もっと自分を愛します。
そのままの自分を許します。
言ったらどうなりますか?って。
それは、やってからの「お楽しみ」
あなたは何に縛られていますか?
男という生き物は、綺麗な女性を見かけると嬉しくなって、目が勝手に追いかけます。
ミニスカートを履いている女性がいたら、気になって気になって仕方がない。
もちろん、私だって気になりますよ。
そんなのは当たり前です。
また、私は仕事が大好きなのですが、たまに「やめちゃおうかな」と思ったりすることがあります。
でも、そんなことを思ったからといって、私は自分のことをさばいたりはしません。
むしろ、「思うだけなんだから、いいじゃない?」と思っています。
「今朝は二日酔いで、頭がガンガンするし、吐き気もある。会社へ行く気になれないな。休みたいな」
などと心の中でブスブス言いながら、会社に行く。
その時に、
「いつも明るく前向きでいられない自分が、まだいるんです」
と自分を責める人がいるんだけれど、私だったらしらふでも毎日会社に通えるどうか怪しいところなので。
ですから、ブスブス言いながらでも会社に行く人を見ていると、頭が下がります。
「がんばってるな。えらいな」と心から拍手を送りたい。
でもね。
一番、あなたの人生に効くのは、あなた自身が自分に「偉いね、がんばってるね」と言ってあげることなのです。
「がんばってるね」という言葉を言うのに、何かの目標をクリアしていかなくちゃ言っちゃダメ、とか。
そんな固いことは言わないで、自分の好きな時に心の中で「がんばってるね」と言った方がいい。
そうすると、何かが変わるから。
不届き不埒が「ちょうどいい」
人間なんて、土台、立派にはできていません。
不届き不埒なことも考えちゃうことだって、あるんです。
でも、たいがいの人は考えるだけで、実際はやらないでしょう。
思いとどまる勇気と理性というものがあるから、やらないのです。
それでもう十分、あなたは立派です。
それを、「不届き不埒なことを思うだけでもダメ」ということになったら、あまりにも自由がなさすぎます。
あなたは自分に優しく、もう少しゆるく生きるつもりになったら、ちょうどいいのです。
「もっと自分を許します」と言ってみるといいですよ。
心の奥に鬱積した「よどみ」
今から私がお話しすることは、ほとんどの人にとって、信じられないような話でしょう。
それでも私は、お話ししようと決めました。
それは、もっと幸せで豊かな人生を送りたいと願う皆さんのお役に立てるはずと、私は信じているからです。
人というのは、過去の、膨大な記憶を持っています。
その膨大な記憶の中に、「怒り」や「恨み・憎しみ」「許せない」という思いを過去にした記憶「負の遺産」のようなものがあるのです。
聞いたところによると、ほとんどの人が大なり小なり、「恨み」「許せない」という負の遺産を持っているのだそうです。
皆さんの中には、「私はずっと幸せに生きてきました」とおっしゃる方もいるでしょう。
そういう人でも、潜在意識に問いただすと「負の遺産」があると、答えるそうです。
親が許せないとか、学校の先生が許せないとか、色々「許せない」ことがあるようです。
例えば、意外と女性で多いのは、子供の頃に「男の子が欲しかったのに、あなたが生まれた」というようなことを親や祖父母から言われた、というケース。
あるいは、弟や妹が生まれた途端、親は、そっちの方ばかり可愛がって自分は寂しかった、とか。
兄妹姉妹が体の具合が悪く、唯一、元気だった自分はずっと兄妹姉妹がサポートしたり、家の手伝いをさせられてきた、とか。
それから、家計が苦しくて行きたい学校に行けなかった、お古ばっかり着せられていた、クラス自分だけが修学旅行に行けなかったとか。
いろんな「許せないもの」「怒り」「恨み・憎しみ」の記憶を人は持っています。
たとえ、一個一個の出来事は些細なものであっても、それが積み重なって、心の奥に鬱積して「よどみ」のようなものになっているのです。
本来、人の心は水晶の輝きなのに、鬱積した「よどみ」に覆われ、本来の自分の輝きが封印された状態になってしまっています。
車に例えると、フロントガラスが汚れて前がよく見えない状態で走っているようなものです。
汚れによって、目の前の景色をありのままに見ることができません。
そのままでは、ガードレールや電信柱にぶつかるかもしれません。
汚れがひどくなってくると大事故が起きかねない、だから。
「もっと自分を許します」
「もっと、そのままの自分を愛します」
この言葉を言ってください。
あなたが、あなた自身に言うのです。
「消そう」とするより「自分を許します」
「怒り」「恨み・憎しみ」「許せない」というマイナスの想いを「消そう」「消そう」とすることは、私はお勧めできません。
なぜなら、「消そう」「消そう」とすると、心が逆に、そのマイナスの思いをぎゅっと掴んでしまうからです。
手放したいのに手放せないことになってしまいます。
それよりも、私は、あの二つの言葉を、ただひたすら言うほうがいい。
気持ちが波立っている時は落ち着くまで、
「もっと自分を愛します」
「そのままの自分を許します」
この言葉を何度も何度も繰り返し言うのです。
「許す」の語源は「ゆるます」です。
「そのままの自分を許します」と言っていると、自分の心が負の遺産をぎゅっと掴んで離さないでいたのが、ふぁっと解けて手放して、だんだんと、心の中がスッキリ片付いて行きます。
また「もっと自分を愛します」という言霊は、言っているうちにだんだん、何とも言えない気持ちになってきます。
自分が何をしようと、人に優しくできない自分がいたとしても、見捨てずに愛してくれる存在を感じる人もいます。
ただし、感じ方は人によって様々ですので、試してみたほうがいいと思います。
楽しいですよ。
ゆるしの魔法
「親の事が許せない」「あの人の事が許せない」「この人、むかつく!!」と言ったり、思ったりしているとだんだん辛くなってきて、精神的なことを勉強する人が多いと思います。
精神的なことを勉強する、それ自体を非常に良いことなのです。
ところが、いろいろ本を読んだりしても、大体、隣人を愛せよ的なことが書いてあるんですよね。
それができなくて、もがいている人がそういう本を読むと、その精神論を使って自分を責める。
精神的な勉強をしているのに、なぜ自分は許せないんだろうと苦しむのは、許す順番を間違えているからです。
他人のことを「許せない」と言っている人が、一番許せないのは誰だと思いますか?
実は自分なんです。
他人を許していない自分のことが、その人より、もっと許せないの。
だから、「もっと自分を許します」と言ってください。
この世の中には「類は友を呼ぶ」という法則があります。
「私は自分を許せないんです」と言っている人の周りには、大概、「あの人きらい、この人のこういうところも許せないわ」という人、会社で他人の事を怒鳴りつけてばかりいる人、要は、許せないもの同士が集まっているのです。
でも、「もっと自分を許します」というようになってくると、面白いことに、自分を許せる人が集まるようになってきます。
心の中で誰かを責める声、誰かを非難している自分を責める声がしていても構いません。
そのまま自分に「もっと自分を愛します」と言いましょう。
そして、「そのままの自分を許します」と言いましょう。
言っているうちに、少しずつ、少しずつ、鬱積した「よどみ」のようなものが溶けて、やがて心は輝きを取り戻します。
そのままの自分を心から許し、愛するようになります。
目の前の人のことも許し、心から愛せるようになっていきます。
ですが、今はただ、ひたすら言ってください。
「もっと自分を愛します」
「そのままの自分を許します」と。
それが最高の答え
例えば、あなたは「あの時、あれをすればよかった・・・」と後悔の念に苛まれることがありませんか?
そうやって、やろうとしなかったことを悔やみ、さらにまた自分を責めるけれど、後悔のない人間はいません。
本当です。
実は、一人さんも、後悔していることがあります。
ただし、一人さんは「後悔の深み」に足を取られることはありません。
それには、ちゃんとした理由があります。
人間の脳は、どんな問題にも、その時、その時の「最高の答え」しか出せないようにできているということを、私は子供の頃から知っていました。
だから「後悔の深み」にはまらないのだと思います。
最高の答えしか出さないのは、一人さんだからですよね。
いいえ、本当はあなたも、そうなのです。
納得しようが、しまいが、あなたは、その時の一番いい知恵を出し、そして、精一杯の事をしました。
あなたは一生懸命、生きていたのです。
「でも、あの時、もうちょっと他にやりようがあったのでは・・・・」
いいえ、あの時は、それが最高で、それ以上の事は出来なかったのです。
そのことを、あなたがどんなに悔やんでも、あなたにとっても、周りの人にとっても、いいことはひとつもありません。
それよりも、いま自分が幸せになることに意識を集中して、今の自分が最優先でやるべきことをやるのです。
今、あなたが最優先でやるべきことは、「その時は一生懸命だったけれど、それ以上のことができなかった自分」を許すことなのです。
ですから、自分に言ってあげてください。
「もっと自分を愛します」
「そのままの自分を許します」
心の中で何を思っていても構いませんから、言ってください。
ただ、ひたすら言ってください。
そして、今の自分が持っているもの、全てを使い、今、ここで楽しく幸せに過ごすことに全力を傾けてみてください。
あなたは、全力で、今を楽しく幸せに生きるのです。
追伸 神様は俺たちに「恋する楽しみ」を公平にくれた
突然ですが、あなたは、今「恋」していますか?
ちなみに、ひとりさんは、いつでも、どんな時でも恋をしています。
私の最近のモットーは、「大恋愛より、大不倫」
「芸能人と不倫できるとしたら、誰を選ぼうかな?」と考えていると、なんだかどんどん元気になってくる。
「不届き不埒なこと」を考えていた方が、体の調子がなぜかいいんです。
「恋をするといいよ」って皆に言ったら、中にはこんなことを言う人がいるんですね。
「では、私、もう一度夫に恋します」
あのね、自分も人も、盛り上がるようなことを言うのは、やめましょう。
恋をすると、何とも言えない幸せな気持ちになりますね。
毎日が新鮮で楽しみな気持ち。
「もっとかっこよくなりたい」とか「もっとオシャレになりたい」とか、ワクワクしてきます。
そう、「上気元」になれるんですね。
恋って、神様がくれた、最高の贈り物です。
平安時代に貴族の間で「和歌」を詠むのが流行ったんだけど、その多くは「恋の歌」でした。
平安時代の貴族は、他にも色々遊ぶことがあったけど、それでも最高の楽しみって、「恋をすること」だったんです。
ところが、昔の貴族でなくても、「恋をすること」はできる。
たとえ字が書けない人だって、お金がない人だって、「恋」ってできるんです。
神様は俺たちに平等に、「恋する楽しみ」をくれているの。
たとえ片思いであったとしても、恋することって、楽しいよね。
では、最後に私が作った「恋の詩」を紹介します。
「今日は君に恋をした。
明日は多分君に恋する」(ひとり)
いかがですか、なかなかの名作でしょう?
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
お世話になっております。
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