自分の仕事がどうやって回っているのか。
上に立つ人間であればあるほど、ちゃんと考えなよ。
- 努力家で才能のある人がを犯す過ち
- 欲を燃やした方が世間のためになる
- 楽しみがない人は、酸っぱいレモン汁を飲んでいるようなもの
- 今を楽しみ、老後もさらに楽しむ
- 平均台の上から降りてみる
- 追伸 「よくなる」前提で生きると本当に良くなる
努力家で才能のある人がを犯す過ち
努力家で才能のある人は、同じように努力家で才能のある人を好みます。
そして、才能もなくて努力もしない人を見ると腹をたてるんです。
そういう人って、他人も自分と同じだと考える傾向があります。
他人の行動が自分と同じぐらいにできないと、特に我慢できなくなる人が多いんだよね。
だから、ついつい「なぜ、言ったことができないの?」とか「なぜ、そんなことができないの?」と言ってしまうんです。
リーダーや上に立つ人には、必ずそれを支える人がいます。
決して一人だけでやっているわけではないんだよね。
誰かを支えている人って、例えるならやぐらの土台みたいなもの。
注目されるのは乗っている人だけど、支える人がいるからこそ、安全が保障されています。
だから、上の人が下の人の悪口を言ったり、欠点ばかりを指摘したりしていると、その人たちが逃げて行ってしまって土台がなくなり、悪口を言った人はやぐらの高い所から落ちてしまうことになるでしょう。
カリスマ美容師みたいな人も、才能があって、努力もしたんです。
だから、それが当たり前だと思ってしまいます。
すると、それが出来ない人に怒ったり、腹を立てたりしてしまうんです。
でも、そんなことを続けていると、ある日お店に行ったら「誰もいなくなってた」ということになってしまいますよ。
美容室って予約を取ってくれる人がいて、髪の毛を洗ってくれる人がいて、片付けたりしてくれる人がいるからこそ、、いろんなことが仕事として回って行くんだよ。
上ばっかり見ていると、そんな簡単な事が分からなくなるからね。
だから、「給料を払ってるんだから当たり前」とか「こんなことぐらい、言わなくてもやれて当たり前」じゃなくて、「ご苦労様」とか「ありがとうね」とか「偉いね」って言って感謝をするの。
そうすると働いている人も「あのカリスマ美容師がこんな私にも感謝してくれた」って喜んでくれるんです。
どんな人でも自分のことを尊重されないと腹を立てます。
そして、尊重されると誰だって嬉しいんです。
欲を燃やした方が世間のためになる
「辛いことや苦しいことを乗り越えた先に幸せがある」
「嫌なことでも、がんばれば、幸せがやってくる」
これって、日本がまだ貧しかった時代に使われていた言葉なんだよね。
昔は日本全体が貧しかったから、誰もが裕福になれるわけではありませんでした。
だから、色んな事を我慢させるために、そういったんです。
でも今の世の中すごく豊かになって、特に辛いことや苦しいことを乗り越えなくても、誰もが幸せになれる時代になりました。
昔は職業も選べませんでしたし、欲しいものが何でも手に入るのは殿様ぐらいでしたが、今は仕事も選ぶことが出来ますし、お金を貯めれば何でも買うことができますよね。
だから仕事は「食べていくため」だけのものじゃなくて、「車が欲しい」とか、「家が欲しい」とか、「自分はこうなりたい」と言った、あなたの欲望を達成させるための手段なんだよ。
織田信長だろうが徳川家康だろうが秦の始皇帝だろうが、どれだけ「世のため、人のため」って言っても、本音は自分の欲望を達成するためにやっていたんです。
この世の中は「私利私欲」で働いてもうまく行くようになってるの。
たくさんもう買ったらたくさんの税金を払って、それが結果的に「世のため、人のため」になります。
ルール違反さえしなければだけどね。
「週に1回、釣りに行くのが楽しみで」とか「仕事が終わったらいっぱいやる」のが楽しみでっていうのも、それはそれなりの欲望です。
それが原動力となって願望が達成されて行ったんだよ。
それに、人は欲望を追っかけていった方が病気をしないの。
会社に行くし、やめたくならない。
そういう欲望のない人の方が辞めたくなるんです。
釣りが好きな人って、「仕事に行かないで、ずっと釣りをしていたいな」って思うけど、現実にはそれはできないから、会社に行って、それで自分の休みの時間を使って釣りに行きます。
釣りと同じくらい仕事も精一杯打ち込めば、その仕事で必ず誰かの役に立つんです。
問題なのは、そういう釣りと趣味すらない人なんだよね。
だから、もっと積極的に楽しみを見つけて、欲も燃やした方が自分のためになるし、それがひいては世間のためになるんです。
楽しみがない人は、酸っぱいレモン汁を飲んでいるようなもの
「大丈夫なんだ」ということが分かって受け止めることができると、いきなり自分の才能に気づく人が出てきます。
そうすると、その活かし方も分かって可能性もグンと広がり、人生がもっとキラキラと輝き出すんです。
自信が持てたら、後は、なんでもいいから「自分のやりたいこと」とか「自分の好きなこと」など、楽しいことをいっぱい考えて、それを実現させる方法を実行するんです。
この「自分のやりたいこと」や「自分の好きなこと」をするのって、例えるならレモン汁に砂糖を入れるようなもの。
すっぱいレモン汁はそのままでは飲めないけれど、水や炭酸で割ってそこに砂糖を入れたら美味しいレモンジュースができるよね。
それと同じで、人生も、何か楽しみを見つけると仕事でも趣味でも「がんばろう」って思えるようになります。
仕事が大変でも、休みの日に楽しみが待っていたら、その大変さが軽減されるんだよね。
自分が「楽しい」って思えればいいんです。
おしゃれをしたい人なら服代、旅行に行きたい人なら旅行代がかかります。
絵を描くのが好きな人なら、描くのはタダでも画材が必要です。
素敵な服を買うためなら、年に一回ハワイに行くためなら、週に一回、絵を描くためなら、辛い仕事もがんばれるんです。
働くのって、結局は自分の欲望を満足させるための手段なんだよね。
「月に1万円のお小遣いの中で、毎日一杯飲むのが楽しみなんだ」っていう人は、その楽しみのために仕事をがんばれます。
これが逆に「仕事をがんばるために、いっぱい飲んで気晴らしをしている」って言うと、全く話は違ってくるよね。
おしゃれをするために仕事をしている。
旅行に行くために仕事をしている。
一杯飲むために仕事をしている。
絵を描くために仕事をしている。
そうすると、仕事も「楽しみの一環」になるんです。
楽しいことが人生にない人は「すっぱい、すっぱい」って言いながらレモン汁を飲んでいるようなものなんです。
今を楽しみ、老後もさらに楽しむ
なぜか人生がうまくいかない人の中には、休むことや遊ぶことに罪悪感を持っている人がいます。
そういう人は、楽しむことが悪いことだと思っているんです。
確かに昔は「勤勉さ」や「寝る間も惜しんで仕事をする」ことが美徳とされていました。
でも時代は変わりました。
江戸から京都までの東海道五十三次を2週間かけて歩いていた時の江戸時代の常識と、東京から大阪を2時間発の新幹線で行ける現代の常識とでは違います。
昔は「人生五十年」って言われていましたが、今は七十歳、八十歳はざらなんです。
それこそ、昔と比べれば倍の年月を生きる人はたくさんいるよね。
そうなると、昔なら「この人生も終わりかな」っていう時に、今なら「これからまた、もうもう一生分をきられる」って事になるの。
夫婦でも、昔と変わらない同じ考えだと飽きちゃって、関係に退屈さを感じてしまいます。
それと仕事もそうだけど、遊びも急には遊べません。
筋肉と同じで、使わないと衰えるんです。
中には、会社を定年退職して「時間ができたから、さあ、遊びなさい」となっても、何をどう遊んでいいかさえ分からない人もいるよね。
だからこれからの時代は今を楽しんで、老後も更に楽しむぐらいなことを考えていないと駄目な時代なんだよね。
平均台の上から降りてみる
私たちって、「平均台の上を歩かないといけない」と勝手に思い込んでいるみたいなものです。
だから不安定ですし、「落ちたらどうしよう」と心配になります。
でも平均台から降りても問題なんてありませんし、逆にその方が安定していて、安心です。
そこには、いろんな道が広がっていて、たくさんの選択肢がある。
決して「これじゃないとダメ」ということはありません。
自分が決めた道を行くと、そこに自分の新しい道が拓けるんです。
そしてその後ろにも道ができています。
誰かが通った道を行くのもいいけれど、実は誰もいない道を行った方が競争がないから楽なんだよ。
一見、たくさんの人がいる道の方が正しいように思うけど、人にはそれぞれ、進むべき道というものがあります。
自分が「この道を行きたい」と心から思ってワクワクするのなら、たとえ茨の道であっても、その人にとっては薔薇色の道なんだよね。
逆に自分がこの道を通ってよかったからといって、その道を子供や他人に強制するのは良くありません。
とにかく親に言われたり、先生や周りに言われて、知らず知らずに身に付いた思い込みを一度捨ててみてってください。
そうすれば身も心も軽くなり、目の前に素晴らしい可能性が広がっていることに気づけるのです。
ゆらゆら危なっかしく平均台の上を歩くより、思いっきり降りてみな。
視界がパッと広がるからね。
追伸 「よくなる」前提で生きると本当に良くなる
本当は人生に困ったことは起きないんです。
だって自分の人生は自分の責任で決めているんだから、自分でも処理できないような困ったことなんて起こるはずがない。
その人様に乗り越えられない「困ったこと」を神様は与えないんですよ。
でも親は子供に平均台の上を歩かせて、
「ここから落ちたら、大変だよ」
と言って脅します。
「テストでちゃんと点が取れないと、いい学校に行けないよ」
「いい学校に行けないと、いい職業に就けないよ」
「いい職業に就けないと、貧乏になるよ」
そうやって狭い平均台の上を歩かせようとする。
じゃあ、平均台の上から落ちたらどうなるんですか?
落ちたら、広い大地があるだけです。
何も大変なんてことなんてない。
私は子供の頃からそれを知っていたので、親がなんと言おうが、先生がなんと言おうが、
「高校なんか行かない。中学だけでいいんだ」
と言い張りました。
最後は知り合いの銀行の人まで出てきて、
「高校ぐらいは出ておかないと」
と説得されましたが、私は言うことを聞きませんでした。
そして平均台から飛び降りて、自分の大地を歩いていたら、会社を持って、納税額日本一になって、今、楽しくて、幸せです。
世の中は生成発展するようにできているんです。
その流れに素直に乗っていればいい。
今の世の中は江戸時代に戻りません。
生成発展しているんですから。
100年前もはもっとひどかった。
200年前はそれよりもひどかった。
時代は戻りません。
世の中をよくなるようにできているんです。
私の人生も、あなたの人生も良くなるようにできている。
「良くなる」と思い込んでいれば、別に何の問題も起きません。
「良くなる」と思っているから、よくなるように生きるし、よくなる道も見えてきます。
でも「よくならない」と思っている人は、「良くならなかったらどうしよう」と思うので、足がすくんで行動できません。
行動できないから、変われない。
変われないから、運勢が悪くなる。
「よくなる」前提で生きるのか、「良くならない」前提で動くのか。
決定的な違いですね。
ちょうど東京駅を目指している時に上り電車に乗っているのか、下り電車に乗っているのかと同じです。
世の中が生成発展すると思っている人は、上り電車に乗っています。
私の生活圏は総武線の新小岩というところにありますが、上り電車に乗ると、何もしなくても、新小岩、平井、亀戸、錦糸町・・・・・と東京駅に近づいていきます。
でも下り電車に乗ってしまうと、どんどん東京駅から離れてしまいます。
どっちの電車に乗りたいのか、どっちを信じるかなんです。
もちろんこれからだって、地震は来るし、台風も襲います。
だけど、昔は地震が来ても放っておかれた。
今は仮設住宅を作ってくれます。
年金が安いと言ったって、昔は年金なんてなかった。
ほら、やっぱり良くなっているでしょ?
「このままいくと、駄目になっちゃう」じゃなくて、「もっとよくなる」なんです。
それを信じるか信じないかだけ。
上り電車に乗るか下り電車に乗るかだけの話です。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お世話になっております。
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我が儘勝手で申し開きも御座いません。
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