コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斉藤一人さん 間違った心のしばり

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間違った心のしばりというのは、色々あるんだよ。

その中で最大のものは、「失敗しない方がいい」という観念なんだよ。

 

 

 


忘れられない「あの人」「あの愛語」


人が皆がんばっているんだよという目で、人を見る一人さん。

人に「がんばってるね」いうのは、ひとりさんにとって当たり前なことなのかもしれないですけれど。

会う人会う人に、愛が溢れる、優しい声で「がんばってるね」って、一人さんが言葉をかけているのを傍で聞いていると、私まで本当に癒されてしまうのです。

一人さんと、弟子の社長たちと一緒に西国三十三箇所霊場巡りを楽しんでいた時もそうでした。

2番札所の紀三井寺の前にある、茶店に入った時、ひとりさんは茶店の奥さんに「がんばってるね」って声をかけたのです。

奥さんは嬉しかったのでしょうね。

一人さんの「愛語」に「ありがとうございました」って、お手紙をくださいました。

一人さんは「ありがたいね」と言っていました。

数年後、再び、西国を回った時紀三井寺にお参りして、あの茶店に寄らせてもらいました。

たくさんの人が訪れる中で、たった一回、ほんのちょっと言葉を交わしただけなのに、ママさんは覚えていてくれて、

「一人さん、またお会いできて嬉しいです」

って言ってくださいました。

ほんわかして、胸が熱くなって涙がこみ上げてきました。

一人さんの「愛語」旅の一コマでした。


一人さんの「がんばってるね」って、何だろう?


一人さん号を降りてコンビニに入った時、

ぽつり、一人さんが言いました。


「がんばってるね」

一人さんの視線を追うと、道の隅っこで笑顔を咲かせている、たんぽぽの姿がありました。


一人さんの「がんばってるね」という声を聞くたび、思い出すたびに、私は幸せに包まれます。

そして、不思議でたまりませんでした。

なぜ、一人さんはみんなに「がんばってるね」なんだろう、って。


私が子供だった頃、

「一人さんはいつも、いつもがんばってるね」

といったことがあります。

一人さんが何かと戦っていることを知っていたからです。

一人さんは子供の頃からずっと病気がちでした。

一人さんが病に冒されるたび、周りの人は「もうだめだ」と思うのですが、不思議と、一人さんは復活してしまいます。

でも、また一人さんは別の病に冒されてしまうのです。

全くの健康な一人さんを、私は見たことがありません。

それなのに、一人さんは、周りの大人たちに「もっとがんばれ」と言われている私に、

「みっちゃんはがんばってるね。偉いね」

って。

他にも、会う人、会う人に、

「がんばってるね」

って。

地を這う蟻さん達にも、ひだまりであくびする猫にも、

「がんばってるね」

「可愛いね」
って。

どんなものにも愛を降り注ぐ一人さん。


その姿を見ていて私は子供ながら、一人さんって、すごいなあと思っていました。

だから、「一人さんは、いつも、がんばってるね」って。

この時、一人さんから意外な言葉が返ってきました。

「がんばってるのは、みっちゃんだよ」


そして、一人さんは今もかわらず

いつも笑って光を見せてくれています。


公衆トイレの清掃員の方や高速道路の料金所の方にも、

「ありがとね」

さらりと笑顔で言いながら心の中で手を合わせ、その人の幸せを念じ続けている。


普通なら、「自分はこんなにがんばっているんだから、みんなもがんばれ」って言うのではないでしょうか。

でも、一人さんはみんなに、

「がんばってるね」

なのです。


なぜ? どうして、そんな波動が出てくるの。


「愛語」で人を捉えると「愛顔」になれる。

一人さんはさっきそういったのだけれど、それはどういうことなのかな?


コンビニを出て、九十九里方面を目指して走る一人さん号。

「一人さん、さっきの話の続きなんですけど」


Q 目の前の人を「愛語」で捉える人は「愛顔」になるって、どういうことですか?


実を言うと、斉藤一人さんは「愛語」をしようと意識したことがないんだよ。

本気で相手のことを「素敵だなぁ」と思ったり、「がんばってるなあ」って思ったりしているんだよね。

そんなことをしているのが好き、理由もなく好きなんだ。


一人さんは人間が好き、ということもあるんじゃないですか?(みっちゃん先生)


それもあるのかもしれないね。

ただ、俺としては、あんまり意識してやっていたわけではないんだよ。

みっちゃんとか、お弟子さん達とかにいろいろ教えるようになって「愛顔愛語」という話をしたした、というのが本当なの。

じゃあ、「愛顔愛語」という生き方を一人さんはどう説明しますかって、言った時、俺だったらこうやって言うんだよ、いいかい。

人というのは、思ってることに必ず出会うんだよ。

後になって、今、自分が思っていることをと出会うんだよね。

例えば、会う人、会う人のことを「だらしないなあ」と思っていると、後で必ずだらしない人と出会って、また「だらしないなあ」って言うんだよな。

ところが「がんばってるよな」という目で、目の前の人を見ているとね。

やってみたらわかるんだけど、なぜか、みんなのことが愛おしく思えてくる。


そしたら、人を愛おしむようになったら、思ったことと出会うんだよね。

愛おしいほど素敵な人と会うんだよ。

想像してごらん、素敵な人が自分の目の前に現れた時の事を。

ワクワクするよね。
そんな気持ちでもって、一人さんの話を聞いててね。


神々ているのは歩幅ではないんだよ


この前、質問されたの。

一人さんにとっての勇気って何ですか? って。

自分にできないことや、苦手なことに積極果敢に挑んでいく、その心のことを勇気だと思っている人が多いけど、一人さんはどう思いますか? って。


一人さんの答え、俺はこう言ったのね。

「勇気」って、人によって違うんだよ、って。

できないこと、苦手なことに積極果敢に挑戦するのも勇気なんだよ。

恐る恐る、一歩、足を出すのも勇気なんだよ。

だから勇気って、何て言うかな。

一歩、足を出すだけで1M弱、前に進める人もいるかもわかんないの。

だけど、一歩、足を出したら、ほんの数センチ前に進んだ、という人もいる。

一歩の歩幅は人それぞれ違うんだよ。


みんな違っているのが、いいんだよ。


神は歩幅がどれくらいかを見ているんじゃないんだよ。

神が見ているのは、その人が足を出すかどうか、なんだよね。

一センチでも足を出したら、「それは貴い一歩だね」って、神は言ってくれるよ。


足を出すことが「勇気」なんですね。


なぜ、神はそれを「貴い一歩」と見なし、「勇気」とみなすんだろうか。

一人さんはこう思ってるのね。

一歩、足を出せる人って、なかなかいないからだ、って。

たった一センチメートル橋を出すかだけじゃないかって言うけど、それはあなただから簡単なことなんだよね、って。


だけど「他は我にあらず」と言うんだよ。

ほとんどの人はそうではないんだよ。

できない人に「できないこと」をやらせるのは、果たして「愛」なんだろうか?

 

「正しい」と思ったことをやるのが「正しい道」だけど・・・・・・


人生で、みんな「正しい道」というのは探しているでしょ?

自分が「正しい」と思うことをやってみる。

それが「正しい道」なんだよね。


ところが、ほとんどの人がそれができないんだよ。

「あなたの思った通りのことをやっていいんだよ」

って言われても、自分の思った通りのことができないんだよ。

足を出せないんだよ。


問題は「なぜ、足が出ないのか」ということなんだ。


足を出せない事情が、その人には「ある」んですね。

そうだよ。

足を出せないのは間違った心のしばりりがあるからなの。

人間の可能性というのは、計り知れないんだよ。

それなのに「自分はこんなもんだろう」って、ほとんどの人を信じ込んでいるの。

自分で勝手に限界を作っちゃっているのと同じなんだよ。


それって、自分で自分の足を縛り付けちゃっているみたいなもんですね。

そんな風にしてしまう原因って、一人さん。


Q 「間違った心のしばり」って、どんなことですか?


間違った心のしばりというのは、色々あるんだよ。

その中で最大のものは、「失敗しない方がいい」という観念なんだよ。


親の「我が子に失敗させたくない」気持ちだとか、「失敗は恥だ」という考え方が、何代も受け継がれてきて、「失敗しない方がいいんだ」って、心のどこかで思ってるんだよ。


しかも、ほとんどの人は、自分にそんな足枷がついてるなんて気付かずに、「自分はこんなもんだろう」って信じ込んでいるんだよ。

足を出すとか、出さないとか、そんなことすら考えずに生きてるの。


でも、足を出さない人のことを、神は「だらしないなあ」という目で見たりしないんだよ。

いつも見守ってるの。

「失敗しない方がいい」というしばりを植え付けた親の事も、学校の先生のことも、神はただ見守ってるの?


どうしてですか?(みっちゃん先生)


「いい事」も「悪い事」だとも、神は思ってないからだよ。

足を出せない人のことも、「失敗しない方がいい」というしばりを植え付けた親や先生のことも、「成功の道」を歩いてる途中だ、と思うだけなの。


えっ、今、一人さん、何て言いましたか?
「成功の道」を歩いてる途中だって言ったの。


わかるよ、みっちゃん。

足を出さない人も、しばりを植え付けた人も、「結果的に苦しむんじゃないか」って言いたいんだよな。

その気持ちは、すごくわかる。


だけど、両者ともに失敗ではなくて「成功」なんだよ。


失敗を経験しながら人は「自分にも良く、相手にもよくて、周りの人にとっても幸せなこと」を学ぶんだよ。

失敗から学び、ちょっとずつ「神の愛」に近づいていくんだ。

そうやって「神の愛」に向かっていく旅路が「成功の道」なんだよ。

 

追伸 「大我」を口にしながら、「小我」で動いている人もいる

 

ちょっと込み入った話になりますが、「世の中のために」とか「人を喜ばせるためにとか」、「大我」を口にしながら仕事をしているけれど、なぜかうまくいかない人っていますよね。

その理由は簡単です。

そういう人は、「みんなのために」と、「大我」と言いながら、ほぼ「自分さえよければ」の「小我」で行動しているのです。

口で言ってることと、心の中で考えていることに差がある。

それを神は見抜いているのです。

また、こういうパターンもあります。

一時的には「大我」で仕事をしていたけれど、その仕事が成功するにつれて、周りからチヤホヤされるようになります。

そして、いい気になっているうちに、本来の目的である「大我」を忘れてしまう。

そして、自分が有名になることや、名誉欲にほだされているうちに、気持ちがすっかり「小我」になってしまう。

こういう人の場合は、「大我」の時は成功していたことも、「小我」が混じり始めた途端、なぜかタイミングが外れるようになります。

そして、やることなすことトラブルが発生するようになり、仕事は下降気味になっていきます。

仕事がうまくいかなくなった時、「最近、俺、調子に乗っていたな」とか、「本来の目的である「大我」を忘れていたんじゃないかな」と、自分の「小我」に気づいて、また「大我」で仕事するようになれば、仕事は上り調子になっていきます。

ところが自分の「小我」を顧みず「うまくいかないのは、あいつのせいだ」とか「世の中が不況だから、しょうがないんだ」と、人のせいにしていると、どうなるでしょうか?

うまくいかない状態が続いたら、なぜか、ある日、「退場」というジャッジが下されます。

サラリーマンなら左遷されたり、経営者の自分の会社が倒産したり、商人なら自分のお店がなくなってしまうという現象が起きるのです。

これは、いわゆる「神から退場もらった」ということです。

「退場」といっても、実は神の愛なのです。

なぜなら、その人は、「退場」をもらわない限り、自分の「小我」を「大我」に変えようとはしません。

だから、「退場」をもらって、初めて自分の心の中を、洗いざらい見直すようになるのです。

その機会を、神が作ってくれているのです。


神様というのは、人が何を思っているか、また、隠れて何をしているのかを、全て上から見ています。

「この人は、大我で動いているんだな」

「この人は、残念ながら小我だな」

と、すべて紙にはお見通しです。

「大我」で動く人には、「それ、いいね!!」という、神の応援を示す出来事が連続して怒ってきます。

小我で動く人には、「その考え方は、間違っているよ」

「早く、改めなさいよ」という出来事が連続して起こってきます。

実に、シンプルな仕組みです。

ですから、たとえ人をうまく騙せたとしても、髪を騙すことは絶対にできないのです。

 

 

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斉藤一人さんのお話を纏めました。

 

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