旧約聖書に「海割れの奇跡」という話があって。
モーゼという人がユダヤの民を連れて逃げたら、海が割れたとかって話なんだけど。
俺たちの前では、海は割れないよ。
お客さんからもらった感動の言葉
「あなたがいるから、また来るよ」
K・Kさん
私が働いている社員食堂では、コーヒーやお菓子などの販売もしているのですが、今年5月頃から、同じ建物の一階にコンビニができる、という噂がありまして。
上の者から「勤務時間を6時間から4時間に減らしたい」と言われました。
そうなると、お給料も減っちゃって、稼ぎにならない。
もう、気分が重くて重くて。
5月、6月は、夜も眠れませんでした。
そして、7月の初め,
また突然、上の者に呼ばれて、「いろいろ検討した結果、とりあえず、今の時間でやってみようよ」と言われたんです。
少しほっとしたものの、コンビニの開店準備が着々と進んでいるのを見ると、
「コンビニがオープンしたら、社員食堂のお客さん減っちゃうし、勤務時間もやっぱり減っちゃうのかな」
と思って、気持ちはずっと重かったのですが、3、4日前に、また一人さんファンの集まるお店に行ったら、「私は愛と光と忍耐です」を1日100回以上言う、というテーマをもらいまして、やったんです。
そしたら、8月1日からコンビニがオープンしたのですが、毎日あの言葉を一生懸命言っていると、気持ちが軽くて明るいんです。
どうしてなのかはわからないのですが、なんか気持ちが、ふわっとしてる。
そういう気持ちで接客をしていたら、お客さんに「下にコンビニできちゃったね」と言われました。
「はい、けど、がんばりますので、こちらにもきてください」
私が笑ってそう言うと、
「うん、こっちには、あなたがいるから、また来るよ」
お客さんがそう言ってくれて。
「ありがとうございます」
なんて言いながら、私の心はすごく感謝の気持ちでいっぱいでした。
これがもしかしたら、この「私は愛と光と忍耐です」の変化なのかな、と感じています。
あと、もう一つ、「この頃、顔つきが変わったよね」「すごく穏やかになったよね」って言われるようになりました。
私、眉間に縦ジワが入って、ずっと前から、姉が妹からそのシワを撫でられたりしていたので、嬉しいです。
気持ちにゆとりができると、顔にも出るんですね。
斎藤一人さん
旧約聖書に「海割れの奇跡」という話があって。
モーゼという人がユダヤの民を連れて逃げたら、海が割れたとかって話なんだけど。
俺たちの前では、海は割れないよ。
その人、その人に合った奇跡が起きるんだけど。
何かが起きる、と言っても、「私は愛と光と忍耐です」と言っていると、不安な時、不安じゃないような気持ちになれたりね。
それから、人間って、心で思ってることが、顔に出るんだよね。
だから、不安な時って、不安そうな顔、してるんだよ。
そうすると、お客さんにも心配かけたりとか、「あそこ、暗いね」とか言われたりするんだけど。
実は、暗いって、誰も好きじゃないんだよ。
暗い人も暗い人が嫌いなんだ。
ところが、それがね、自然と心がちょっと前向きになったりすると、あなたは「心が明るくなった」と思ってるけど、顔も明るくなってんだよね。
そうすると、先ほどの話で、「あなた、コンビニより、あなたがいるから、ここに来るよ」って、お客さんに言われた、と。
それ、すごい奇跡なんだよね。
どうしたら奇跡が起きるんですか?・・・・・・って、自分の心に変化が起きると、自分の顔が変わり、言うことも変わり、波動も変わる。
そうすると、周りの人の、あなたを見る目が変わる。
そうやって、あなたの人生が変わってきて、奇跡って起きてくるから。
だから、「みんなにすごいことが起きても、私のはちっちゃくてと」言うけど、それ、そのちっちゃい変化がすごいことなんだよね。
だって、「あなたがいるから、ここに来る」なんて言われたら、最高じゃん。
それに、モーゼの前で海が割れた、みたいな奇跡が起きたって、困っちゃうもんな。
だから、やっぱり自分の生活にね、必要なことが起きてくれるのね。
それでさ、人って、大概、不安をいっぱい抱えてるじゃない?
今まで6時間働いていたのが、「4時間でいいよ」って言われたら、生活設計だって狂っちゃうしさ。
そういうことって、山ほどあるんだよ、人生の中に。
その時に自分の気持ちを落とさずにいると、ちっちゃい奇跡が起きるんだよね。
この、ちっちゃい奇跡が、大きいんだよ、その人にとってな。
だって、日常、そんな凄いことをやって生きているんじゃないんだもん、俺達って。
そうだろ?
自分が食べてさ、周りの人とうまく付き合って、っていうこと。
その中で起きる奇跡を楽しみだすと、奇跡って、「あら、また起きた」「また起きた」・・・・・・連続して起きるようになってくるの。
それって、何で起きたんですか?
考えが違ったから、顔が違う、波動が違う、言うことが違う。
そしたら、世間の見る目が違ってくる。
だから、会社も、変な話、従業員の中で誰か一人、残したいんだったら、「お前、残ってよ」「あなた、残ってよ」ってことになるんだよな。
何か波動が変わった時に、相手が変わっちゃうんだよね。
こういう奇跡ってこういう、最初は最初は、ちっちゃい奇跡から始まるの。
だから、ちっちゃい奇跡って、「私はこんなちっちゃくって」って言うけど、大事にして欲しいのね。
ありがたい義母のひと言
「私は愛と光と忍耐です」を1日100回言うといいよ。
ひとりさんにそう教わって、呼び出してから一週間経ったか、たたない頃だったと思います。
想像だにしないことが起きました。
夫の両親と同居して22年になるのですが、義母が私にこういったのです。
「ひろこさん、お父さんのお世話しに実家に行ったり、泊まったりしていいのよ」
約半年入院していた私の父が退院して、弟と一緒に生活しているのですが、弟は独身で、仕事で家に戻らないので、義母は「いってらっしゃい」と言ってくれたのです。
ところが、実は同居の義父も、私の父が退院した前日に退院しているんです。
なので、私にとって、義母の一言は「まさか!」という感じで驚きました。
同時に、本当に「ありがたいな」って思いました。
それからもずっと、約一か月ほど、あの言葉を1日100回以上言ってるんですけれど。
最近、主人が私のお尻をちゃんとさわったりするようになって、なんか「久しぶりだな!」と思ったり。
あともう一つ、以前の私は「自分には愛がないんじゃないかな」「足りないんじゃないかな」と思っていました。
ところがが、「私は愛と光と忍耐です」をずっと言い続けるようになって、気が付きました。
「ああ、自分に愛がないと思っちゃう自分を責めなくてもいいんだな」って。
一人さんに、感謝しています。
ありがとうございます。
斎藤一人さん
俺が考える「愛」って、人が幸せになったり、人に良いことが起きたら、「よかったね」って言ってあげたりさ、その程度なんだよね。
だから、「自分には愛がありません」とかっていう人が、結構いるんだけどさ。
そんなことはないよ、って。
あのさ、人間って、最高で78%なんだよ。
大概、その最高78%にも、なかなかいかないんだけど。
俺なんか、30%ぐらいでいいか、ぐらいに思ってるから、毎日完璧なの。
要するに、「私には愛が足りない」「愛なんてありません」っていう人は、愛の基準が高いんだ、って言いたいんだよ。
完璧を100%だとしちゃってるから、「あの時、誰それにこう言えばよかった」「自分には愛がない」とか、自分を責めちゃうんだよな。
人間って、そんなに立派じゃないよ。
けど、立派じゃなくたって、あなただって、精一杯生きてるんだよ。
人は皆、精一杯、やってんだよ。
だけど、完璧じゃないんだよな。
その、完璧じゃないのを、許すのも愛。
だから、自分の基準を、愛の基準を30%ぐらいに下げたらいい。
そしたら、ちょっとだけ気持ちが楽になるから。
そんな、いちいち「愛とは・・・・・・」とか考えなくても、人には誰にでも、愛がいっぱいあるんだよ。
ほとんどの人は気付いてないけど、すでに、みんなの中に愛がある。
ただ、愛をうまく表現できる人とそうじゃない人がいる、それだけのことで。
ともかく、完璧にはできないんだから、俺達。
基準をね、最高でも30%。
そうすると、たいがい毎日、完璧だから。
分かったかい、30%で行くんだよ。
余計なひと言に後悔するパターン激減
「私は愛と光と忍耐ですを」1日100回以上言い出してから、約一か月になります。
この言葉を言う前の僕は、間違ったことをしている人に注意しなきゃいけない時に、つい「バカだな」とか、余計なひと言が先に出ちゃったりして。
後になって、「なんで、あんなこと、言っちゃったんだろう」と後悔するようなタイプだったんです。
ところが、「愛と光と忍耐です」を言い出してから、自分で自分に「ちょっと待てよ」と、一拍置けるようになってきた。
職場で同僚に注意するにしても、意見を求めるにしても、冷静でいられることが、すごく仕事に役立つのではないかと思っています。
この「私は愛と光と忍耐です」は、仕事だけでなく、僕の課題である人間関係をより良くしていくための、すごくいいアイテムになっています。
斎藤一人さん
今から話すことは、みんなに話してると思って聞いて欲しいんだけど。
あのね、もし、今、勤めてる職場が自分に向かないと思ったらやめればいいんだよ。
たださ、人間って本当に慣れの生き物なの。
慣れちゃう。
だから、「こんなことって、できんのかな」っていうことが、何日かいると慣れちゃうの。
誰でもできないものはできないんだよ。
だけど、そこに勤まってる誰かがいるとすると、どんな人でも慣れちゃう。
変な話、軍隊って、1日で何十キロって、重い荷物を背負わされて歩かされるんだけど、ほぼ、落語する人はいないんだよね。
それで、人間って「辛い、辛い」と言ってても、しばらくするとね、人間の体って慣れちゃうんだよね。
いや、慣れればいい、ってもんでもないんだけど。
でも、結構、慣れの生きものなの。
だから、しばらくやってると、慣れちゃう、っていうものもあるから。
そういうことも頭の中に入れといて、ハナから「絶対無理だ」じゃなくて、「できるんだ」と思ってやってみる。
それでも向かないなら、やめたほうがいいの。
人間ってのは、むかないことあるんだ、いっぱい。
やってみるまで、分からないから、やってみたら「むかない」というのが分かるんだよね。
だから、人間ってね、なんでも「やり始めたら、がんばんなきゃいけない」ってわけでもないの。
でも、ハナっから、、「続かないから辞める」じゃないの。
きっとできるの。
辛抱してね、何ヶ月かやってると。
あの、みんなに言っとくけど、最初からうまくいくことはないの。
最初からうまくは絶対行かないよ。
「慣れる」って言うのは、失敗しながら、怒られながら慣れるんであって。
最初からうまくいくようなものはない。
プロの仕事ってのは、そういうものじゃないから。
それで、もし駄目になっても、そこの職場なり、業界なりを見られただけ得。
こういうことがあるんだ、っていうのはね、知っといて損はない。
絶対、経験って何一つ損はないの。
「こういう人もいるのか」とかさ、上司が無茶苦茶なやつだと、「こんなやつ、世の中にいるのか」とかって。
経験するだけでね、ありがたい、っての、いるよ。
映画にも出てこないような、すごいやつ。
「これ、映画よりすごい」っての、あるからね。
そういうのを経験するだけ幸せだね。
頭の中の否定的なおしゃべりが減って安心感
「私は愛と光と忍耐です」をいい続けて、大体10日ぐらいで気づいたことがあるんです。
自分の頭の中の否定的な言葉、「これ、無理かな」とかいう、おしゃべりが減ってきました。
頭の中に「これ、やろうかな!」というのが浮かんで、「でも、やめとこうかな」っていうことが、皆さんにもあると思うのですが。
それを、くよくよ考えちゃうのが以前の私で。
でも、「愛と光と忍耐です」を言い出してから、くよくよ考えるのが半分ぐらいかな?
減ってきて。
それから、会社から自宅に帰る途中、その日にあったことをくよくよ思っちゃって、引きずっていたのが、なんか、
「ああ、今日は楽しかったな!」
とか言ってる自分に気付いたりとか。
やっぱり安心感が、前よりあるみたいです。
なので、これからも、言い続けてみたいと思います。
斎藤一人さん
「私は愛と光と忍耐です」を1日100回、言って何が起きるんですか?
と言った時、あなたが変わるんだよね。
そのことによって、周りの人が助かるんだよ。
だから通常、言い始めてすぐ、あなたが社会的な成功をおさめる、とかってことは少ない。
通常は、周りの人があなたに対して「あの人、変わったよね」とか、「最近、明るくなったよね」とか、「怒らなくなったよね」とか。
「怒られても、その後落ち込まなくなったよね」とかって。
わかるかい。
それ、周りの人が助かってるんだよ。
この世の成功ってのは、人に対する奉仕なんだよ。
奉仕というと、何かをやってあげることだと思われてるけど、周りの人に心配させないって、実はすごい奉仕なんだよ。
自分の家族の中で誰かが、家に閉じこもって、落ち込んでいられるより、で歩いてくれた方が安心だし、働きに行けた方がいいじゃん、ね。
だから人って、たいがい自分でも知らないうちに、人に負担をかけてることがあるの。
それが、いわゆる「因果」なんだよ。
因果とは、悪いことをすると自分に悪いことが起きるっていうこと。
悪いことをする、って、特別、人に嫌がらせとか、してないんだよ。
知らないうちに暗い顔、しちゃってるとか、泣き言言っちゃってるとか、その程度のことなの。
そんなことが、ちっちゃい毒、ちっちゃい箘を撒いているようなもんで。
それが、日常で山のようになるんだよね。
ところが、そういうことをしないで愛と光として生きる、自分が本来の自分になってくると、周りの人が助かって、人に愛される。
因果も解消されるんだよ、って。
追伸 地球は魂が修行をするところ
この世に来る前に「楽しく生きて、人に親切にしてくるんだよ」という約束をしてきたんだよ、と一人さんは教えてくれました。
そして死んで向こうの世界に行った時も聞かれるそうなのです。
これは天との一番大きな約束だから、この地球上で生きている間はこの二つをやっていたら、幸せに生きられるんだよ、天に味方してもらえるんだよ、ということなのです。
そして楽しく修行をしに来た私たちに天が同時に与えてくれたのは、時間と空間です。
この中で好きなことをやってごらん。
体験してごらん。
と天は言っています。
この地球でしかできない、好きなものを創造して体験しながら遊んでごらん。
そして魂を成長させなさいと言っているのだと私は思いました。
天にいるときは想念でも何でもできてしまうので、行動や体験はできませんから、この地球こそが行動の星。
魂のレベルを上げるための訓練の場なのです。
一人さんが言う「魂の夜明け」とは、こうしたことが当たり前のように理解される時代だと私は思うのです。
そして何また天に帰った時に、この宇宙の様々な重要な仕事を手伝ってくれることを期待して送り出してくれているような気がします。
私たちはこうした天とのつながりを理解することでパワーアップし、もっと生きやすくなります。
そして私たちが何のために生まれてきたかがわかれば、その対策を練ることもできるんです。
生まれ変わりの事や今まで不思議で済まされてきたことを、現在私たちが生きて生活している中に知恵としてもっと、取り入れてほしいと天も望んでいるはずです。
人は、現実ばかりにとらわれていても行けないけれど、不思議なことに縋りすぎてもいけないのです。
目に見えないことや不思議なことも現実の中に活かして、奇跡を起こしていく。
その不思議な力とは、人智を超えた力、つまり天の力です。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
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お世話になっております。
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我が儘勝手で申し開きも御座いません。
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