一生のうち一回でも『美味しいね』と誰かに言ってもらえたら、あの人の心に灯がともるんだよ。
心に灯がともるんなら、1万円は安いだろう
人に気を使わせない、それが大切なんだよ
一人さんはまるかんでは、「大(おお)社長」と呼ばれています 。
弟子である私たちはそれぞれの会社を持っていて、そこの「社長」ということになるので、師匠の一人さんはこう呼ばれるわけです。
大社長である一人さんがまるかんに現れると、どこでも大喝采が上がります。
もちろん、これは私たちがそうするように言っているわけではなく、みんなが一人さんに会いたがっているので、自然にそうなるのです。
一人さんが現れると、その場が明るくなります。
それに、一人さんはどんな人にも気を使わせるようなことがありません。
そのため、みんなが会いたがるわけです。
一人さんは本当に気を使わせない人です。
例えば、私たちの会社に一人さんが来て、みんなでカラオケをやることがあります。
よその会社などでは、「まずは社長からどうぞ」ということになり、社長優先させるのでしょうが、マルカンでは違います。
それどころか、こんな声が上がります。
「大社長は後回し。
だって、さっき歌ったでしょう」
「一人さん、2曲続けて歌っちゃダメ。
一曲ずつに決まってるんだから」
一人さんになら、平気でこんなことを言ってもいいとみんなが思っているわけです。
もちろん、こう言われた一人さんもみんなのその態度を当たり前だと思っていて、いつもニコニコしています。
また、まるかんの宴会には独特のルールがあります。
それは、まず、人を待たなくてもいいというルールです。
誰か遅れてくる人がいても、先に来た人が飲み始めても良いということです。
これは、後から来るのが大社長も同じことで、一人さんが来る前に、みんな飲み始めてしまいます。
そして、誰かが来るたびに乾杯をするので、1回の宴会で10回以上乾杯することもしばしばです。
このようにすれば、先に来た人もあとから来た人も、双方が余計な気を使わずに済むわけです。
もう一つは、お酌を禁止していることで、みんなが手酌で飲むことになっています。
お酌をしていると、一番下の人はお酌ばかりしなくてはいけなくなります。
それがかわいそうだと言うので、いつのまにかこれがルールになったわけです。
もちろん、一人さんも私たちと同じように手酌です。
一人さんはこのようにみんなから気を使われないようにしているのです。
それどころか、気を使われなかった事を喜んでいるようです。
こんなことがありました。
ある時、旅行から帰ってきた一人さんがやってきて、嬉しそうに言うのです。
「すごい自慢話をしていいかい?
俺って顔が利くんだよ」
一人さんが、自分の自慢をするというのはまずないことです。
あまりにも珍しいことなので、少し驚いて尋ねました。
「一体何があったんですか?」
すると一人さんがこんな話を始めたのです。
「北陸の方へ行ったんだよ。
その時に、海岸へ行って、焼きハマグリとか焼きそばとか売っている浜茶屋みたいなのに入ったんだよね。
その店はここ数年、その海岸へ行くたびに寄っているの。
俺はここで、すごく顔が利くんだよね。
そこのおばちゃんに言ったの。
『俺、去年もおととしもこの店に来たんだよ』
すると、おばちゃん、なんて言ったと思う」
「さあ?」
『ごめんね、忘れちゃった』
どうだい。
このくらい顔が効くようにならなきゃいけない」
そう言って、 一人さんは大笑いするのです。
つられて、私たちも笑ってしまいました。
それにしても、いつも行く店で顔を忘れられていたと言って喜ぶ人も珍しいものです。
きっと、一人さんは、自分がそのお店の人に気を使わせずに住んでいたと思い、それを喜んでいたのでしょう。
人に気を使わせない。
そうするために、自分は皆に気を配る。
そんな一人さんを、私たちは「かっこいい」と思うのです。
「去年の俺はバカだった」と言えなきゃだめだ
一人さんを見ていて、私たちが「かっこいい」と思うのはその生き方です。
その中でも特に、一人さんの向上心はすごいと思うのです。
一人さんは、自分より弱い相手を倒そうとはしません。
必ず、自分より強い相手、勝てるかどうかわからない相手に挑もうとします。
一人さんはこう言っています。
「初めから勝てるとわかっている相手を倒すのは戦いじゃないの。
それはいじめだよ」
一人さんは、あらゆる面で常に挑戦しています。
ここまで来たからもういい、ということがないのです。
これは、一人さんと知り合ってから20年以上も変わっていません。
例えば、一人さんはいつも機嫌がいいのですが、これは大変な努力が必要なことです。
一人さんの場合、このことについても、向上しているようなのです。
何年か前まではたまに機嫌の悪い日もあったのですが、だんだんそのような日が減っているのです。
まだ未熟な私達のような人間ならば、もっと向上しなければと考えることはさほど難しくありません。
でも、一人さんのように商人としての成功を収めていて、なおかつ向上心を失わないというのは、実は大変に難しいことなのではないかと思うのです。
それには、本当に謙虚な心が必要なはずです。
よく一人さんはこう言います。
「去年の俺はバカだったよ。
こんなこともわからなかったんだ」
この言葉は、本当に自分のことを謙虚に見つめていないと、いつのまにか言えなくなってしまうものだと思うのです。
ひとりさんは自分にできることを全て運と思い、 それに感謝しているのです。
そして、できないことを謙虚に見つめているから、努力することを楽しいと思えるのでしょう。
このような一人さんの生き方が、私たちには「かっこよく」見えるということなのです。
心に灯がともるんなら1万円は安い
一人さんと、津軽三味線を聞きに行ったことがあります。
その時の演奏が素晴らしかったので、私達は演奏者の方が他に心ばかりのご祝儀を渡していたのですが、この時、一人さんがある仲間の耳元で何か言っているのです。
演奏が全て終わり、外から出てから、その人に、ひとりさんが何を言っていたのかを尋ねたところ、こんなことを言われていたのだそうです。
「ご祝儀を渡しているだろう。
いいかい、もらっていない人がいないか、よく見てな。
もらっていない人に、次の演奏のあとで、必ずご祝儀を渡すんだよ。
もらっていない人は、自分だけ演奏が下手だったのかと思って、必ず悲しむからね。
さっきもらえなかったからだと、絶対に気づかれないように、うまく渡すんだよ」
また、こんなこともありました。
一人さんと旅をしている時、途中で定食屋さんらしきお店を見つけて、食事をしたのです。
私達の他にお客さんは誰もいません。
食事を終えて、お勘定を払う時、一人さんは、お店の人と話し始めたのです。
「おばちゃん、ごちそうさま。
美味しかったよ。
おばちゃんの笑顔もいいしさ。
ところで、この店って何年くらいやってるの?
へえ、もう10年かい。
すごいね、今時10年もなかなか続かないよ。
おばちゃんの料理のおかげだね。
あやかりたいね」
一人さんは、お勘定の他に「これは10年続いたお祝い」と言って、1万円札を置いていったのです。
正直に言って、そのお店は味は大したことはなく、ご主人である中年女性の愛想のほうも、お世辞にも良いとは言えませんでした。
怪訝そうにしている私たちを見て、一人さんはこう言ったのです。
「あの人な、今まで働いてきて、何も良いことがなかったんだよ。
だから、ぶすっとした顔してるの。
でもね、きっと子供を立派に育てたりして、頑張ってきたんだ。
一生のうち一回でも『美味しいね』と誰かに言ってもらえたら、あの人の心に灯がともるんだよ。
心に灯がともるんなら、1万円は安いだろう」
一人さんがお店でよくご祝儀を渡していたのは、こんな理由があったのです。
一人さんは私たちの未熟さを心配してこう言ってくれます。
「お金を人に渡して、それで人に嫌な思いをさせるようなことがあっちゃいけない。
お金持ちになって威張っちゃいけないよ。
お金持ちになって威張るくらいなら、お金を持っていない方がマシ。
もっと馬鹿になるために勉強するんじゃないだろう。
勉強は人の役に立つためにするんだよ。
お金を持つのも同じ。
お金を持つのは、持っていない人を馬鹿にするためじゃないよ。
人に嫌な思いをさせないためにもつんだよ。
威張っちゃいけない。
人間には、威張れる奴ほど偉い奴なんかいないの 」
こんな一人さんを見て、私たちはこれからもずっと、「弟子」としてついていきたいと思っているのです。
追伸 一人さんはお金持ちの相をしていない
手相・人相にはその人の個性が出ています。
だけど、ひとりさんはお金持ちの相を持っていませんし、人気が出る相、出世する相でもありません。
何を言いたいのかと言うと、手相・人相は、人の運命を教えてくれるものではないってことです。
「お金持ちの相じゃなかろうが、出世する相じゃなかろうが、そんなことはどうでもいいんだよ。
心に灯がともって、これから向かう場所がはっきりわかっていたらそれでいいんだよ。
何故かって言うと、素質がなくたって、出世した人のことを研究して、人の嫌がることをしないとか、お金を貯めるとか、当たり前のことをちゃんとしていれば、どんな人でもお金持ちになるし、出世するんだよ。
俺自身がそうだからこれは間違いないよ。
だけど、心に灯がともっていないと、その事に気付けないんだ。
もちろん、素質を持っている人もいるんだよ。
だけど、素質のある人が闇の中にいたら、その素質は使わずに死んでしまうの。
だから、火を灯してあげることが大事なんだよ。
これをやっていると、自分の心に灯がともるの。
自分も成長するんだよ。
人に与えたものは必ず返ってくる。
与えっぱなしてことはないの。
嫌なこともやれば、嫌なことが返ってくる。
だけど、いいことを与えたら、自分にいいことが起こるんだよ。
だから、手相・人相がどんなに悪くったって、構わないんだ。
早死にの相が出ている人でも、いいことをやっていると長生きしちゃうの。
だから、生き方なんだよ。
心に灯をともす。
その灯を分け与えるようになってくると、奇跡がどんどん起きるんだよ」
で、皆さん、心に灯をともすって何でしたか?
そう、
「自分は幸せだ。
今の自分で最高なんだ」って思うことです。
そんなことを考えている人は自信過剰だ、なんて思わないでくださいね。
今のあなたで最高なんです。
「人には、それぞれ定め、変えられない宿命ってものがあるんだよ。
例えば、男に生まれたとか、女に生まれたとか、この親の家の下で生まれたとか。
それから、その顔、その個性で生まれたっていうのも宿命なんだよ。
それは変えられないんだよ。
神様が決めたことだから。
だから、諦めるしかないの。
諦めるって、明らかに眺めるって事なんだよ。
何を明らかに眺めるのかって言うと、神様は人間を苦しめるためにその顔、その個性、親、性別を与えたんじゃないってこと。
みんながそれぞれ輝いて、幸せになるように命を与え、
『生まれてきてよかった』
って、思えるような人になるために、修行の場を与えてくれているんだよ。
神様のそんな想いを無にして、
『なんでこんな不細工な顔で生まれたんだ』
って言うから、幸せになれない。
いつもいうことだけれど、幸せっていうのは、気づきなんだよ。
ただ、ぼーっとしていると、いつまでも自分が幸せであることに気づけない。
だから、
『自分は幸せだ。今の自分は最高だ』
って、言ってごらん。
そして、毎日ご飯が食べられること、共に生きる仲間がいること、嬉しかったこと、命を与えてもらったこと、いろんな幸せを探して行くんだよ。
そうしたら、心底、自分が幸せな人間だってことに気づく。
その気づきが、やがて感謝に変わるんだよ。
だからね、神様は映画監督みたいなものなんだって思ってごらん。
監督に、
『あんたに、通行人その1をやってみなさい』
って言われたら、つべこべ言わず、役をくれたことに感謝して、最高の通行人その一になるの。
そうしたら、その姿は輝いて見える。
監督の目に止まるんだよ。
そうしたら、そのうち、一言でも、二言でも、セリフがつくようになるんだよ。
その時、
『少ない台詞でも、台詞がもらえてありがたいな』
っていって、一生懸命やっていると、また輝きが増して、いつか、もっとマシな役が来るんだよ。
こんな話、信じてもらわなくても結構なの。
神様って言ったって、別に宗教をやっているわけじゃないからね。
ただ、常に、目の前にある現実に面と向かって、まともな事をしていればいいの。
俺たちは神様に感謝することはあっても、拝むことは何もないんだよ。
空気を作ってもらって、水を作ってもらって、ご馳走を作ってもらって、その上命までもらっているんだよ。
これ以上何を望むんだい。
あとは自分たちでやろうじゃないか。
生まれてきちゃえばこっちのものなんだから、自分がどうだ、他人がどうだって言うのは、もう、どうでもいいんだよ。
今の自分が最高だと思えるようになるために、自分なりに納得するものを考えないって言っているんだよ。
そうしたら、今の自分で勝負する。
今の最高な自分に、いい事を一つ、また、一つ足していくんだよ。
そうしたら、誰でも、何でもうまくいくんだよ」
斉藤一人さんのお話を纏めました。
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