。
でも、実は少しも冷たくないんです。
全て人の個性を認めて、自分の個性を押し付けないための言葉なんですよね。
私の願いは、「一人さんになりたい」から、「一人さんみたいに、幸せになりたい」に変化しました。
「好きなことをやればいいんだよ。
苦手なことは、やっちゃだめだよ」
「人には、自分だけの成功の花が咲く」
そう話してくれた時、一人さんが同時に教えてくれたことがあります。
「のぶちゃん、好きなことをやればいいんだよ。
苦手なことをやっちゃだめだよ」
苦手なことを克服するのが大人じゃないの?って思ったのを覚えています。
でも、一人さんは、「たとえ学校の勉強で、国語、数学、理科、社会があるだろ? 好きなのが国語なら、国語を伸ばすんだよ」と言うのです。
「苦手な数学や理科をやると、国語の成績も下がっちゃう。
ここを勘違いしちゃだめ。
そのうちに国語の能力がうんと伸びてきたら、違う教材もできるようになる。
だから、まずは好きな部分、得意な部分を伸ばすんだよ。
必要になれば、他の事も必ずやるんだから」
最初から、苦手な事に取り組もうとすると、嫌々、やることになります。
すると、いくらやってもうまくはいきません。
得意な人にはかないませんから、自信をなくして、自分の花は萎れていきます。
だから、時には「できないことは、できない」と、認めることも大事です。
そして、自分が情熱を持てる好きなことに時間と力を使うと、不思議なことに苦手なものが減っていくんです。
私は、一人さんと一緒にいたい一心で苦手な本に挑戦したら、いつのまにか夢中になって、今では読書が趣味の一つになりました。
「好き」を入り口にすると、熱中できるものが増えていくんですね。
続けて、一人さんはこう言いました。
「困ったなぁ、苦手だなぁ、って思う時は、神様が『そのやり方は、間違っていますよ』って教えてくれてるんだよ。
神様はね、私たちを絶対に困らせたりはしないの。
だから、困ったように感じる出来事は、『違う考え方があるよ』って私たちに教えるために神様が用意したプレゼントなんだよ」
確かに、「好き」を出発点にすると、困ったことは起こりません。
はじめてのものに出会ったら、「どこが好き?」って考えてみると、頭が好きな理由を考え始めます。
例えば、あなたが人に何かを差し出して、「これの、どこが嫌い?」って聞くと、相手は嫌いな理由は積極的に答えるでしょう。
これは、大人でも子供でも一緒です。
試しに、子供に「学校のどこが嫌い?」って聞いてみると、「給食に、時々苦手なメニューが出る」「毎朝、ジョギングがあって疲れちゃう」「掃除当番が面倒なんだよね」とか、色々なことを言います。
反対に、「学校のどこが好き?」って尋ねると、「友達がたくさんいる」「先生がいろんなことを教えてくれるよ」「校庭でするドッジボールが面白いんだ」って、ちゃんと好きなことを言うんですね。
だから、まずは「好きなところ」を探す癖をつけてみるといいかもしれません。
「好き嫌いは、素直に、シンプルに考えな」
一人さんが、こう教えてくれたのですが、自分が何が好きで、何が嫌いかわからない人も、初めは小さいことから積み重ねていくと、よくわかるようになります。
私は、夕飯のメニューを決める時に、よく一人問答しました。
「今晩、何が食べたいですか? カレーライスですか」
「カレーを食べるなら、どこのお店に行きたいですか?
それともテイクアウトしますか?
自分で作って、家でのんびり食べますか?
ああ、今日はインド料理屋さんに行きたいですね」
こんな風に、心の中で自分と会話をしてみるんです。
「そんなことでいいの?」って、一人さんから聞きたいとは思ったのですが、「カレーライス」「インド料理」って、自分の中から「今の大好き」が見つかると、大輪の成功の花が開いて行きます。
「成功に到達した人が成功者じゃないんだよ。
成功の花を咲かせようって、歩き出した人が成功者になるんだから、一歩でも歩き出したら、その人は成功者だよ」
一人さんの言葉に励まされて、私は自分の中にある「シンプルな好き嫌い」を見つけるのが、上手になっていきました。
こうして、「好きなことを進んでやる癖」もついてきました。
それに連れて、人が好きなものに対しても、「ああ、いいですね。素敵ですね」って自然に言えるようになって言ったんです。
追伸 「向いていない」はやりたくないだけ
「この仕事は向いていない。
自分に向いているのは、もっと他の仕事なんだ」
希望する部署に回されなかった時など、こういう人がいます。
でも、これはその仕事がやりたくないだけ。
その証拠に、こう言っている人が、一心不乱に仕事をしている姿を見たことがありません。
もっと向いている部署があると思うなら、今の部署で一生懸命仕事をすることです。
他の部署に行ったら力を発揮するなんて言っても、信用してもらえません。
今の部署で結果を出してこそ、希望は叶えられます。
一生懸命仕事をすれば、今の仕事も向いてくるかもしれませんよ。
営業は人間を練る最高の部署
営業が苦手だと言う人がいます。
でも、営業は修行のためには最高の部署。
あなたのところに来る営業マンが暗い顔で、愚痴を言っていたらどうでしょう?
その営業マンから買う気にならないでしょう?
反対に、いつもニコニコして感じが良かったら、買いたくなるでしょう。
つまり、営業マンはいつも笑顔で天国言葉を使っていないと務まらないのです。
伝票が回ってきたら「ありがとうございます!」
もちろん、営業以外の部署でも修行のチャンスはいっぱい。
経理だったら、営業から伝票が回ってきたら、
「ありがとうございます! いつも〇〇さんが注文を取ってきてくれるからやりがいがあります!」
これで営業マンはますます張り切ります。
終業時刻が来たからって、
「もう時間ですから、明日にして」なんてとんでもない話。
営業マンと一緒にがんばろうと思ってこそ、同じ会社の仲間といえるのです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
お世話になっております。
Youtubeのチャンネル登録よろしくお願いします。
我が儘勝手で申し開きもございません。
上記の赤色のボタンを押してくださいね。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。