神がかりって、どういうものか知ってるかい?
その時、その場の最善に挑む
俺たち人間は、本来、明るくて建設的で、最善を求める生き物なんだよね。
だけど、最善というのは、一個ではない、いくつもあるの。
一時期、「これこそが最善だ」と思うものが出てくるの。
だけど、しばらく経つと、その最善を上回る、もっと、素晴らしいものを誰かが考え出す。
だから人は、もっと上、もっと上に、って挑戦し続けるんだよな。
挑戦するためには、同じ手を使って挑戦するんじゃだめなんだよ。
次の手で挑戦するんだよ。
次の手を出すためには、知恵がいるよ。
だけど、挑戦するのには、勇気がいる。
勇気は欲から出るんだよ。
挑戦するためには欲がいるんだって。
だから、何かに挑戦しようと思ったら、いい女を俺の彼女にするんだ、洋服を買うんだ、マイホームを持ちたいんだ、その「正当な欲」が必要なんだよ。
欲のないやつに勇気なんか、絶対出ないんだよ。
人間って、神様がそういうシステムで創ってくれてるの。
一人さんが言ってることが正しいか、「欲を捨てなさい」という精神論者が正しいのか、実際に行って確かめてみようと、俺は言ってるの。
ちなみに、俺は不況が来ても、何も怖くない、何が来てもいいの。
だって、神様は絶対、俺を守る。
なぜなら、俺はみんなに山ほど幸せになってもらいたい、成功させたくて言ってるんだよ。
しかも、俺は自分で仕事して稼いで、税金もちゃんと納めて、喋ってるんだよな。
わかるかい?
精神論者は、自分で稼げないから、みんなからお金をもらってる。
もっと言うと、「欲を捨てろ」とか、言った通りにやると失敗しちゃうから、「何にもやるな、やるな」なんだよ。
だから、日本の精神論は、失敗論なんだよ。
やる前から失敗論んなんだよ。
行動の星で、行動しなかったら、全部失敗。
OKですか?
みんな、せっかく勉強してるんだから、挑戦しよう。
挑戦してな、一番最初に手に入れたお金で、フリースのジャケット買ったってね、ミンクのコートより、あったかいんだよ。
そしたら、また次に挑戦して、またもう一つ上に挑戦して。
そんなふうに生きて、魂の故郷へ帰った時、「めちゃくちゃ楽しく生きてきました!」って、神様にご報告できる。
その、挑戦することが、自分のためにも乗って、みんなのためにもなる、としたら、一番嬉しいな。
だから、お互いが幸せになることに挑戦する、相手のためになり、自分のためになることに挑戦し続ける人に、神様は絶対味方するんだよね。
キリストだって、「世界を愛で包みたい」という大欲を持ってたんだよ。
釈迦が厳しい修行を成し遂げられたのも、「人を苦から救いたい」という欲があったから。
だから、行動の前には必ず欲があるんだよ。
僕は欲がないんですっていうやつは、絶対行動しないから、見ててみな。
行動の星で、行動してないこと自体が失敗なの。
運動会に出なかったから、かけっこだろうが、なんだろうが、最初から負けだ。
どんなゲームだって、やらなかったら絶対勝てないよ。
だから、なんでもいいから正しい欲を持って、挑戦してな。
いいかい、行動は、勇気がなきゃできないの。
勇気は、欲がなきゃ、出ないんだよ。
知識はガソリンと同じだからな、走らないやつがガソリンをいくら入れたって、人生何にも変わんないよ。
本当の「神頼み」「神がかり」
いろんなことに挑戦しだすと、色々なことが起きるな。
だから人は挑戦するのが、怖いんだよ。
不安なの。
だから、挑戦して初めて、神頼みがいるんだよ。
挑戦しない奴が神頼みをする必要なんか、あるのかね。
いい大学に入りたいとか、良い高校に入りたいとか、そういう時に、お参りに行くじゃないか。
だけど、落っこちたからって、その人の人生に劇的な変化をもたらすことはないんだよな。
本当言うとな。
いや、落っこちた本人は落ち込んだりすることもあるとは思うよ。
だけど、志望校に受からなかったことで、食い扶持がなくなるとか、家がなくなるとか、自分が生きていくところがなくなるとか、そういうことはないんだよ。
だけど、自分ができなかったことに挑戦したり、仕事の朝鮮とかって、大変なんだよ。
だから、神頼みだろうが、なんだろうが、何だってしたくなるもんなの。
あ、言っとくけど、神頼みと言ったって、神様にだけ、頼ってんじゃないんだよ、自分でもいろんな努力してるの。
そうやって、挑戦し続けるとね。
もっとこうしよう、次はああすればもっと良くなるんじゃないかって。
それがワクワクして、楽しいんだよな。
だから、挑戦を一生懸命しだすと、いろんなことがしたくなって、人生がますます面白くなっていくよな。
そこがまた、挑戦のいいところだな。
あ、そうだ、神がかりって、どういうものか知ってるかい?
自分ひとりぼっちだと、人間って弱いんだよ。
だけど、「仲間がいる!」と思うと強いんだよ。
それと、「自分には神がついてる!」と思う。
そしたら、力が湧いてきて、くじけなくなってくる。
これが神がかりなんだよ。
自分一人ではうまくいかないことでも、神と一緒ならできる気がする。
それって人生にとってでかいんだよ。
俺は、人を味方にしたいし、神も味方にしたいし、一人さんに触れるものは、皆、味方にしたいな。
それが一番、いい生き方だと、俺は信じてる。
すべての良きものを味方につける生き方
みなさんが一人さんに会った時、味方したくなっちゃうような生き方。
それって、あった人だけが得するようなもんじゃないよ。
一人さんもハッピーで、会った人も幸せになっちゃう、そんな生き方だよね。
人に嫌味を言ったり、憎まれ口を叩いていたら、味方になってくれる人はいないよ。
だけど、あなたがなめられてたり、みんなの犠牲になるような生き方をしてたら、誰か喜ぶ人でもいるんだろうか。
一人さんの場合、仲間がそんな風に生きてたら、俺は黙ってられない性質なんだよ、全然嫌なの。
神もそうだよ、きっと喜ばない。
喜ばなかったら、「この人の味方をしよう」とは思えないよ。
だから、神までもが味方したくなるような人になるんだって、言った時、神が「この人だ」と思ってくれるような生き方をすることだよな。
そういう生き方って、なんだろう。
答えは一個だけじゃない。
人間って、それぞれ解釈の違いがあるんだよ。
わかるかな?
俺は、自由で、楽しくて、人に愛されて、というのが、最高の生き方だと思ってる。
神が味方する生き方は、キリストみたいな生き方だと思ってる人もいて、それはそれで正しいの。
だけど俺は俺が正しいと思ってるんだよ。
そして、女は女で幸せになり、男は男で幸せになり。
俺は相当言いたいこと、言ってるけど、一人さんの話が大好きだっていう人がいるんだよな。
全員から好かれようと思って、言いたいことの8割も言わない人、いっぱいいるけど、だからって、俺より好かれてるわけじゃないよな。
じゃ、言いたいことを言えば好かれるんですか? って。
言いたいことを言って嫌われる人、いっぱいいるよな。
簡単に言うと、人間って、自分の地を出して、好かれる人間になることだよな。
地を出して嫌われるんだったら、そろそろ自分の変え時だよな。
地をだして好かれる人間になるために、俺たちは生まれてきてるんだよ。
今日も明日も、俺も地を出して一生懸命、しゃべっても、やっぱし、「一人さんの話、聞きたい」って言われるようになることが、俺の目標で。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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「波乱万丈、どんとこい!」
そんな風に思えるようになったら、もう大丈夫。
不思議なことに、「備え」のあるところに、トラブルは起きません。
神様は、対処の仕方がちゃんとわかっている人のところに、トラブルは起こさないものなのです。
「みんなから好かれなくてもいい!」「波乱が起きても大丈夫!」
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